501 婚 姻
07/09/03

 人はなぜ結婚をするのだろう。単に生物学的に判断すれば、種の保存のための行為ということになるのかしら。でもその目的を達成するだけならば、人間以外の生物のようにあるシーズンに一斉にしかるべき行動を起こせば事足りるのかもしれない。そんなことをいってしまうと身もふたもないけれど、はたしてその行為が婚姻なのかどうなのか、という疑問に対する明答はしずらい部分もあるのかもしれない。けれども、産卵期に入る魚などのオスがその美しさを誇示する際の色彩のことを『婚姻色』と言うくらいだから、その行為だけを指しても『婚姻』と定義付けてもよさそうな気もする。

 カラスやペンギンなどのように、人間のほかにも婚姻を機にお互いが一生連れ添う動物もいる。だから人もたまたまそんな生物の仲間であるということなのかしら。カラスやペンギンが一体どんなことを考えているのかわからないけれど、案外人間とあまりかわらない心情、心理なのかもしれない。

 とにかく、人間社会では『婚姻届』をもってして、やっとのことでその行為は完結するという、いささか複雑な手続きを踏まなければならないところが厄介というもの。それほどに第三者というべきか、法律という幻想をテコにして『婚姻』をゆるぎない既成事実として歴史に刻まざるをえないところが、なんともへんてこな話。その行為をはっきりとさせておかないと後々問題がおきたとき、収拾が付かないからなのかもしれない。

 いずれにせよ人はこれという異性を意中のものにすると、それを機に婚姻を意識することにもなる。その意識は次第に増幅され、ある意味その行為に焦がれてしまうことにもなりかねない。何が何でも、死ぬほど、天と地がひっくり返ろうが、恥も外聞もなく、なり振りかまわず、いったん火がついてしまうと婚姻を達成しないではいられない(このあたりはほかの生物と変わらないのかも)。このご時世、そのため『命を捧げる』輩まで現れる始末。新婚が蜜月などと『月』にたとえられるごとく、はっきりいってこれはあまり正気の沙汰ではないのかも。

 じつはなぜ今ここで『結婚』『婚姻』などと考を巡らせてしまったのかというと、ぼくの下の息子が明日まさにその行為をするからに他ならない。何年かの交際期間の後、おもむろにその行為に到達しようとしている。

 ぼくもかつて今の連合いと『婚姻』をしたことがある。まさに『婚姻』とはその行為の完結であったと、今ぼくは実感することができる。要するに幸福も婚姻という行為を機会に頂点に達するのかもしれない。だからといってそれ以降は『下り坂』ということになってしまうというわけでもないと確信する。これは考え様で、婚姻という常軌を逸した事態から脱し、平坦で平常心をとりもどした状態に帰るだけなのだから問題はないのでなないかしら。

 いずれにしても、時がたつに従い、子供ができ、いろんなことがあり、意識もいろいろに移り変わる。かくしてぼくは息子の婚姻を機にその行為について考えている。

 あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている(バルザック)。


502 苦境を越えて
07/09/03


 毎年8月と1月になると高校時代のともだち5名(ぼくを入れて)が集まることになっている。今夏もそのための連絡をし合い、その日にちを決める。

 そのうちのひとりにソームというあだ名(クラスの総務委員だった)の人物が居て不幸にも昨年、彼は21歳の息子を失ってしまった。だから昨年の夏の集まりの際には悲しみのさめやらぬ彼を気遣い、いっそのことこのたびは集まるのをやめて、そっとしておいてあげたほうがよいのかしらとか迷った挙句、でもやっぱりということで・・。でも彼がなるべく口を開かないで済むよう、バーベキューでもやって食べて(やっぱり口は開くけど)しまおう。とにかくそれが彼のなぐさめになりますようにという願いを込めて。

 当夜、それでも彼の不幸に触れないわけにもゆかず、彼も同じでその心境を語ったにはちがいないけれど、そこら辺はさらりと切り上げて、ひたすら『食べる』ことでお互いの親交を確かめ合うのだった(それほどに彼の悲しみは大きかったにちがいなかった)。そして今年の正月も『食べた』。

 あの不幸からまる一年が経過し、恒例なので今年の夏もみんなで集まろうということになった。夜からの集合ということもあり、やっぱり今回も『食べよう』とぼくから提案。でも今度はもう彼の気持ちを気遣うということでもなく、ただ残暑を『キムチ鍋』で乗り切ろうとありあわせの材料を持ち寄る(じつはこの『集まり』は明日)。整体院をしているS氏には豚肉と家庭菜園(けっこうな規模)でとれたジャガイモ。ぼくには漬物用の野菜と味自慢の『キムチ鍋のもと』。自動車の運転があるからアルコールは抜きだけれど、やっぱり『食べる』というのは親交を深めるのにはうってつけ。

 先ほどソーム氏に『食べよう』という提案をするため、彼の携帯に電話してみた。携帯電話は趣味ではないようで、いつ彼に電話をかけても留守電状態なのに今回に限ってちゃんと応答がある。しかもその声はとても明るく、取り越し苦労のぼくはほっとする。「一発で電話がつながるなんてめずらしいね」とぼく。「そうそう、電話の呼出(着メロ)が『森のくまさん』だもんな」と彼。そして明日の『食べる』の予定を彼に伝えたのだった。

 息子の不幸から15ヶ月。なのに彼はあんなにも元気で明るい。もしもぼくが同じ立場に立たされたとしたら、はたしてそんな苦境に耐えられるんだろうか。悲しみと苦しみに打たれたら、もう立ち直れないかもしれない。

 もっとも四六時中そんな風なのじゃなく、仕事の最中やぼくらといっしょの時なぞには、そのことを考えずにすんでいるのかもしれない。むしろひとりのとき、なにかあったとき、苦しみはどこからともなくおとずれるのかもしれない。それを思うと無粋なぼくの心でさえ痛みを感じてしまう。

 いえいえ、あのような苦境をあたえられ、彼はそれを克服しようとするうち、強い心を得たのではないかしら。『森のくまさん』なんて、いったいどうして。勇気を出してソーム氏に聞いてみようかしら。明日。


503 矢矧(やはぎ)農園
07/09/17


 道長ではキムチを作るためのベースに、リンゴは欠かせない材料です。そのリンゴをお願いしている長野県飯田市の矢矧農園さんのりんご園を見学させていただきました。中央高速道路飯田ICから153号線(三州街道)を4kmほど南へ下ったあたり。松村さんの果樹園はご自宅に隣接していて南向きの斜面に60a、200mほど離れたところに20a。

 まず『矢矧農園』の名前の由来について。このあたりでは登記上の地番ができる以前から、それぞれの田畑に固有の名前をつけていて、松村さんの畑2反ほどが『矢矧』であったため。その昔、寺や社が檀家や氏子の不動産を把握するという目的もあったのかもしれません。

 矢矧農園のりんご園は隆平さんで3代目。1929年の世界大恐慌のあおりで、盛んだった長野県の養蚕・製糸が破綻。農家はやむなく桑畑をあきらめ、ぶどう、梨、そしてリンゴの栽培へと転換しました。明確な四季、春から夏にかけての昼夜の寒暖の差が大きいという条件が果樹の栽培に合っていたためです。日中に光合成で得られた糖分が夜間の低温のおかげで植物の活動が抑えられ、余分なエネルギーを発散せずにすむため果実に甘味が蓄積される。

 矢矧農園では18種のリンゴ、梨、桃、スモモと多品種を少量ずつ栽培しています。80a(8反)といえばさほど大きな規模の果樹園とはいえません。松村さん一人でこなすには手ごろな規模といえますが、花摘み、葉摘み、収穫には多くの高齢者(60〜70才代)の助けを借りています。

矢矧農園の多品種生産
 果樹にはそれぞれ収穫期があります。また同じリンゴでも品種によって熟す時期にちがいがあるため、多品種を手掛けることで出荷時期を少しずつずらすことができます。出荷時期と種類品種はつぎのとおり。こうしてみるとリンゴは品種改良がさかんということもあり、甘さ、風味、酸味、食感、色彩などの組み合わせでバリエーションが豊富で実に多様です。それほどにリンゴは果物の王様ということができます。

リンゴと接木(つぎき)
 そもそも人間の背丈にあわせた低木の果樹があるわけではありません。また苗木から成木になり、短期で収穫できるようになるような都合のよい品種があるわけでもない。

接木をする理由
 リンゴの場合苗木を増やすにも、品種改良をするにも接木をします。接木の台木には一般に同じバラ科の『カイドウ』が使われます。接木をする理由としては次の点が挙げられます。
挿木(さしき)で増やせる台木にリンゴを接木することで容易に苗木を増やせる。
台木に使うカイドウは低木で成長が早いため、短い年月でリンゴを収穫可能にすることができる。

矮性台木(わいせいだいぎ)
 リンゴの木をさらに管理しやすい大きさで栽培したいという願いから、カイドウよりもっとコンパクトな樹勢の台木が求められました。それが英国の農業試験場で品種改良された台木用のリンゴです。これを『矮性台木』といいます。M系という台木が主流だそうですが、これでは挿木をしても発根しないためカイドウに接木をして、活着してからさらに目的の品種のリンゴを接木します。おかげでリンゴの大木というか、太い幹のものはほとんど見られません。

 リンゴは果樹の中でも収穫できるようになるまでには長い年月がかかるといわれます。たとえで『桃栗3年、柿8年』といわれます。さらにその先があるそうで『梅はすいすい13年、ユズは大バカ18年、りんごニコニコ25年、女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生』だそうです。

 とにかく、リンゴの苗木を植えてそれが育って利益を結ぶだけの実をつけるようになってくれるまでには相当な年月が必要です。それを接木という方法で早めてしまおうという考えは非常に合理的といえますが、反面、木の寿命もまた短くなってしまうことになり、果樹にとってはうれしいこととはいえないのかもしれません。

 松村さんに「一年を通してどの作業がいちばん好きですか」。という質問をしてみました。即座に答えが返ってきました。「冬に果樹の選定をしているとき」という答え。どうしてかたずねてみると。「お客様を気にせず、マイペースでひとりで果樹の世話をしていられるから」だそうです。うーん、納得。それほどに木を扱う仕事がお好きなのだなと実感しました。収穫による恵みは、そんな松村さんの心に対する木々からのお返しなのかもしれません。

 松村さん、これからもおいしいリンゴをお願いします。リンゴの木の下で頂いた各種のリンゴと五平餅とリンゴジュース、最高でした。どうもありがとう。
松村さん(左後)と道長のフルメンバー


504 名人伝
07/09/28


中国の春秋戦国時代、後に秦に滅ぼされる趙(ちょう)国での話。弓の名手になりたいという紀昌(きしょう)という男が、その道を極めるというちょっと風刺的な物語。作者は中島敦という古代中国を舞台に中短編を書いた作家。この短編は昭和17年、遺作ではないですが中島が34歳の若さで逝ってしまうその年の作品。

紀昌はまず飛衛という名人の弟子となり、師に言われたとおりの修行を積むのだった。まずは瞬きをしないという修行を極める。眠るときも紀昌の目は閉じることがなく、とうとう彼の上下のまつ毛のあいだにクモが巣を張ってしまうというほど。この修行を2年。

次には微小なものを凝視する修行。これを5年続け、とうとう一匹のシラミが馬の大きほどに見えてしまうほどの視力を得る。師である飛衛はここに至ってはじめて弓を射る奥義を余すところなく紀昌に伝授。さすが紀昌は会得が早く、みごとシラミの心臓を射抜くほどの腕前を身につけるのだった。さらに的に当てた矢の『やはず』(矢の尾の弓につがえるためのくぼみ)に、次に射る矢が刺さり、さらにそのやはずに次の矢が刺さるというほどの腕前になってしまう。

とうとう紀昌はもはや矢をもっては己の敵は師である飛衛以外にいないと思いつき、恩師に対し弓で挑む始末。紀昌が狙いを定めた矢は飛衛を目がけるものの、飛衛と腕前互角のため、中間でお互いの矢はその先と先が当たり落ちるほど。

飛衛はわが弟子の上達振りに自らの身に危険を覚えてしまうありさま。そしてあらたに西の方に住むさらなる老名人の元で修行するようにとすすめる。百歳を越えなんとするその老人はさらに名人で、弓を持って射るようではまだまだで、それは『射の射』である。弓なぞ持たなくともごま粒ほどの遠くの鳶を射てしまう『不射之射』こそ奥義であると伝授する。紀昌はその老人のもとでさらに9年の修行を積むのだった。

さて、修行を終えて帰郷してきた紀昌はもう弓を持とうとしない。眼光からは鋭さが失せ、飛衛さえも「これぞ本物の名人」と太鼓判を押すのだった。誰一人として彼を襲おうという人物も居なくなった。なぜなら武器なしでも負けることがないのだから。

紀昌の家には邪気のある輩は近づきもせず、飛ぶ鳥でさえその屋敷の上空を横切らなくなるという有様。

ある日、あまりに紀昌が弓に興味を示さないため、ある人がそれはなぜかとたずねてみた。それがおどろいたことに、なんと紀昌はもうとっくの昔に『弓とは何か』すら忘れてしまったという驚愕の事実を知るのだった。 (これってほんとに名人ってこと?)

中島敦の『名人伝』は中国春秋戦国時代の『列子(れっし)』(子とは師を意味)という思想書のなかにある寓話に基づいているそうです。中国の古い文学・思想書というのは高校時代に漢文の授業を通して習いましたが、レ点だの返り点だのとひたすら日本製コジツケ文法で無理矢理日本語読みにするものだから、その元の韻の美しさも失われてしまって楽しいとはまったく程遠いものでありました。

漢の時代の文献には『塞翁が馬』や『矛盾』、孔子の教えを記した『論語』、やはり漢書を題材にした中島敦の『山月記』やこの『名人伝』など、楽しい話がたくさんある。

できれば漢文という形でなく、中島敦のような方法で知ることができていたら、もっと漢文にも興味を向けられたんじゃないかと思う次第。西洋ギリシャの『イソップ寓話』なんかもいいけれど、なんとなく二者択一の善と悪、正義と不義を説いて子供を諭すというような、なにか合理主義が見え隠れしそうで鼻についてしまうきがする。中国古代の文献に心寄せることで、温故知新、古きを訪ねて新しきを知ることこそ、また意味のあることではないかしら。

それには高校時代に習わされるあの『漢文』、なんとかならないのかしら。ほんと、漢文ってのはチンプン漢分だったものだから。

中島 敦


505 秋の散歩道
07/10/04


 もうとっくのむかしに音羽町の稲刈り完。ぼくの好きな田んぼの緑も取っ払われ、ほそぼそ稲の切株から伸びだしたひこばえがそれでも稲穂を伸ばしている。午後4時過ぎというのに早くも夕方。

 暑さで汗びっしょりという愛犬キクの散歩に辟易というこの夏だったけれど、雨上がりの夕方、気付いてみればなんとすがすがしい秋風。ちょっと盛りを過ぎたけれど、散歩道ににぎやかに咲く彼岸花の鮮やかな紅。ああ世界はすっかり秋なのだなとつくづく思うのだった。

 このあいだ刈ったばかりの雑草なのに、葉じゃなく茎をいっぱいに伸ばしその先にたわわな種子を実らせた穂を風に揺らせている。やっぱりちょっとでも遠くに自分の子孫を残そうという、これは親心?

 山つきの小道には山栗のイガイガの衣だけがいっぱい散らかっている。これはきっとこの辺のサル軍団の仕業。親も子も爺っ様もばっちゃも、夕日に顔を真っ赤に染めて何を話し合うのかだんらんのごちそうの一場面。そんなことを連想すると思わず吹きだしてしまいそう。

 あらあら大変なものを見つけました。鹿の角。こんなのが頭から外れてしまうとき、鹿の氏、少しは痛みも感じるのかしら。頭に生えたじゃまな木の枝がなくなって清々するものか、はたまたりっぱな武器を失って心細くなるんだろうか。きっと角がとれた痕に秋の風がひんやりするのかも知れません。

 秋ともなるとなんといっても美しいのが夕日、夕焼け。携帯電話のカメラで写す。県道沿いの山陰川。夏のあいだときどき、流れが苦手なのか、こちらから丸見えのよどみで涼んでいた4匹の中型真鯉。最近涼しくなってとんと姿を見せません。最前の大雨で流されちゃったのかしら。それとも秋の到来に取り急ぎ、もっと川下の淵に冬のねぐらをさがしに行ったのかしら。

 とかなんとかぶつぶつ言いながら愛犬キクに引かれてゆくと、いつの間にか県道を越えた田んぼのあいだの農道まで来ちゃいました。そろそろ日没も近いころと思いつつ眺める西の空。そうそう、こうでなくちゃ秋じゃない。そろそろ季節限定、大パノラマ。

 遠い山。遠い雲。遠い夕日。そしてその向こうにさらに遠く、深い秋の空。今年もめぐり会えた美しい夕日。引越しする前の、ここからほんの500mしか離れていない道長旧作業所から見ていた秋の風景、空の様子とはまたちがってみえるなんて少しばかり得をしたような気持ち。

 もうすぐ木枯らしの季節になるけれど、愛犬キクも13歳のご高齢になりなんとするけれど、散歩口実にぼくを外へ連れ出してくれるおかげで、こうして自然を垣間見させてもらうことができる。愛犬キクの足取りも軽々としてリズミカルというふうでもないけれど、最近は寝ているあいだにちょっとお漏らししてしまうこともあるけれどまだまだ元気でいてほしい。そして何度もすばらしい秋の夕焼け空を見せてほしい。
今年もこんな夕日に出会えました


506 Moon River
07/10/19


 オードリー・ヘップバーンといえばなんといっても『ティファニーで朝食を』。ニューヨークを舞台にキュートなプレイガールと文学青年の恋。ヘップバーンの魅力という映画。1961年作。

 この映画、もうひとつの魅力といえばなんといっても名曲『Moon River』。ヘンリー・マンシーニ作曲、ジョニー・マーサー作詞。マンシーニといえば映画音楽などでヒット曲数多という人。他に『Pink Panther』『シャレード』『暗くなるまで待って』『ひまわり』『Unchained Melody』など、その他テレビ映画では『刑事コロンボ』などなど。とにかく『Moon River』、いうまでもなくすばらしいメロディだけれど、その詞がまたなんと粋なことでしょう。

 あまりにも計り知れず大きな存在なのかもしれない『あなた』。『あなた』を求めればずっと遠く向こうにいるような。男と女のあいだとはそんなものかもしれません。異性として意識したときから相手はずっとはなれた存在となってしまうもの。そんなあなはムーンリバーのむこう、でも二人のあいだは虹の架け橋で結ばれている。だからいつかきっと・・。

 でもだからといってふたりが異性を意識することもなく、ただともだちでいるよりも、これはまちがいなくとってもすばらしい関係。だからこれからどんなに時間が掛かっても、いつかきっとこのムーンリバーに掛かる虹の橋を渡ってあなたとおなじ世界へ行きたい。

 なあんて、なんとロマンチックなのでしょう。ちょっと七夕のお話に似てる。

 すばらしいメロディーとそれにぴったりのすばらしい歌詞。こんな名曲、ちょっとありません。
MOON RIVER




507 なぜ天井は落ちるのか
07/10/28



 まずは前置きとして、家には元から居る巨大ネコ『マルコ』(オス)と、1年4ヶ月ほど前から居ついた二匹の兄妹(姉弟?)ネコ(茶トラとクロ、オスとメス)が共動?生活をしている。

 外から帰ってみるとなぜか寝間の天井板が落ちていたと連合い。首をかしげて見ると確かに30×45cmくらいのボードが一枚片付けもせず転がっている。ふーん。天井板も地球の重力に負けたか・・。でも何でだろう?

 てなわけで明日の朝なおしましょうとその夜はそのまま就寝したのだった。秋の夜長はかなり冷え込んでポカポカ布団が心地よい。翌朝、日曜の朝は寝床でテレビでも見ながらちょっと贅沢なまどろみでも・・・。と思っていたら、なななんと天井が破れてなにかが煙るホコリといっしょに落下してきたのだった(幸い頭上でなくてよかった)。え、何、何。一体全体何が起こったんでしょう。

 あら不思議、昨日の天井の穴にさらにもう一個、偶然かはたまた必然なのか四角の穴がポッカリ。その下に・・事件の鍵を握るほこりまみれの重要参考人発見。我が家の問題児、トラブルメイカー、茶色のトラ推定1才10ヶ月、オス。状況から判断して、天井板は『トラ』の重みで落ちたことが判明。

 こちらも寝覚めの頭脳をぐるぐる回転させるものの、なぜネコが天井から落ちてこなくちゃいけないものなのかしばし混乱(錯乱)。きっとどこかに入り口があるからに違いないという結論に達したのだった。

 話は変わるけれどぼくが中学のとき、やはり教室の天井が人間といっしょに落ちてきたことがあった。週末の教室。部活か何かで弁当を食べているのはぼくともう一人、男子生徒のだれかだけだった。黙々と弁当を食べる彼の弁当箱を突然の事態が襲うその瞬間を見ていたぼく。開校以来、二階の床板の隙間から落ち、積もったであろうおびただしいホコリと何やらかんなくずみたいなのが『メリバリ』という音と、謎の男子生徒とともに落下。あーらま可哀そ、哀れ弁当はかんなくずとホコリの洗礼で二目と見られぬ有様(想像してください)。何でも床の隙間から落とした硬貨を回収しようと、床板をはがして天井裏に降りたのが原因でした。もう40年もむかしの話。

ポッカリ開いた天井

煙突を引抜いた穴(侵入経路)
 話を戻す。検証の結果、ネコはガス湯沸機取り付けで不要になった風呂場の裏の炊き口の上の、煙突を抜取って出来た天井の穴(約20cm)から侵入したこと判明。その下には足場となる数枚の板が壁に立てかけてあったのだった。巨大ネコ『マルコ』には無理だとは思っていたけれど、成長を続け、跳躍力も伸ばしてきている茶色の問題児があんなところに飛びつき、天井裏に侵入しようとは夢にも疑わなかった我が身の情けなさ。

 えーい今畜生、てな具合で破れ天井修理完(かなりいびつ)。そして肝心な侵入経路となった天井の穴はこの家の主(身元引受人)にあっけなくふさがれてしまったのだった。ふさがれた穴に狼狽の色あらわの問題児。ざまーみろ。

 とまあ忘れかけていた中学のころの思い出をあざやかに彷彿とするような事件は、我が家の寝間で再現されたのだった。修理はしたけどいびつとなった破れ天井を寝床に入って見るたび、情けなくも中学のあの時を思い出す。


508 第二回 GMナタネ抜取隊
07/11/20


遺伝子組み換え食品を考える中部の会(以後中部の会)では2004年より、食用油の原料であるナタネを輸入している名古屋港と三重県四日市港の周辺で起こっている遺伝子組み換えナタネの自生を調査してきましたが、昨年夏、拡散の兆しを察知。以後、駆除するための抜取作業をはじめました。

そして去る11/3、四日市港から津市までの国道23号線の約30kmの区間で『遺伝子組み換えナタネ抜取隊』を行いました。今回が一般の参加者を募っての抜取隊としては第二回目、一年ぶりの行動となりました。参加者は昨年を上回る65名と市民からの関心の深さがうかがわれました。

今回が一般の参加者を募っての『抜取隊』第二回目ということで、かなり充実した行動とすることができました。またその成果についてもセイヨウナタネ減少の様子も伺われ、私たちの活動にも明るい兆しを得ることができました。

今回の抜取隊で明らかになったこと
今回の抜取隊で次のことが明らかになりました。
抜取隊の行動範囲を広げたにもかかわらず、抜取回収したセイヨウナタネの量が1/2ほどに減少した
あいかわらず中央分離帯でセイヨウナタネが確認されるものの、その個体数は明らかに減少している
開花するほどに成長したセイヨウナタネの回収が減った
セイヨウナタネと間違って回収される個体が少なかった
とくに交雑の危惧のあった内部川・塩浜大橋下の河川敷でのセイヨウナタネの自生が確認されなかった
セイヨウナタネの識別精度が上がったため、幼生固体の抜取り固体数が増えた

今回の成果は『抜取隊』によるものばかりではない
中部の会の不定期な調査・抜取作業だけでは到底これほどまでの成果は得られませんでした。実は次のような日頃の努力の結果でもあるのです。
四日市港の関連荷役会社による港内と国道164号沿線のセイヨウナタネの撤去作業が継続的におこなわれている
関連製油会社による全社的な抜取活動が継続的におこなわれている
近畿日本鉄道の協力による、千里(ちさと)駅付近、鉄道敷地内のセイヨウナタネの撤去がおこなわれた
国道23号線と主な河川敷を管理する国土交通省河川国道事務所による例外的なセイヨウナタネ撤去作業がおこなわれている
国道23号線中央分離帯のナタネ撤去
内部川河川敷(23号沿い)の春先の除草

抜取られたセイヨウナタネのGM検査結果
今回の『抜取隊』で回収されたセイヨウナタネは芽が出てしばらくの幼生から花の咲いたものまで、あわせて99株でした。その中から25株を無作為で選び出し、1個体づつをイムノクロマト法による検査用試験紙でGM判定しました。使用した検査キットは除草剤ラウンドアップ耐性と、除草剤バスタ耐性遺伝子組み換えナタネ判定用の二種類でした。

検査結果の詳細
これは過去1年、四日市港・名古屋港周辺で共通していますが、除草剤バスタ耐性遺伝子組み換えナタネの確率が高まっています。中部の会が調査をはじめた2004年から05年にはラウンドアップ耐性が大勢をしめていたにもかかわらず、2006年夏以降からバスタ耐性が大きく勢力を逆転するという傾向となっています。

この原因についての判断はできていません。今後明確にする必要があるのではないかと思われます。

今後の『遺伝子組み換えナタネ抜取隊』
昨年の『抜取隊』での詳細さにおける不備、また今回でも回収されたセイヨウナタネの重量の把握ができなかったことなどで正確な比較には至らないものの、今回の『抜取隊』では快方への大きな進展が確認されたものと確信します。

2004年から調査活動をはじめて以来、関連機関・団体、個人、行政、マスコミなどの協力を得ることができ、今回のような経過を確認することができました。

名古屋港周辺の今後について
一方、名古屋港潮見埠頭周辺に目を転ずるにつけ、まったくの手付かずというのが現状といわざるをえません。四日市港から津市の間の40kmと比べその1/10ほどの距離の間の問題であるにもかかわらず、改善の兆しがないのには三重県での各方面からの協力体制が得られていない点が大きな妨げになっています。

中部の会としては、関連製油会社、名古屋市や愛知県とも関係作りをし、何らかの協力体制を持てるよう努力する必要があると考えます。

遺伝子組み換え生物のあつかい
いったん自然界に放たれた外来生物について、その駆除、抑制、さらには解消撲滅を貫徹することは非常に難しいことです。それは日本国内で起こっている外来生物による、在来生物に対する脅威という現実をみても明らかです。
食品を提供するという立場から、食の安全とは人の健康ばかりでなく、それを包む自然環境にまで配慮をしてはじめて確保されるものではないでしょうか。これはいまさら言うまでもないことですが、それらは包括して、食に関連する立場のものにとって、まず始めに在らねばならない義務なのだから。


詳しくはこちらをごらんください

509 大運動会 U
07/12/02


 運動会。ぼくらの小中学校のころは『秋季大運動会』などと呼ばれていたもの。どこが大運動会なのか、今にして思い起こしても少々首をかしげてしまうのだけれど、とにかく大運動会。毎年10月になってからおこなわれるものだから日柄によっては風が強い、寒いで生徒諸君には相当な苦行。なにしろ男子は体操シャツと短パン、赤白帽子、はだし。女子も同様、ブルマーに赤白たすき。寒い寒い。

 戦後まだ十数年しか経っていない当時だったものだから、大運動会を盛り上げる音楽も物物しくもすごかった。行進となればいやでも意気高揚の『軍艦マーチ』だの『君が代行進曲』。さらに西洋も折衷で『ボギー大佐』『旧友』『双頭の鷲の旗の下に』などなど。海軍あがりの体育の先生、むかしを思い出してか自分自身が意気高揚。

 ぼくなぞ体は文科系、頭は体育会系とくるものだから大運動会は体育測定のバッジテストとともに、できれば避けて通りたい年間行事。「あーあ、何でこんなことやらなきゃならないんでしょう。さみーさみー」。

 どんな貧弱クラスメイトと当ろうが上位でゴールなぞ夢のまた夢の徒競走。はずかしー。今では首を傾げたくなるようなプログラム。さながら軍事訓練を彷彿とする組立体操、器械体操。さらに極めつけの手旗体操(男子全員赤白手旗を挙げ下げの手旗信号)。いずれもだらけたり、失敗したりすると強烈なビンタまで出るありさまの厳しい練習の成果を、今日この大運動会のメインプログラムで高い朝礼台から眺めるのはさぞ心持のよきことであったであろう体育教師。さらによせばいいのに女子の高低学年合同の『姉妹体操』。婦人会の舞踊『岡崎音頭』。うーん。

 笑いと遊び心満載の『借り物競争』、『パン食い競争』『スプーンレース』『長下駄競争』など。さらに抱腹絶倒の『クラブ対抗リレー』。これってぜったい陸上部が有利。だって他のクラブの服装ひとつとっても陸上部に勝てっこない。運動靴を履いてちゃおかしいからはだしの柔道部。剣道部に至ってはこれまたかわいそ。袴姿に面と防具、さらにバトンは竹刀ときた(これじゃ勝てっこない)。野球部のバトンはバットと、クラブ各々必須アイテムをバトンに疾走。さらに白衣姿の理科部など文科系クラブも入り乱れるクラブ対抗リレー。それで結局いちばん有利な陸上部が優勝。でももし陸上部がまけたらたいへんなので、やっぱり最後は陸上部に花を持たせるところがなんとも粋というか心憎い。BGMはギンギン頭にくる拡声機からながれる定番の『天国と地獄』『剣の舞』。

 そろそろ異性が気になる年頃の高学年によるフォークダンス。『マイムマイム』や『オクラホマミキサー』に乗せて順々に相手がめぐる胸がドキドキ女子男子。意中のひとに早く順番がまわってこないかしらと思っていたらなんとそのまえに終わっちゃいました。とほほ。

 お昼のたのしみのバザー。父兄から内緒でもらう小遣いでそっと買う露天商も校外に出店。でもそれもなぜか黙認の大運動会。運動神経の悪いぼくらには避けて通りたい行事だったけれど、でもちょっと楽しみもあった『秋季大運動会』。


510 深夜放送
07/12/12


 受験勉強なんて今にして思えば、それが人生の糧になるわけでもなく、その間の貴重な青春の時間を費やすにはあまり意義のあることでもないかもしれない。受験勉強で大切なことといえば、あたりまえだけれどとにかく勉強をすること。そのためにはまず寝る間を惜しんではいけない。こんな格言までささやかれたもの。『四当五落』。

 不合格でまたまた浪人してはたまらないというわけで、格言どおりに睡眠時間はとにかく切り詰めなくてはいけません。かといって家人が寝静まって後、まんじりともせず机にかじりついていると、やがて今夜も早々睡魔が家庭訪問。これはいけない。まずは体力を回復しないといけません。しんしんと冷え込む冬の夜長。母親の心のこもったお夜食というわけにはいかないので今夜も自分で。色々考えた挙句、今夜のメニューは天心麺。あらかじめ多目のごま油で玉子焼きを作っておき、インスタントラーメンの調理にかかります。スープのもとは別の鍋で作り、水溶き片栗で仕上げ。ラーメンに玉子焼きを載せ、あんかけ風のスープをかけてできあがり、と。われながらうまいうまいと湯気のあがる夜食の宴(わびしー)。食った食ったで受験勉強再開、と思うのだけれどいかんせん。こんどは本格的な睡魔の来訪。ちょっとだけ仮眠・・、てなわけで今夜も一巻の終わりと相成るのだった。

 こんなことではいけません。乱れた生活は正さなければというわけで課題はひたすら眠らない。でも眠い。草木も眠るといわれる丑三つ時、ただひとつの敵『睡魔』と闘っている哀れ受験生はおのれ一人ではなかろうと祈るような気持ちで探るトランジスタラジオの選局ツマミ。なにやらサイケデリックな電波音やらわけのわからない外国語。「こちらは北京放送局です」という中国共産党の、海を越えた日本向け元気いっぱいのアジテーション放送くらいのもの。折りも折1960年代後半、そんな受験生を応援すべく救世主『深夜放送』登場。

 家人に聞こえてはならじと耳の穴につっこんだイヤホンから、若者にぴったり波長の合いそうな日本語が拾えたときにはちょっとした感動を覚えたと記憶する。あれはたしか大阪の朝日放送だったかヤングリクエスト『ヤンリク』。文化の谷間と呼ばれる名古屋では終夜放送なぞなく、ひたすら遠方の放送をとなると、気象状況、太陽の黒点なんかの影響で波状的に聴こえたり聴こえなかったり。それまで夜は寝るべし。夜中にはラジオ放送も終了だったのが、DJ、パーソナリティーによる若者相手の深夜番組は時代の流れで一気に花を咲かせるのだった。

 関東ではニッポン放送『オールナイトニッポン』、東京放送『パックインミュージック』。やれリクエストだ、毎週テーマを決めての御題拝借の投書合戦。ちょっと小腹が空いて夜食作り。あーいそがし。おかげで睡魔はりっぱに克服できたのであった。でもここで問題発生。いったいいつ勉強をしたらいいのでしょう。でもそうそう、さっき旺文社の大学受験ラジオ講座(ブラームス『大学祝典序曲』ではじまる)はしっかり聴いたし、今夜の受験勉強はこれでよし。なんちゃって。気に入りの深夜番組が3時に終わる。そのうちに早朝番組に移行。西濃運輸歌の急行便でとたんに眠くなり、そのまんまコタツで意識不明。またも今夜も一巻の終わりと相なるのだった。
最終兵器のトランジスタラジオ