491 切手趣味週間
07/05/18

 インターネットで通販、オークションというのが流行りというわけではないけれど、そこいらのCDショップでは見つけられないレア物も購入できるとあってぼくもときどき利用。でもオークションともなると、目当ての品物の入札価格がじわじわと上がり、結局は安いとはいえない代物となってしまうなぞという気長な勝負。そういうのは、どうもぼくの性格に合わないからしない。

 一方で、オークションに出品というのであればよろこんで参加するかも。ひょっとするとどこのお宅にもあるかもしれない、超プレミアムなお宝。でもそうおいそれと高い値で『羽が生えて飛ぶように売れる』なんぞというような調子のいいものがごろごろしているわけでもない。

 レコード盤を売ってしまうわけにもいかないのでそれだけはやめておくことにして、そのほかに・・と思っていたら、ありましたありました。子供のおもちゃ『ミニチュアカー』。なんと30年ほどむかしからちょっとの間、集めたことがあったのでした。もっともそのほとんどを「ほしい!」という方に二束三文で売り飛ばしてしまったため、手元に残っているのはほんの十数台のみ。でもなんと、その中の一台にネットオークションで5万円の高値が付いているのがあったのだった。「うふふ」これで旧態依然のぼくの黒鯛用釣竿を更新できるかも。というわけで現在ネットオークションのセミプロ、我が末っ子の男児に委託。接写の画像を用意して出品の準備中。

 他にもかつてすごいのがありました。『チョコエッグ』の小型フィギュア。精密描写の動物や昆虫。その中で『?』の印の付いたモデルで『ツチノコ』というの。なんとそれをゴミと見紛うぼくの『引き出しコレクション』の中から発見。それは1万円なら『羽が生えて飛ぶように売れる』という代物なのだった。案の定、思惑通り、その珍品は見事1万円以上で落札。それにしてもこんなものがどうして・・。なんともばかばかしい話。

 さらにぼくのコレクション?のなかに『記念切手』。「これも売れるかもしれない。」と期待してネットオークションを検索。おっとあったあった『切手趣味週間』の何某というの。10枚綴りのが13000円。やったーとばかり、早速丁重に接写撮影。さてさて翌日あらためてオークションのページを確かめてみると。なにやら気になる一文。「100シート、7掛けスタート」??!!。これって100シートでの値段!!。しかも額面を割っているではありませんか。子供のころ(中学生)街の切手ショップで一枚づつ、お小遣いで買ったものも何枚か。ぼくの母なぞ、将来高値が付いて「羽が生えて飛ぶように売れる」かもしれないと、知り合いの郵便局員にたのんで記念切手の発売日に1シートづつ予約までして投資したにもかかわらず。

 趣味の切手収集、こんなに不人気になっているとは露知らず。こんなことならオークションなんかに頼ることなく、せっせと道長の請求書の郵送に使ったほうがずっと価値があるというもの。しかし、あにはからんや、むしろ当然、観賞価値はあってもこんなに図体の大きな15円の切手、はがきや封筒に1枚貼るだけでも邪魔っ気。一生掛かっても使い切れないかもしれません。

 花鳥風月、冬の寒、夏の暑にもめげず、郵便局で並んでまで集めた思い出の数々。今ではだれも並ぶ者もなく・・。ちくしょー、切手趣味週間。

それは1シートの価格ではなく、100シート?!さらに額面を割っていたのでした



492 花の街
07/05/30


 『花の詩人』とも呼ばれた江間章子という詩人・作詞家がいます(1913‐2005)。『花の街』『花のまわりで』など、また『夏の思い出』でも水芭蕉の花を詠ったりしている。また『花の街』作曲の團伊玖磨の花にまつわる組曲の詩なども手掛けているそうだ。

 江間章子作詞のこれらの曲はいずれも美しいものばかりで、聴くたびに懐かしさと、何かへの憧憬を感じさせられる。中でも『夏の思い出』は学校で唱歌を歌った経験のある人ならだれでも知っている。また『花の街』なぞ、聴けば多くの人がそのメロディを口ずさんでしまうほど印象深い曲。

 その『花の街』の詞を確かめたくなり、ためしにインターネットで『花の街』を検索してみた。その詞は下のようなもの。詞は3番まであるのだけれど、1、2番で夢と希望にあふれる花の街が描かれているのに、3番はちょっと違っている。そこでは夢はやぶれ、希望は失われている。

 ぼくの連合いは歌うのが好きという理由から、地域の合唱団に参加している。聞いてみると『花の街』も練習して歌ったことがあるとのこと。その楽譜を見せてもらうと、そこには2番までの詞しか載っていない。でも『花の街』には3番まである。ラジオでもこの曲の合唱を聞くことがあるけれど、やはり2番までで終わることが多い。

 詩人江間章子としてはこの詩を詠んだとき、どういう意識、感情であったことだろう。文献によれば、彼女の談は「『花の街』は幻想の街。戦争が終わり、平和が訪れた地上は、瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。その中に立った私は夢を描いたのです。ハイビスカスなどの花が中空に浮かんでいる、平和という名から生まれた美しい花の街を。詩の中にある『泣いていたよ 街の角で・・』の部分は、戦争によってさまざまな苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものです」となっている。

 人々にとって太平洋戦争とはなんだったのだろう。戦時真っ只中では人々は国が唱える呪文に、夢遊でもしていたかのように『あたかも目に見えない笛吹きの曲に合わせて踊っていた(アインシュタインの言葉を借りれば)』としかいえない。おかげでたくさんの若い命が『御国のため』『天皇陛下万歳』の号令のもと散っていった。

 そのような国策のもとで、多くの音楽家、作詞家たちが戦意高揚のための唱歌、歌謡に駆り出された。そのとき、いったい幾ばくの者たちが本意から詩や曲を捧げたといえるだろう。少なくとも自らの心や人の心を具体的な詩や曲に表すだけの能力があるのであれば、戦時唱歌・歌謡を作ることに対する負い目を感じない者はなかっただろう。にもかかわらず、国策に従ったという自責の念は計り知れなかったのかもしれない。

 今からほんの60年余り前の出来事のはずなのに、戦時歌謡・唱歌の記録は意外に少ないといわれる。それは忌まわしい過去に封印をしてしまいたいという人々の意識によるものなのだろう。

 江間章子の作詞による戦時中の歌を見つけることはできない。実際に戦争に協力する詩を書いたことがあるといわれているけれど、その詩さえ知られていないようだ。詩とは詩人をとりまく情景や自身の心を、自らに偽ることなく表現するもの。『花の街』の詩を読めば、江間章子の戦争協力詩が本意であったはずがないことを理解できる。

 戦争の悲劇や愚かしさを説くことを、人々は平和な時にはいともたやすくすることができる。なのに思想統制の厳しい戦時のもとでは、ただひとつの抵抗として固く口を閉ざすことすら許されなかった。
 敗戦のとき、人々は『花の街』の1、2番にあるような花の街を夢見ることができたのだろうか。本音では、瓦礫と化した焦土の街でたださびしくないていたのではないかしら。詩人江間章子が、自由な詩を詠うことの許される時がおとずれたあのとき、人々に夢や希望の片鱗さえも奮い起こしてほしいとこの詩を書いたのだとすれば、そのとき「どうして自分が戦時中に詩人として何かができなかったのだろう」と後悔せざるをえなかったのではないかしら。この詩の3番のように『ひとりさびしく ないていた』のは誰あろう、彼女自身であったにちがいない。

 團伊玖磨の美しい曲にのせられた『花の街』は、平和な今となっては夢と希望を喚起する歌として親しまれているのかもしれない。でもその曲を歌いながら、どうしようもない詩人の悲しみが伴っていることを見過ごしてしまってはいけない。ひとりの詩人が、戦争体験の中から自らの詩人としての意義さえゆるがしてしまうかもしれない暗い過去を認識しつつ、この歌詞を詠った終戦時の、平和の予感のする真夏8月の『春の夕暮れ』に流された涙を忘れてはいけないと思う。


493 百 足
07/06/26


 あたたかくなり、早や初夏の陽気ともなると毒蛇や毒虫の出没。マムシやハブなどの猛毒毒蛇などはともかくとして、ハチやアブなぞでビビっていてはいけません。せいぜい咬まれた刺されたで、痛い腫れた程度のことですんで「やあ、ひどい目にあっちゃった」てな具合。・・で済めばいいのだけれど、そうは問屋が卸さないことだってあるのだった。

 アレフラキシーというの。10年ほど前、それまで刺されても多少腫れるくらいだったのに、あるとき寝ている隙にアブに刺されたことでぼくのふくらはぎは信じられないほど腫れあがってしまった。それから1週間ほどは激痛でまともに歩くことさえできなかった。事はそれで済んだと思っていたらさらに5年ほど経過で、あの時とは比べ物にならないくらい小さなアブに手首を刺されたのだった。「あら、刺されちゃった」と思っていたら、見る見る赤くじん麻疹が広がってゆき、身体中にまわってしまった。そしてなんだか息苦しくなってきたかと思っっていたら、今度はほんとに苦しくなってきた。休憩してくるといってきたけれど「息ができない!?これはヤバイ」。救急車を呼んだほうがいいかもしれない。うーん、動けない。しばらく瀕死の状態が続き、やっとのことで希望が見えてきて、ぼくは生き返ったのだと感無量、胸をなでおろしたのだった。後日医者に相談をしたところ、今度刺されたら20分以内に来てくださいと引導を渡された。そのほかに、咳止めの薬を飲みすぎて同じように苦しんだこともある、今度何かに咬まれたり刺されたりしたらそれこそ第一巻の終わりともなりかねない。

 前置きはこれくらいにして、ぼくはゴキブリとムカデが大の苦手。とくにムカデは駄目。ぼくの場合、恐怖はムカデの大きさの2乗に比例して増幅する。5センチが10センチ。10センチが15センチ。考えただけでも虫唾が走るとはこのこと。

 音羽の我が家は自然環境も良い代わりに野生生物も豊富。キジ、サル、まむし、シカにイノシシ、アライグマ。そして何よりゾロリと黒光りのムカデ。それもまさひシーズンに突入し、次々記録を更新中。

 早朝、まだ目も覚めぬ頃、ぼくは寝床の中、左手ひじになにやら冷たいものを感じたのだった。どうしてなのかぼくははっと目覚め、これはムカデと直感した。「うわーっ」とさけんだかと思うと、飛び起きざまに布団を跳ね除けたのだった。なんとその直感は大正解で、黒光りしてゾロリとした『それ』は突然の出来事に狼狽の様子。あわてて上から布団で押さえ込み、いびき高らかに熟睡中の我が連合いをたたき起こすのだった。なんとも冷静な彼女、目をこすりこすり、スーパーバッグとティッシュの二重構造即席手袋で早業のムカデ確保。第一巻の終わり。

 恐怖は時が立つにつれ増幅し、とうとうぼくの早朝のまどろみの続きは訪れないのだった。我が家には大中3匹のネコがいるものの、小型のムカデはじゃれて退治こそすれ、我が主(あるじ)の生死を別けるかもしれない大物には後ずさりするばかりで手も出さないというお粗末。おいお前ら、ここは『いざ鎌倉』なんとかせんかい。


494 名古屋港のGMナタネ調査
07/06/15


去る5/26日、名古屋港潮見埠頭から国道23号線竜宮ICまでのセイヨウナタネの自生調査と抜取りをしました。潮見埠頭先端部分には製油会社があり、自社の埠頭で輸入ナタネの陸揚げ、保管、製油業務を一環して行っています。

通常、海に突き出した埠頭ですべての業務を行う場合、埠頭外へのナタネの逸出の可能性は極端に少なくなります。にもかかわらず04年から3年間、十数回の調査を行った結果、継続的にセイヨウナタネの自生が確認されています。

今回の調査と抜取作業は昨年5/20以来、すでに1年目ということでその結果については非常に興味深いところでした。この間、遺伝子組み換え食品を考える中部の会の会員単独での見聞が行われてはいたものの、正確な状況の把握はできていませんでした。
潮見埠頭の製油会社から国道23号竜宮ICまでの道程は約8Km。その行程を今回の参加者10名で3つのグループ(G・O・Y)に分け、徒歩で調査しました。

G(緑)グループ:製油会社〜2.5Km
特に目立ったのが中央分離帯でのセイヨウナタネの自生。そのほとんどが種子を放出している状態で、合計10株ほどを採取。すべてが除草剤バスタ(LL:リバティリンク)耐性GMナタネでした。

O(橙)グループ:〜潮見橋を越え、船見交差点まで
この間は05年春の調査で大量のGMナタネ(除草剤ラウンドアップ耐性)の群落を確認しましたが、昨年春より大掛かりな除草作業が継続的に行われているため、セイヨウナタネの自生は見られませんでした。ただしそれ以外の場所では除草作業はほとんどなされておらず、車道脇の歩道も雑草が繁茂し歩行困難なところもありました。これはセイヨウナタネの特性なのかもしれませんが、繁茂した雑草の中では競合に負けてしまう傾向があるからなのかもしれません。結局この区間で確認されたGMナタネは1株にとどまりました。

Y(黄)グループ:〜国道23号竜宮ICまで
この区間はとくに車の通行が頻繁な県道55号で工場や民家も多い。さらに大掛かりな路肩の工事中ということもあり、調査をする前にはセイヨウナタネの自生を確認することは難しいと考えていました。しかしながら、工事対象となっていない中央分離帯での自生が目立ちました。中央分離帯ということで危険を伴うことと、セイヨウナタネのあまりの多さに、すべてを引き抜きし、撤去回収し、燃えるゴミとして処理することができませんでした。幸いGMナタネは船見交差点でバスタ耐性ナタネが1検体確認されただけでした。

今回の調査抜取の結果
四日市港周辺と比べるとGMナタネの頻度は低いものの、撤去回収された量は格段に多かった。ちなみに四日市港から津市までは40Kmの行程があるのに対し、名古屋港の場合は8Kmと1/5の距離にすぎません。にもかかわらずこれだけの量のセイヨウナタネの自生を許してしまっている現状に憂慮せざるを得ません。

さらに今回の調査で明らかになった点として、潮見埠頭からの陸路によるナタネの移送が行われているという事実です。昨年の中部の会からの質問に対する製油会社の回答では、その事実はないとのことではありました。しかしながら今回の結果を含め、過去の調査においても継続的にセイヨウナタネが放逸、自生という現実がある限り、大きな矛盾があるといわざるを得ません。

理由がどうあれこの現実を踏まえ、関係機関の適切な対処がのぞまれます。このまま放っておくと、今のところは『点』で済んでいるセイヨウナタネの自生が『線』へ、さらには面へと拡大してゆく可能性があります。条件さえ合えばセイヨウナタネは、雑草としてその勢力を広げることができてしまう。さらに近縁種との交雑の可能性も・・。

すでにわたしたちの生活圏まで迫っているGM作物。特定外来生物に指定されるばかりか、農業に対する悪影響や、私たちの内なる自然、身体の健康にも影響を及ぼすことになってからではおそすぎるのではないでしょうか。

今ならまだ間に合うのかもしれません。
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495 漕げよマイケル
07/06/20


Michael, row the boat ashore, hallelujah の繰り返しでおなじみの『漕げよマイケル』は、米国の黒人霊歌、ワークソングとしてばかりでなく米国民謡としても親しまれています。

ジョージア、フロリダ州の沖に連なる小さな島々で歌われていたものが見いだされ、1867年に『米国の奴隷の歌』として発刊されたのがきっかけで、この歌が知られるようになったらしい。

これらの島々は Sea Ilands と呼ばれていて16世紀にスペインにより発見され、17世紀に英国の植民地にされました。そこは景色もよく白人たちの別荘などもたくさん建てられたのでしょう。本土と島々とはもっぱらボートで行き来がなされましたが、その漕ぎ手として黒人奴隷が使われました。海路の途中で奴隷たちが舟歌を歌うことが許されていたかどうかはわかりませんが、とにかく『漕げよマイケル』はそんな中で歌われたのでしょう。

『漕げよマイケル』には他にも原詞とおぼしきものもいくつかあるようですが、意味は大体次のようなもの。♪マイケルよ向こう岸に向けて舟を漕げ♪仲間たちはみなこの舟に乗っている♪ヨルダンの川は広い♪向こう岸にはしあわせがある♪だからマイケル、舟を漕げ♪川はとても冷たい♪その流れはわれらの身体を殺せても、心までは殺せない♪マイケルよ向こう岸に向けて舟を漕げ♪。

ここでその中に出てくる象徴的な単語を挙げてみます。@Michael Ahallelujah BJordan’s river Cthe other side (ashore) Dchill などが挙げられます。そしてそれぞれが意味するものは・・。

@大天使ミカエル:聖書の中で悪魔と戦った
Aハレルヤ:神をたたえる呪文
Bヨルダンの川:『三途の川』にあたる意味
C向こう岸:あの世
DChill(冷やす) = kill(殺す)

黒人たちは奴隷であるわが身を憂い苦しみことしか本来ならできないという立場でした。しかし、そんな境遇にもかかわらず彼らは楽天的な天性からか、いつも希望を持っていた。労働歌や神を讃える賛美歌などを歌いながら、苦しさを紛らわせたのかもしれません。

一見勇気や喜びを喚起する力強い労働歌のように聞こえますが、その意味するところは決して明るいばかりとはいえません。奴隷の身としては、舟にいる限り冷たい水に阻まれて自由にはなれません。でも「向こう岸に着けばしあわせがあるのかもしれない。」と希望をもっている。この歌を歌いながら舟を漕ぎ、お互いのしあわせを祈る。

白人社会の富と繁栄はアフリカなどから1000万人以上とも推定される黒人たちを拉致し、粗末な食事だけで働かせることで得られたといっても過言ではないかもしれない。白人たちが黒人たちに味あわせた苦痛はいかばかりであったことだろう。黒人たちはお互いふるさともちがい、言葉もわからず、憎むべき英語でしか会話することができなかった。忌の際にいても、その英語で音楽を口ずさみ、希望を抱こうとしたのです。それにしてもこの歌、神に対してなんという讃え方なのでしょう。

その『漕げよマイケル』は今や黒人だけの心の歌ではありません。米国人すべてが高らかに歌う民謡です。この歌のメロディのすばらしさ、詞のすごさ。おそらくこの歌を歌う米国人はみな、自らの暗い過去の断片を思うはずです。

どんな境遇にあっても音楽と希望を忘れなかった黒人の文化。その寛容の心に許されている白人社会。なにかわからなくなってしまうのはぼくだけなのでしょうか。



496 遺伝子組み換えナタネ抜取隊
06/07/05


遺伝子組み換え食品を考える中部の会(以下、中部の会)では04年夏より、20数回のセイヨウナタネの自生調査を重ねています。昨年7月以来、中部の会での自生調査は三重県四日市、愛知県名古屋港周辺で5回の調査と駆除作業を行っています。それ以前の中部の会の活動では、両港周辺での遺伝子組み換えセイヨウナタネの追跡調査がその主な目的でありました。

四日市港周辺では新たな局面へ
昨年7月の調査で明らかになった事実として、それ以前は国道23号沿線で『点』として確認されていたセイヨウナタネの自生が『線』の状態へと拡散の兆しを見せ始めていることがわかりました。

中部の会ではセイヨウナタネの自生が『点』から『線』、さらには『面』への拡散へと発展しかねないという危機感を覚えざるをえず、それ以後の活動を『調査』から『駆除』へと移行することとしました。

『遺伝子組み換えナタネ抜取隊』
中部の会では『遺伝子組み換えナタネ抜取隊』として現地での活動をセイヨウナタネの調査・抜取りとしました。しかしながら四日市港から津市までの国道23号線の道程は約40kmと長く、少人数での抜取りは大変な作業となってしまいます。またこの道路は自動車の往来が多いため、とくに道路内や中央分離帯に侵入しての抜取作業には危険が伴います。安全面を考慮して、中央分離帯に自生するセイヨウナタネは抜取らないこととしました。

10/9、『遺伝子組み換えナタネ抜取隊』に向けての準備を兼ねた調査を行った結果、11/25の第1回では安全面での万全を第一に優先することし、国土交通省と鈴鹿市警察署に道路使用許可を得た上で抜取作業を行うことにしました。

50名以上による第1回抜取隊
第1回目ということもあり、多くの参加者を集めての『抜取隊』となったため、全員が傷害保険にかかっての作業ということになりました。その結果、11月にもかかわらず50Kg以上のセイヨウナタネが抜取られ処分されました。

なお当日、関連する製油会社も『抜取隊』に参加していただくことができ、国道23号沿線のセイヨウナタネ根絶に向けて大きな第一歩となったといえます。

なお、関連製油会社による前向きな姿勢は今回が初めてではなく、以前からも中部の会との協力態勢のもと、可能な限り情報の交換をしながらのセイヨウナタネの駆除活動を行って来ています。中部の会として頻繁な『抜取隊』による駆除作業が難しいのに対し、関連製油会社には定期的な抜取作業を敢行していただいています。

昨年11月以降、中部の会による四日市港周辺での『抜取隊』は3/7に行っています。

名古屋港潮見埠頭周辺では
セイヨウナタネの自生は名古屋港潮見埠頭周辺においても深刻な状況となってきています。これは中部の会がGMナタネの調査活動を始めた04年から不定期に行ってきた調査から明らかなものとなっています。

とくに5/26に行った潮見埠頭周辺での『抜取隊』では、一度の行動では処理しきれないほど大量のセイヨウナタネが抜取られ、参加した隊員一同おどろきの念を隠すことができませんでした。この現状が四日市の場合とは異なり、潮見埠頭の関連製油会社から国道23号線竜宮ICまでの約5kmという短距離の区域に限られている事実が大きな懸念材料ともなっています。さらに竜宮ICより先の行程が高架道路という構造になっているため、セイヨウナタネの自生が確認しにくく、行き着く先を特定することが困難となってしまっています。

セイヨウナタネの行き先が不明
中部の会で一昨年秋行った関連製油会社との会見では、潮見埠頭から社外へのナタネの陸路移送は行われていないという回答を得ています。にもかかわらずセイヨウナタネの自生が継続的に確認されてしまうという大きな矛盾が顕在してしまっています。
今後さらに関連製油会社への折衝を行っていくことで、不明な点を明らかにしてゆく必要がある。名古屋港潮見埠頭周辺からその行き着く先までの『抜取隊』の活動範囲を特定しない限り、セイヨウナタネの拡散を根本的に防ぐことは不可能といわざるをえません。

名古屋港での問題点
名古屋港周辺と四日市港周辺とでは大きな状況の違いがあります。それは三重県での問題が地域に密着した製油会社が関連して起こっており、その解決への行動が製油会社自ら行われているのに対し、名古屋港での関連製油会社ではそういった取り組みがまったく行われていないという現実です。今後、名古屋港潮見埠頭の関連製油会社の社会的責任についても問いなおしていかなければならないでしょう。

遺伝子組み換えナタネ抜取隊
私たち中部の会の活動は昨年11月から大きく方向を転換することとなりました。それはそれをさかのぼる7月の調査でセイヨウナタネの拡散の兆しが明確になったためです。このレジュメの冒頭でも述べたように、セイヨウナタネの自生が『点』から明らかに『線』への発展の兆しが見られるようになった。この拡散が『面』へと移行した場合、セイヨウナタネは雑草化することとなります。さらに雑草性の高いカラシナなどにその遺伝子が伝播すれば、まったく駆除しきれない名実ともにスーパー雑草と化してしまうことにもなりかねません。

GMナタネの解消に向けて
私たち中部の会では活動を『抜取隊』に集中してゆかなければならないと判断しています。しかしながら定期的に、しかも動員力をもって、さらに定期的継続的に行ってゆくことの難しさを痛感せざるをえません。そのためには時間的・資金的に限りがあります。

現在中部の会が直面しているGMナタネの問題は、私たち市民団体が単独の自主的活動で解消できるものでは決しないということです。そのためには関連するメーカー、道路や河川敷を管理する自治体なども加わらなければ到底不可能と言わざるをえません。それぞれの個人・団体が可能な範囲での対策をするだけでも、事態は大きく変わってゆくものと確信します。

四日市港周辺での現実
今年3月の『抜取隊』で明らかとなった点として、セイヨウナタネの拡散が大幅に縮小されていたことでした。とくに私たちが最も懸念していた鈴鹿川支流の内部川河川敷での除草作業がカラシナの花盛りとなる春を前に行われたことは大きな成果でした。これはセイヨウナタネとカラシナが混生する状況の中での『交雑』の可能性を絶つことができた点として、大きく評価されるものです(通常、国土交通省では春先の全面除草作業は経費の関係で行わない)。

これらの一連の対策の原動としては、私たち市民団体の地道な努力も一躍となるのかもしれませんが、明らかに見えざる国という行政の力も否定することはできません。つまり、GM作物やその技術を推進する立場である一方で、国である農林水産省にはその拡散を懸念する一面もまたありうるということです。

継続的で敵を作らないことの重要性
私たち中部の会の最終的な目標としてはセイヨウナタネの拡散を防ぐことにほかありません。そのためには関連会社、団体、行政などの協力を無視することはできません。GMナタネまたはGM作物について、自然界での拡散を望むものは決して大半ではないはずです。

日本各地でのGMナタネ駆除活動
中部地方での『抜取隊』のほかに関東や北九州でも地道なセイヨウナタネの駆除活動が行われています。その結果としてセイヨウナタネの拡散は確実に防がれています。

現在ナタネを輸入している主な港は右に挙げたように全国9ヶ所です。そのうち問題となっているのは鹿島港、千葉港、名古屋港、四日市港、そして博多港です。そのほかの港周辺では大きな拡散の兆しは今のところ確認されていません。

しかしながら、拡散は以外にも私たちの認知しない業種、場所で起こっていないとも限りません。たとえば製油会社の備蓄用サイロの清掃から出る『サイロダスト』や汐濡れしてしまったゴミとして処分される穀物の行方。あるいは製油会社への輸送中、こぼれた穀物を目当てに群がる鳥たちが、離れたところで糞をすることで起こりうるGMナタネの拡散。動物の飼料が原因で起こるかもしれない拡散。その他考えられない方法での拡散もあるかもしれません。さらに視野を広げての調査活動も行ってゆく必要があるでしょう。

GM作物の安全性の是非もさることながら
GM作物・食品の安全性の是非を問うことは確かに重要なことです。しかしGM技術を使った食品・医療がこれほどに多く入り乱れる中、そのひとつひとつを検証しなおすことは非常に困難です。総じてGM技術が私たちの環境・健康になんらかの危険性を及ぼしうる可能性があるとすれば、それが将来取り返しのつかない状況に陥ってしまわないうちに、最低限拡散を防いでゆく必要があるのではないでしょうか。

その第一歩としてセイヨウナタネのGM検査、さらに拡散解消に向けての『遺伝子組み換えナタネ抜取隊』の実行を進めてゆきたいと考えます。今ならGMナタネの雑草化を防げるかもしれません。そのためには、関連の団体、企業、行政による地道で継続的な活動を望むしかありません。

遺伝子組み換え食品を考える中部の会によるGMナタネの調査・抜取隊については、以下のホームページを参照してください。
 『遺伝子組み換えイネ研究会』:
           http://www.kit.hi-ho.ne.jp/sa-to/
また、遺伝子組み換えについての詳しい情報は
 『遺伝子組み換え情報室』:
           http://www2.odn.ne.jp/~cdu37690/


497 水 没
07/07/07



 携帯電話の話題。もう何年も前、それは海に釣に行ったときの出来事。その日も黒鯛を釣りたいとの一念で(そうは問屋が卸さない)某釣り場へ参じたのだった。知り合いから『おもしろい』と教わり(ほんとはちっともおもしろくなかった)、さっそく釣行。その釣り場は駐車場からも近くで安全なポイント。護岸はいろんなかたちの石をゆるい傾斜で組んだ石畳様になっていて、足場も比較的しっかりしている。ただし石畳の隙間はけっこうあるため、気をつけないと足を突っ込んだり、何かを落としてその隙間の海水にボチャンということになる。

 ぼくなぞ、人一倍用心深い性格の割りにはその緊張というか慎重の持続力のなさ、または要するにやはり何だかんだ言って不注意な性根がその性格を帳消しにしてしまっているのかしらん。とにかくいざというときに用心深さがどこかに行っちゃうところが情けないところ。

 とにかく、これだけは海に落としてはいけないと、携帯電話には先っぽにしっかり止まるクリップの付いたストラップをくくりつけるという用心深さ。普段出かけるときや愛犬の散歩の時などには、「クリップよし!」の号令ではないけれど、万全の体制で事にあたる。

 にもかかわらず肝心なときに限って、そういうことをどこかへうっちゃってしまう無用心な性根。釣り場に着いてかがみ込んだ折、何かがボチャンと落ちた音? しばらく考えたうえでの結論は『携帯電話』・・。石の間に手を突っ込み、かろうじて回収。でも後の祭り。海水は容赦なく電気系統を腐食します。

 以後、今度は万全を期すため、首から提げてしまおうという方式に決着。もう落とすことはないでしょう。と安心していたらそうでもなかった。

 先日、首から提げる方式のおかげで3年以上無事で過ごした携帯電話が故障して、ケータイショップで新機種に変更。今回も万全のこれしかない首から提げる方式。実際この方法なら海に落とすはずがないのだからして。

 その日も、黒鯛を釣りたいの一念でわが釣友と夜も空けやらぬうちから繰り出すのだった。途中、エサになるカラス貝を採取してゆこうということになり、某港の某桟橋に立ち寄る。竿の先に熊手を取り付けたお手製の道具でカラス貝を掻き取り、首尾よく釣りえさ確保。さあ行きましょうと思って踵(きびす)を返して歩き出した瞬間、漆黒のなにやらキラリと光る面を確認。と思ったら次の瞬間、泡立つ海中を浮きあがるぼくを確認するのでした。夏服なのに長袖、ジーパンではとてもじゃないけど一人では桟橋を這い上がれるものではありません。すぐに釣友のサポートのおかげで無事生還。と思ったらなにやら胸ポケットでジリジリ電気のショートする音。勝手にブルブルマナーモード。携帯電話を落とす可能性は限りなくゼロに近づけたはずなのに、自分が海に落ちるという可能性がなんとゼロではなかったことの驚き情けなさ。たった10日間の寿命の新型ケータイ。うーん。

 さらに海に水没防止のよい方法を思いついた。頭の上に紐で縛り付けておく。


498 草刈機
07/07/23


 自前の畑があるというのはなんとも張り合いのあるところなのだけれど、反面、春、梅雨、夏ともなるとそんなわけにもいかない。めくるめく生物の息吹高らかな季節なのだから、おのず雑草も燃えるがごとく夏を謳歌することとなる。温暖化の原因となる二酸化炭素を消化してくれるのはありがたいけれど、雑草のしたい放題にしておいては後々大変なことにもなってしまう。それに世間では世間体もあり、そうそう畑を荒らしておくわけにいかない。

 というわけで雨間をぬっては今日もエンジン音高らかに草刈機(ほんとうは刈払機と呼ぶらしい)の出動。毒虫毒蛇にやられてはショック死の恐怖の付きまとうわが身なのでゴム長、長袖シャツの井出達だけは決める。それと回転する草刈歯がはね飛ばす異物が目に当たらないように防護メガネ、日よけの帽子と汗拭きタオルも忘れずに。ガソリン満タン、約500ccで1時間以上の作業可能。

 現場についてエンジン始動。ちゃんとスイッチをオンにしておきましょう。でないとエンジンが掛かりません。燃料バルブは閉めておいてスタータロープを引く。掛かりそうという確かな感触で燃料バルブ『開』。ここでスタータロープを引けば『バババッ』と軽快な爆音。さあ作業開始。

 エンジン動力を使うため危険も伴う草刈機だけれど、とにかくこれほどに便利なものもちょっとない。だって一人でこんなに広い面積の草を刈ることができるのだから。もしこれがなかったらと思うと不安さえ感じてしまう。

 それではむかしはどうだったのだろう。中学の頃、ぼくらは草刈鎌一丁で『堆肥増産』などという大号令のもとで、全学一斉に近くの川の土手の草刈をしたものだった。しかも刈り取った草はすべて学校に持ち帰り堆肥化したもの。夏休みのいちばん暑い時期の行事だった。

 もっとむかしはどうだったのかしら。もしかするとにもかかわらず、文明の利器の手を借りられる現代なんか比べ物にならないくらい里山は整備されていて耕作放棄地もなかった。人々は共同で草刈鎌一丁片手に、丹精込めて里山を守っていたし、育てていた。刈った草はちゃんと堆肥にして畑に入れて土を肥やす材料にしていた。

 それにひきかえ現代に生きるぼくなぞ、ただ『目ざわり』だからだとか、周りに『恥ずかしい』とかいう情けない動機も含めて夏の草刈をしているという始末。

 梅の木を植えた畑の向こうは急斜面で杉の木がたくさんの森になっている。でもよくみるとそこはむかし畑か田んぼだったことの証に、石で積んだ段々畑の名残が見て取れる。人々の生活の息吹が見えてくるような生々しささえ感じられるほど、その石組みにしばし見とれる。むかしの人たちはこんなところまで耕していたのかとおどろいてしまう。彼らはなんとはたらきもので、しかも自然と共存し、その恵みを受けていたことだろう。

 経済性と利便性を最優先し、共同という人と人との尊い関係を無視してしまっているぼくたち現代人。そんなことを考えていたら、便利で効率的な草刈機のエンジン音がなんともさびしく山付きの畑に鳴り響くのだった。


499 バイオ燃料用米
07/08/03


 バイオ燃料用米について話題になっています。また国でもその実用化を目差すという意志表示をしてるようです。とはいえ、コストの面でとうてい無理だといわれている日本でのバイオ燃料の工業生産。減反だ耕作放棄だで農地の荒廃が問題になっている昨今、それを解決する切り札となりうると真面目に考えてのことなのかどうなのか。はたまた振ってわいたバイオ燃料ブームはやっぱりブームで終わるのでしょうか。また、植物の成長で消費される炭酸ガスが燃料の燃焼で消費される酸素を帳消しにするため『エコ』という、なんとも故事付けとしかいえない理屈ともあいまって、またまたバイテク企業の出番となってしまうのでしょうか。

資源米の試験栽培
 新聞によれば最近、バイオ燃料用米の試験栽培が民間でも行われています。これは国から県に依頼があり、民間でのテストもという状況のようです。今年愛知県の農家(西尾や弥富市の)でも試験栽培されているのは『タカナリ』という品種。これは茨城県農研の品種でインディカ種(長粒種)系。最近作られた品種ではなく、1991年に登録されたもので固定品種です。食味はよいとはいえないので、国内で食用として栽培されることはないでしょう。

バイオ燃料米はコストに見合うのか
 バイオ燃料用としては将来化石燃料が10倍以上の価格ともなれば話は別ですが、現状では生産コストの点で現実的とはいえないようです。生産コストを下げるには収量を上げることが第一の目標となります。現在数値としては『タカナリ』の120〜130%収量増(通常反収600Kgのところ900Kgくらい)といったところ。これはたくさんの肥料を投入しての数値とのこと。しかしながら、せめて500%くらいの収量が得られないとコストの問題は解決できない。つまり生産コストを1/5に絞らなければ現実的とはいえません。ただし、籾のほかにわらもすべて含めれば、いずれも炭水化物の量としては同じため、これを効率的にアルコール化することができればまんざら夢でもない。

籾以外は短期の分解が難しい
 とはいえ、籾以外の部分ではセルロース(植物性繊維)とさらに難分解性のリグニン(木質の硬い部分といえばいいのでしょうか)がほとんどで、これでアルコールを得るには一旦糖に転化する必要があり、その効率的な技術は現状では難しいといわれています。

 それに比べ南米ブラジルなどでサトウキビからエタノールを得る方法はいたって合理的なものかもしれません。サトウキビの多くの部分はアルコールに転化しやすい『糖』なのですから。しかしサトウキビ畑のために、多くの貴重な熱帯森林が伐採されてしまう結果にもなりかねません。

 米国のブッシュなどが言うように、ヨシやススキに似たスイッチグラスなどの放っておいても育つ雑植物を利用できるとなれば、低コスト化も考えられないわけでもない。それが可能ならば資源米タカナリのわらも使えるのかもしれませんが、それならばわざわざお金をかけて米を作る必要もないわけです。今茂っている栽培放棄地の刈り草を燃料化することを考えたほうが合理的かもしれません。

遺伝子組み換え技術は有効か
 資源米の生産コストを問題にするならば、一にも二にも収量を上げる以外に方法はなく、ここではGM技術は出番とはなりにくいのかもしれません。実際、収量が5倍にもなるという夢のような品種が出たためしがありませんが、食味を無視できるとあれば、それこそスイッチグラスのような雑草の遺伝子を組み込んだGM米なども可能かもしれません。ただしそのようなGM米の近くで、私たちの食べる米が栽培されるとしたら混入、混雑はさけられるはずもなく、食の安全の保障が難しくなってしまうかもしれません。放っておいても増えるGM雑草など、物騒極まりなしといったところです(そんな品種をバイテク企業が開発するはずがない)。

 また、今までにバイテク企業が開発・発売してきた鳴り物入りのGM作物が農家の利益アップに役立った例はなく、いずれも収量は落ちてしまっている。ひたすらコストを引き下げなければならないバイオ燃料用の資源米では、高い種子をメーカーから買ってまで栽培はしないのではないでしょうか。

 ただしこれだけは断言できます。バイテク企業は『バイオ燃料』ブームを足がかりに、なんとかその座を守るべく、まことしやかでいいことづくめ、自分の会社が儲かるだけのGM品種を知恵をしぼり、必死で考えているのではないでしょうか。

バイオ燃料は是か非か
 話がそれてしまいましたが、バイオ燃料は是か非かという問題があります。現代の資本主義経済を維持するためにはとにかく消費をし、燃料を燃やし続け、拡大し続けなければならないという宿命があります。にもかかわらず環境問題は緊迫しており、私たちの生存を可能にするためには切り詰めなければならない状況になっている。バイオ燃料ならいくら燃やしてもプラスマイナスゼロなのだから是なのだという考えは明らかにおかしい。燃やせばとにかく二酸化炭素が出てしまうわけで、現状維持は目標としては決してふさわしいものではありません。

 農作物を作るのであれば、それは人々の命をつなぐものでなければなりません。世界に貧困と飢えに苦しんでいる人たちがたくさんいます。その人たちを救うどころか、ますます窮地に追いやりかねないバイオ燃料ブーム。エコロジーだかなんだか知らないけれど、それ以前にこんなことではちっとも人にやさしいとはいえません。経済を活性する、伸ばすとは、誰かが富むとは、誰か弱いものを食うことでしかありえないのではないでしょうか。

 人類はとうとう自然からの恵である『食べ物』まで燃料にしようとしています。子供のころ「ごはん粒をおろそかにすると目がつぶれる」とまで言われたものです。子供たちへの『食育』で、それをどう説明したらいいのでしょう。

 それとも将来、自動車のエンジンを掛けるとき「いただきます」と唱える時が来るのでしょうか。
スィッチグラス
イネ科の多年草。牧草にも使われる雑草で繁殖力が強い。日本でいえばススキなどに似ていて、背丈は3mほどにもなる。


500 神谷製菓さん
07/08/15


愛知県岡崎市福寿町周辺という地域はむかしから製菓業が盛んなところ。この町内だけでも3軒ほどのかりんとうメーカーがあります。おそらく岡崎城の城下であり、東海道の沿線でもあるこの界隈で各種の業種が同じ地域に集まる、かつての『座』の名残なのかもしれません。

神谷製菓を訪ねました
道長では2007年より地元産の小麦粉を使い、とことんこだわったかりんとうの企画を始めました(おかげさまで好調です)。

そのかりんとうを作っていただいているのが、今回見学をさせていただいた神谷製菓さん。現在若き三代目に引き継ぎをしようとしているかりんとうの専門メーカーです。従業員は二代目武司さん夫婦とその息子忠弘さん、そしてパートさん2名というこじんまりとした構成。

以前、神谷製菓さんにかりんとうをお願いするにあたって、道長で地粉を使ったかりんとうの試作をしたことがありました。ちょうどいつも野菜作りをお願いしている鈴木慶市さんが、某かりんとうメーカーの役員をしみえることもあり、そのサポートのもと、音羽の地粉でもかりんとう作りが可能と確信を得ることができました。

とはいえ、地粉でかりんとうというのははじめての経験ということで、神谷さんに作っていただけるかどうか心配しましたが、なんと快く承諾していただけたのでした。

かりんとう作りについて
神谷さんの工場には、かりんとう作りに欠かせない機械が並んでいて、一連の作業が途切れることなく効率的に行えるように工夫されています。
作業行程:
@
小麦粉、水、酵母菌、ごま(風味付け)、塩(少々)をパン用『練機』で練る

A
発酵させる(ここが肝心)

B
麺用『圧延機』で3段階に帯状に延ばし、3回目で決まった大きさに切る

C
『フライヤー(油揚げ機)』で揚げる

D
『かく拌機』で蜜かけ(煮詰めておいた砂糖を揚げあがったかりんとうにからめる)

E
『乾燥機』にかける

F
平場にあけ、扇風機で荒熱を取りながら目視での検品・選別

G
『計量・袋詰め機』で袋詰め

H
『金属探知機』で金属検査

I
目視で再度検品 → 箱詰めして出荷



かりんとう作りは以上のような作業工程で行われます。すべて流れ作業のため一見単純に見えますが、実は経験と勘をともなう職人技の仕事です。原材料は基本的に小麦粉と酵母菌だけですが、それを練るのに加える水の量と発酵にかける時間がかりんとうのできばえを決めるカギとなります。季節と湿度、温度に加えて、地粉という未経験の材料にさらに酵母の量を決め、練り合わせ発酵させる。それぞれの条件を職人技でカバーすることになり、とくに作業工程の@Aがかりんとうのできばえを決定するといってもいいでしょう。

以上、肝心な職人技の部分はまだまだ二代目武司さんに負うところが大きいようですが、三代目忠弘さんに引き継がれてゆく中で、また新しいかりんとうの世界も見えてくるのかもしれません。今後の活躍に期待します。

道長としてもこだわりかりんとうの神谷製菓さんと出会うことができ、ほんとうに幸運でした。

『地粉 かりんとう』  100g  260円
道長の通信販売でも購入できます。

原材料について:
小麦粉こだわり農場鈴木さん(愛知県音羽町)の小麦を愛知県武豊町のわっぱの会知多共働事業所が製粉しました
黒 糖沖縄県西表島産
なたね油
太田油脂(愛知県岡崎市)、オーストラリア産(非遺伝子組み換え)ナタネ使用
溶出剤ノルマルへキサン不使用の圧搾絞り。消泡剤など無添加
洗いごま和田萬商店(大阪市)、愛知県安城市産の金ごま使用
麦芽水あめ馬鈴薯でんぷん(国内産原料非遺伝子組み換え)、大麦麦芽(カナダ産)
天然酵母白神こだま酵母:秋田十条化成(秋田県秋田市)
福建省塩業輸出公司(中国福建省)



『道長だより』も今回で500回となりました。年間に50週として10年間ということになります。道長が愛知県音羽町に移転してまる13年が経ちましたが、ぼくの記憶ではそのころにはすでに『道長だより』を毎週ではありませんでしたが、ファックスを利用して一部のお客様に送信していました。

そのうちに道長からの通信をしなければと思い、どうしても忙しい場合をのぞいて、ほとんど毎週お便りを書くようになりました。ぼくはどちらかというと文章を読むのはあまり得意なほうではありません(読書はきらいではありません)。学生のころは一通りの文学者といわれる、夏目漱石をはじめとする有名なところを読みましたし、今でも電車に乗るときなど本は欠かせません。でも最近では寝る前に寝床で読んだりする機会はまずありません。老眼鏡が必要になってしまったこともあり、寝床に入るとすぐに寝てしまうから。いちいち凸レンズをかけるのも面倒くさい。

あまり専門的な知識があるわけでもなく、またひとつのことだけに集中しても疲れてしまうため、書こうとする内容も取り留めのないように心がけています。それに堅苦しい『である調』も苦手。ただ思いついたことを書きとめています。

ちっとも面白くない『道長だより』のこともありますが、これからもどうか末永くお付き合いをお願いします。またリアクションもいただけるとありがたいです。