531 第4回 GMナタネ抜取隊
08/11/27
遺伝子組み換え食品を考える中部の会では2008年11月2日、一般の参加者をお願いしての今回で4回目となる『GMナタネ抜取隊』を三重県鈴鹿市内の国道23号線沿線で行いました。今年は7月に引き続き2回目。今回は37名の参加で行いました。

中央分離帯での抜取隊
先回までの抜取隊では懸案として、国道23号線の中央分離帯に自生するナタネの駆除がありました。しかしながら自動車の往来がはげしいため、危険をともなう分離帯での抜取り作業は自粛してきました。

この件につき国土交通省三重河川国道事務所と四日市警察署に相談しお願いしたところ、しかるべき安全管理をしたうえでなら、中央分離帯での作業は可能という見解をいただきました。ただし分離帯を歩いて抜き取るのは、幅が1〜1.5m以上ある場所に限る。また、分離帯への往復は車の通行が切れたのを確認したうえで。

十分な安全管理として、分離帯での作業は抜取り作業経験者でセイヨウナタネの判別のできる者があたり、安全確認はグループ内のほかの1名が行い、分離帯での作業者に指示を送るという慎重な方法で行いました。なお特に分離帯での作業者は、反射板のついた視認性の高い安全ベストを着用し、作業にあたりました。

第4回抜取隊の成果
今回の抜取隊では151個所でセイヨウナタネが確認、撤去されました。そのうち中央分離帯の68個所でセイヨウナタネの撤去が行われました。すでに国交省による分離帯の除草作業が済んでいる部分もありましたが、予想通り、多くのセイヨウナタネを駆除することができました。

前回7月の抜取隊では138個所でセイヨウナタネを確認、撤去していますから、今回では分離帯を除く道路脇では、83個所で確認したことになります。この結果から、道路脇でのセイヨウナタネの自生は明らかに減少傾向にあることがわかります。

ラウンドアップにもバスタにも耐性の交雑ナタネ確認
今回の調査で、Hグループで採取されたナタネのうち1株がRR、LL両方の形質をもったGMナタネであることが判明しました。中部の会の調査ではあえてRR、LLいずれも陽性のナタネを探すことはしていませんが(検査キット節約のため)、今回の抜取隊で偶然、2種類のGMナタネの交雑種を確認することとなりました。日本でRR、LL両方の形質のGMナタネが確認された例はまだ数例にすぎません(このナタネがどこで交雑したものなのかは特定できません(カナダか日本か))。

中央分離帯での撤去作業を少人数でおこなうことは困難です。作業と安全確認は単独では無理で、必ず第三者の立会いが必要です。今回のような多人数での『GMナタネ抜取隊』のような機会なくしては困難な作業といえます。当日の抜取隊では、1グループ4〜5名とし、分離帯での作業者は熟練者1名、安全を確認する者1名、道路脇のナタネ抜取りと記録係りをそれぞれ1名としました。なおその他に要員を搬送するドライバーも兼ねる者を1名という構成でした。

このように4〜5名のグループ構成で行える中央分離帯を含めての抜取り作業は2〜3kmの区間に限られます。春のナタネの時期にも実行したいと考えます。

中部の会のほかにも駆除作業が
これは国土交通省三重河川国道事務所への会見でわかったことですが、私たち中部の会のほかにもセイヨウナタネの駆除作業にあたっている企業があることを知りました。

四日市港での関係企業や関連の製油会社による駆除作業はすでに周知のことですが、実際にちがった組織によってもボランティアとして行われていることに対し、私たちもおおいに励まされます。

農林水産省の見解では、GMナタネについてはすでに安全性も確認されており、国内栽培についても地域の合意があれば可能ということになっています。GM作物が米国、カナダで栽培され、日本に輸入されるようになって12年ほどが経過しています。その約10年間、セイヨウナタネのトラックでの運搬にともない、こぼれ落ちによる自生が起きてきました。

雑草としてのナタネへのGM伝播
セイヨウナタネは雑草性をもつ植物ですが、セイヨウカラシナや在来ナタネのような爆発的繁殖には今のところなりえていません。しかしながらGM遺伝子が交雑によりそれらの雑草性の高いナタネに伝播した場合を考えると大きな脅威を感じます。

これはまだ確定されてはいませんが、中部の会の調査から、GMキャノーラと在来ナタネとの交雑の疑いのあるナタネも採取されています。このナタネは愛知県豊川市内の国道1号線沿線で採取されたもので、通常の輸送経路とは異なる、事故品としての移送途中でこぼれ落ちたものが自生したものと考えられます。このナタネについては現在米国アイオワ州立大学にその同定を依頼中です。

在来ナタネはかつては食用や搾油用として各地で栽培されていました。また一部の地方では野生化し、春期にはみごとな群生を見せます。在来ナタネはセイヨウカラシナと比べると花弁が大きく花にボリュームがあるため、その群生ぶりは見事です。最近観光地などの道路脇の休耕田に景観用に栽培されることがよくあります。

農業への影響という意味でもセイヨウナタネを考慮しなければならないことは当然ですが、こうしたいわば雑草としてのナタネへのGM遺伝子の移行・伝播はさらに大きな危惧として認識する必要があるのではないでしょうか。農業活動とは一見関連のないところで、しかも広範囲でGM汚染が及んでしまうという危険性があるわけです。 セイヨウナタネ( Brassica naps種 )がセイヨ
ウカラシナ( Brassica juncea種 )、在来ナタネ( Brassica rapa種)などとは交雑しにくく、その確率は数パーセント以下とされているようです。また交雑しても、二代目雑種では発芽率が低くなる。

しかしながら、いったん交雑が起こり、同種間で交配がすすんだ場合には(品種改良では一般的な戻し交配という方法)、種として固定され、GM遺伝子を持ったたとえば在来ナタネとして雑草化してしまうことになります。その現象が起こる可能性は十分にあり、大きな脅威といえます。

以上のように、セイヨウナタネのトラック輸送によるこぼれ落ち自生が、食品用製油会社へのトラック輸送以外にも起こっているという例が中部の会の調査からも明らかになっています。わたしたちの考えの及ばないところでもナタネをはじめとしたコーン、大豆などのGM作物が自生し、拡散の機会をうかがっているのかもしれません。交雑の危険性とともに、さらに広い視点での監視活動が必要です。

みなさまいつもご協力ありがとうございます
-----------------------------------------
遺伝子組み換えナタネ抜取隊の模様はこちらでもごらんになれます。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/sa-to/081102-nukitoritai01.htm


532 荒城の月
08/12/15


滝廉太郎作曲・土井晩翠作詞で有名な名曲『荒城の月』。1879年東京生まれの滝廉太郎は23歳という短い生涯で多くの名曲を残していますが、なかでもこの『荒城の月』は代表曲といえます(というより世界の名曲)。

この曲は廉太郎が欧州留学に向かう前の年、1901年(彼が結核で死ぬ前の22歳の年)に東京で書かれました。
一方土井晩翠は1871年宮城県仙台市生まれ。『荒城の月』の作詞で知られています(なぜか有名な曲といえばこの曲しかない)。ほかに詩集『天地有情』やカーライル、バイロンなどの翻訳などと以外に地味な文学活動をした人。

『荒城の月』
1898年、東京音楽学校が中学生唱歌集の編集を企画。その折、まずは詩を公募。その際土井晩翠に『荒城の月』(他に2題)の作詞が求められたといわれています。土井は仙台市(会津若松)出身で鶴ケ城をイメージしてその詩を書いたといわれています。

滝廉太郎は若いころより才能を認められ、わずか15歳で東京音楽学校に仮入学を許されたほど(翌年本科入学)。彼は東京に生まれていますが、役人だった父親の転勤で横浜、富山市、大分県竹田市など地方を点々としました。中でも大分県は父親の故郷であり13歳で移り住んだ竹田市での生活は思いも深かったのかもしれない。廉太郎は1994年15歳で上京するまでをこの地で過ごしました。源義経に由来する岡城の印象は深いものがあったことでしょう。岡城は中世には志賀氏、江戸時代には岡藩の居城へと変遷しています。

確かに難解さが目立つ歌詞です

名曲『荒城の月』は晩翠の難解ではあるけれど、移りゆく権力のはかなさというか、その移り変わりのあまりの無情さをうたった感慨深い曲だということは歌うにつけ、聴くにつけ十分に納得できるでしょう。

とにかく土井晩翠の『荒城の月』という詩が1898年に発表され、その詩に上京してやはり東京音楽学校に入学した廉太郎がめぐり会うことになったわけです。おそらく廉太郎の胸には晩翠がイメージした仙台の城とはちがう大分の城が思い浮かんだのでしょうが、その詩にうたわれた晩翠の情景がぴたりと重ね合わさったのかもしれません。

時期も廉太郎が一気にその才能を花咲かせた2年か3年の期間だったことになります。廉太郎は文部省の命で1900年にはドイツ留学のため、渡欧することになっていました。しかし、すでに東京音楽学校で教鞭をとっていた廉太郎の席に穴をあけられず、渡欧は1年延期になったのだった。

中学校唱歌『荒城の月』とならぶ名曲『花』や幼稚園唱歌『お正月』や『鯉のぼり』『鳩ぽっぽ』『雪やこんこん』、『箱根の山』(これは中学校唱歌)など、廉太郎の残したすべてといっていい名曲が1900年前後の2年ほどで作られています。もし留学が予定通り1901年だったとしたら、『荒城の月』や数々の幼稚園唱歌は生まれていなかったかもしれません。それにしても、あまりの短命に残念の一言しかありません。

しかしながらなんと悲しいことか、1998年には文部省検定の教科書からこの『荒城の月』がはずされようとしたことがあるのです。その理由は歌詞が難解であるということ。一方では世界の名曲として欧州でも賛美歌などとしても採用されているというのにです。

1979年ドイツのハードロックバンド、スコーピオンズの来日講演でも演奏されたほど。またやはり多くのミュージシャンもこの曲をカバーしています。いずれも日本の伝統音楽(traditional)として。

ただ歌詞が時代遅れ、難解というだけで、日本の多くの名曲が学校の教科書から姿を消しています。欧米化だグローバル化だといいながら、そろばん勘定だけで文化を量り売りしようという昨今。まったくどうかしている。

環境問題も食糧自給率もそうだけれど、もうどうしようもないところまで来ていながら、モウこれ以上日本の文化をダメにしてはいけません。

文化は破壊の上に成り立ち、創造されなければならない。なぞと言われたこともある。でもしかし、今こそは守らなければならない時なのではないでしょうか。

Scorpions 来日ライブ盤



533 禁じられた遊び
09/01/19


 歴史的な反戦映画で、しかも名画といえばフランス映画『禁じられた遊び』。戦争の悲劇を罪のない子供の切ない遊びを通して描いた1952年作。監督:ルネ・クレマン、主演:ブリジット・フォッセー、そして音楽をギタリスト、ナルシソ・イエペス。この映画のあらすじについては今さらいうまでもないので割愛。ただしこの映画の結末で、戦争で父母と愛犬を失いみなしごとなってしまった少女が、母親の名を呼びながら雑踏の中にかき消されてゆくというラストシーンはイエペスのギターによる挿入曲とあいまって、否が応でも観衆の共感の涙を誘うというもの。

 そのギター挿入曲、映画の中で何度か流れるのだけれど、あまりにも美しく哀愁に満ち、二度と忘れられない旋律として心の奥に刻み込まれることまちがいなし。でもこの映画を観たことがなくてもこの曲を知らないという人も少ないのではないかしら。

 調べてみるとこの曲はスペインの古謡で19世紀後半、あるギタリストによって書かれたのではないかといわれているけれど定かではないらしい。要するに『作者不詳の叙情曲(romance anonimo)』で通称は『愛のロマンス』だけれど『禁じられた遊び』とも呼ばれる。

 実はこの曲、『禁じられた遊び』よりも11年ほど前にも『血と砂』という闘牛士が主人公のハリウッド映画でも使われているらしい。主人公がいとしい人の窓辺で、募る思いを訴えるため楽団に演奏させたのがこの曲。もっとも米映画『血と砂』もさらに19年前の同名のスペイン映画のリメイクということもあり、ちょっと興醒めの感も。設定としては間違っているというわけでもないのだろうけれど、それだけ『禁じられた遊び』でのインパクトのほうがあまりに強いものだからしかたない。

 1970年前後、ぼくは青春真っ只中。多くの友がそうであったように、ぼくもかっこよくギター青年を夢見たことがある(別に何を夢見ようが勝手!)。早速ギター教本を買って来、悪戦苦闘。ある程度進むといよいよお出ましになるのがあこがれのこの曲。低音弦を親指で、主旋律を薬指、和音を中指と人差指で弾くアルベジオという奏法。「おっ、これはいける」と思いきや、途中から和音が変わり、途端に左手の指裁きが難しくなり挫折ということになろうけれど、なんとかその難局を乗越えたものだった。ただし、とつとつとした演奏のため、それが意中の女性の心を射止める最終兵器とはなり得ないところが残念至極。そして、まあたとえこの曲を弾けるようになったとしても、ギター教本の先をめくるとさらにハイテクニックの『アルハンブラの宮殿』。最初の章節あたりをトライするも音符の密度はさらに高まるトレモロ奏法。ここに来て、もうとても手に負える代物ではないことをつくづくと身にしみて思い知るのだった。ギター少年の夢もここで第一巻の終わり。

 痛烈な反戦映画『禁じられた遊び』。ぜひ観ていただきたい名画です。


534 砂糖いろいろ
09/01/29


砂糖といえば甘味。甘い味はなんとも魅力的です。果物の甘さ。そのほか食材のもつほのかな甘さなど。甘味は料理に欠かせない味のひとつです。

一言で砂糖といっても種類はいろいろあり、用途によっても使い分けされます。また、昨今の砂糖はいろいろな加工技術が駆使されるようになり、製造工程も変わってきているようです。

砂糖の種類でその性質などを比べてみました
まず、砂糖の主成分は蔗糖です。
■上白糖:日本ではもっとも一般的な砂糖。精製した砂糖(主成分は蔗糖)に各1%の水分と転化糖(※)ビスコを添加しています。水分はしっとり感をもたせるため。転化糖は甘味を強くするのと砂糖が固まるのを防ぐため。また実質2%の増量にもなります。

※転化糖は蔗糖を酸や酵素で果糖やブドウ糖に加水分解して作られます。同じ量の蔗糖よりも甘く、保湿性があるため和菓子などをしっとり保つ効果もあります。ただし転化糖を作るためのαアミラーゼという酵素がありますが、その生成のために遺伝子組み換え生物(酵母)が利用される場合があります。日本での利用はないと聞きますが、米国などから輸入されるコーンシロップにその利用があるかどうかについてはわかりません。コーンシロップとはコーンスターチを原料とするブドウ糖液糖、果糖液糖などを総称したもの。

使用目的からすると、上白糖の転化糖は添加物的な存在です。あまり推薦できる砂糖とはいえません。なお日本以外で上白糖を常用している国はありません。

■黒砂糖:ブラウンシュガーとも呼ばれる。サトウキビのしぼり汁から石灰で不純物を取り除き、加熱濃縮し冷却し固めたもの。精製されていないため、含蜜糖に分類される。

■粗糖:黒砂糖として結晶させるとき、遠心分離である程度糖蜜を分離除去し残った結晶。黒砂糖以外の砂糖を作るための原料。赤ザラメはこのうち結晶の大きなもの。これも含蜜糖に分類。

■三温糖:原料の粗糖を湯に溶かし、精製し濃縮し結晶化して遠心分離された液糖をさらに精製・濃縮・結晶化・遠心分離を繰り返す。これを3回以上おこなってできた褐色の砂糖。褐色の成分はカラメルで、繰り返しの過熱のため。しかしながら、最近ではイオン交換膜法により精製工程が合理化されているため、上白糖にカラメルを加えただけの三温糖が主流。

■グラニュー糖:もっとも基本的な精製糖。最高純度の糖液を結晶させてできる無色透明の砂糖。上白糖のような転化糖などの添加がない。

■中双糖(キザラ):本来は三温糖と製法は同じでそれよりも大きな結晶をしたものがこれ。これも精製工程合理化のため、白ザラメにカラメルを加えている。

■氷砂糖:グラニュー糖か白ザラメを水に溶かし、50度前後の部屋で時間をかけて再結晶させてつくる。

■和三盆:四国徳島などで徳川時代に作られるようになった砂糖。原料は『竹糖』という普通の砂糖黍より細い品種。黒砂糖に相当する白下糖を水で練り細粒にしたものから糖蜜をを搾り出す。これを三度以上繰り返して作られる。

和三盆は口溶けのよさと上品な甘さがあり、そのまま型に打ち込んで作られる『打ちもの』という和菓子にも使われる。

以上はサトウキビを原料にした砂糖ですが、純国産の砂糖としてテンサイを利用した甜菜糖があります。テンサイはサトウダイコンとも呼ばれますが、ホウレンソウなどのアカザ科の植物。日本で消費される砂糖の25%がテンサイを原料としたもの。

■てんさい糖:サトウキビ原料の砂糖の粗糖にあたる。オリゴ糖なども多く含まれている。

■ビートグラニュー糖:グラニュー糖と同じ
テンサイを原料にした砂糖はすべて北海道で生産されています。国産の砂糖の75%ほどをまかなっているそうです。そして甜菜糖はすべて国産です。

●糖蜜について:砂糖の精製の結果、含蜜糖から分離し結晶できずに残った糖分を含んだ液体。廃蜜ともいう。化学調味料の原料として、または白砂糖に添加して付加価値をつけたり、加工用などに利用される。

●カラメルについて:砂糖を180℃くらいで加熱するとできる。今では糖類を化学的に処理することで製造されている。この場合、わずかに毒性をもつため、多量の摂取は好ましくない。

日本人は年間20Kg弱の砂糖を消費しているといわれます。これは米国での消費量の2/3程度です。またその消費量は横ばいから減少気味のようです。

●参考までに砂糖以外の糖類について
一般の食品工業では砂糖を原材料に使うことはほとんどありません。なんといっても主流はコーンシロップなどの異性化糖(ブドウ糖や果糖、オリゴ糖)。ほかにソルビトールやトレハロースなどの添加物などが使われます。これらが液状で加工がしやすく、一般に甘味度が高く、しかもコストが安いというのがその理由です。異性化糖は体内で吸収されやすいため、ソフトドリンクなどのかたちで大量に摂取すると一気に血糖値が上がり糖尿病の原因にもなります。多量に摂取するのは危険です。

コーンスターチなど、デンプンを原料にした糖類は、砂糖に比べると製造方法はさらに化学的、工業的です。原材料の履歴を辿ることすら難しく、遺伝子組み換え作物が使われようと製造過程で遺伝子組み換え添加物が使われようと、その事実が明かされることがありません。とても安全性を優先したものとはいえません。

甘味料としての砂糖は、工業的に製造される糖類に比べれば安全性が高いといえば高い。しかし摂り過ぎはよくありません。またあえて使うとしたら、どんな砂糖を選ぶべきなのかをよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。


535 白熱電球
09/02/21


 電球の良い点はスイッチを入れるとすぐに明るくなること。トイレなどは蛍光灯では駄目で、やはり白熱電球がいい。むかし、ぼくが幼少のころ、我が家の照明はすべて白熱電球だった。そんな中、なぜかトイレに付けてある電球はことのほか長寿命だったと記憶している。その電球には『マツダ』という名前がありました。

 この『マツダ』という商標、もとはあのエジソンが社長をしていたGE(General Electric)が1909年から白熱電球に使用していたものらしい。ゾロアスターという宗教にアフラマズダという光の神が居、それから『マツダ』という商標がとられたそうだ。その特許と商標を東京電機(東芝の前身)が獲得し、1911年にマツダ電球を製造販売するようになったとのこと。日本人の『松田さん』とは関係ありません。

 我が家のトイレにあったマツダ電球は透明ガラスで中のフィラメントが直接見えるものだった。紐で引くスイッチを入れるとフィラメントに通電。鮮やかにフィラメントの線が発光し目に焼きつき、しばらくのあいだ消えずに残っているのだった。とにかくぼくが字を読めるようになったころ、すでにその電球は我が家のトイレにあり、日がな家人のかわるがわるの出入りのたび、明滅をくりかえしていた。そしてぼくが高校生のころだったかにとうとうその寿命を終えたのだった。なんと10年以上も役目を果たしてくれたのだった。

 当時なんとなく、白熱電球の寿命にはバラツキがあり、短命のものこそ少なかったが、長寿のものが時々あったように思う。それに引き換え最近の電球、といっても白熱電灯というものもこれから先(LED:発光ダイオードなんぞに取って代わられようとしている)消え去る運命なのかもしれないけれど、なんとなくやたらと寿命が短いように思えてなりません。要するにすぐに切れる(昨今の若者と同じということで納得?)。たった一年くらいしかもたないことが多い。そんなわけでホームセンターの電機コーナーへ行って購入ということになるのだけれど、よくみると『街灯用』というのがありました。普通の電球よりかなり高価な値札がついている。店員に聞いてみたところ『切れにくい』なのだそう。へえー、そういう電球があるんですか。というわけで『街灯用』を買ってきました。でもこれもそう大して持つわけでもなく、やっぱり1年くらいで切れることもある。

 これだけ科学技術の進んだ世の中で、電球の寿命はちっとも延びないばかりかその逆というのは一体全体どういうわけなのでしょう。自動車のランプのように高照度にもかかわらず頻繁に切れては困るものは長寿命なのに・・・。昨今の電球、これってひょっとしてじきに切れるような造りになってるってことなのかしら。今日日(きょうび)テレビだろうが洗濯機であろうが、電気屋さんで修理してもらって永く使うなんぞ考えられないご時世。電化製品も4、5年も使うとちゃんと故障する。修理の見積をすると買ったほうが安いといわれる。むかしはダイオードやコンデンサーなど、部品一個でも交換したものだったし、修理代も高くなかったような気がする。

 手塩にかけて製造されたものを大切にして永く愛用。給料は安くても、そういうよろこびが日本の国を支えていた時代が長くあったような気がする。それこそがエコロジーだし、真のかたちの経済なのではないかしら。

やっぱり白熱電球ってあったかな感じがします


536 農林61号
09/03/11


農林61号。その名を聞いたことのない人はいないかもしれません。それほどに日本では一般的に作られている麦の品種です。昭和9年、福岡の九州小麦試験地というところで交配され、昭和19年太平洋戦争の最中、佐賀県農業試験場で育種の結果生まれたそうです。以後60年以上、日本中どの地方でも安定してしかも多収の品種として、今日に至るまで高い支持を得ています。

農林61号の特徴
・小麦タンパク(グルテン)の量は多くはなく中力の品種
・小麦粉にすると褐色をおび、内麦臭と呼ばれる独特な臭いがあり、味もある
・和麺用として適しているが、パン用としては不向き
・外麦にくらべて灰分が多い など

小麦粉について
現在日本の小麦の自給率は14%。90年代の10%割れと比べると改善されているといえばいえます。ただし、この数字は麺用では50%を占めますが、パスタ用では0%、パン用では3%というのが現状です。日本のように収穫時期に高温多湿となってしまう風土では、栽培期間が長い硬質小麦の生産は難しいためです。

一般の小麦粉と地粉
和麺用としてオーストラリアから輸入されるASW(Australian Standard White の略)という銘柄の小麦があります。農林61号と比べてこちらは乳白色で臭いが少なく、味も非常に淡白。ただしASWというのは品種名ではなくあくまでも商品名で、オーストラリア本国で最低2種類の小麦を混ぜ合わせて作られます。複数の品種をブレンドすることで品質のばらつきを少なくするためです。

日本の製粉会社で小麦粉を製造する場合もそうですが、複数の品種の小麦をブレンドすることで、顧客の要求を満たす品質を確保しています。

一般的な製粉の工程
まず、これはごく一例で非常に大雑把な説明です。製粉の最初の過程でまず小麦に水分を与え(テンパリング)、外皮(ふすま)を取りやすくします。その後製粉機に通して小麦からふすまを取り除きます(一回では完全に採りきれない)。小麦は外皮に近い部分ほどタンパク質の含有量が多い。そのため、何度か繰り返して行われる製粉→篩(ふるい)、さらに風を利用して比重の違うふすまや小麦粉を選別するピュリファイヤーという工程を繰り返すことで、性質のちがう小麦粉を選別することができます。1回目に選別した粉を一番粉、二回目を二番粉というように分別します。こうして同じ作業を繰り返すことで、性質のちがう何種類かの小麦粉が得られ、一連の製粉の作業が終わります。

さまざまな食品メーカーが要求する小麦粉は多種多様。さらに大きな機械で大量生産するため、品質にばらつきは許されません。こうしてできあがった各工程の小麦粉をさらにブレンドすることにより、厳しい顧客からの要求を満たす製品を作ることができます。

地元産の小麦粉
国産小麦よりもさらに地粉(地場産小麦の小麦粉)を使いたいという消費者もいます。道長では愛知県豊川市の『こだわり農場鈴木』さんの農林61号の小麦粉でかりんとうともち生麸の製造をお願いしています。そのほかにも麺類の製造にも使われています。その小麦粉は知多町のわっぱ知多共働事業所にお願いをして挽いていただいています。またわっぱ知多では一般消費者向けに販売もしています。

多くの場合、地元産小麦を粉にするために買い付けされる小麦は10トンとか20トンというあまり大きくない単位であり、その量は大手の製粉工場からすれば小さな量でしかありません。その小麦粉の原料は農林61号という単一の品種でしかありません。しかもそれぞれの麦畑で収穫された小麦では土質、日当たり、水の量などが一定していません。またその年により作柄もちがう。そしてここで決定的で大きなちがいがあります。小さな規模の製粉設備では@テンパリング→A製粉→B篩(ふるい)→Cピュリファイヤーという工程をすべて行えるとは限らないのです。一般の製粉工場が持つ設備は非常に大掛かりで複雑です。小さな製粉工場ではとても対応しきれるものではありません。

以上の説明でわかることは、一般の小麦粉と比べて地粉は非常に個性の強いものだということ。さらに毎回の製粉ごとで品質のばらつきが大きく出てしまう。またそのばらつきを調整することが難しい。ふすまが小麦粉のなかに通常よりも多めに含まれてしまうため、灰分が多くなり、臭いも強くなってしまう傾向があります。

要するに一般の小麦粉と地粉とでは、原料の小麦から製粉の仕方まで、まったく比べ物にならないほど『別物』だということです。片や何時購入しても同じ品質で使い勝手のよい小麦粉。そして片や地粉では購入するたびに品質がちがう。使いにくい。個性が強い。使い方を間違えるとかえってそのよさを引き出せないことも。結局消費者はそれに懲りてしい、地粉を敬遠する結果になってしまうことにもなりかねません。

麺用の小麦の自給率は50%だけれど
はじめにも書きましたが、麺用の小麦の自給率は50%とかなり高い割合となっています。でもこれはたとえば農林61号が単独で麺用小麦粉に加工されているということではありません。たとえば輸入のASWに風味を加えるためにブレンドされていることのほうが多い。まさに調味料的な使いかたで。せっかく親しまれてきた農林61号なのに、屈辱的な使われ方をしてしまっているような気がします。

ある麦の専門家が、最近の日本人は白くて『無味無臭』の小麦粉を好む傾向がある、と話してくれました。無味無臭のベースにあとはいろいろな味付けをするだけでよいということだと思います。

たとえば道長で販売している『かりんとう』は香りもよくおいしいという評判をいただいています。でももしその原材料を最近の日本人の好む小麦粉で作ったとしても、おそらく何の感激もなければ、『おいしさ』もないのではないでしょうか。

食べるとはほんとうに楽しい。美味しいとはすばらしいことです。でも本当の美味しさとは一体なんでしょう。それは『食』という文化に根ざしたものであり、『農』文化なくしてありえません。

なぜなら、それはつくられた美味しさではなく、守られ、受け継がれてきたかけがえのない『そのものの』美味しさなのだから。



537 アベマリア
09/04/06


西洋の音楽はもともと宗教とは切っても切れない関係にあるし、宗教もまた音楽の力なくしては成り立ち得ないのかもしれません。多くの作曲家がそのために作曲をしているし、その親しまれたメロディーがミサ曲に使われていたりもする。キリスト教で聖母マリアを讃える歌として『アベマリア』という曲があります。作曲者はシューベルトというのが一般的です。

というわけで、世の中にアベ・マリアという曲は唯一ではありません。古くはグレゴリオ聖歌からカッチーニ、モンテヴェルディ、モーツァルト、ロッシーニ、メンデルスゾーン、リスト、グノー、フランク、ブルックナー、ブラームス、サンサーンス・・・など幾多。リストなぞは2曲もアベマリアを書いているそうです。日本の作曲家にも数多く手掛けられている。

シューベルトのアベマリア
シューベルトのアベマリア。あまりにも美しいその旋律は忘れることができません。この曲、もとはミサ曲ではなくて、歌曲集『湖上の美人』のなかの『エレンの歌』第3番として歌われたのだそう。主人公エレンは父とともに追手を逃れるため、スコットランドの湖の洞窟に身を潜めているのですが、そこで聖母マリアに助けを求めてアベマリアと歌いかけるのがこの曲とのこと。シューベルトのこの曲、あまりに厳かで美しい曲なのでミサ曲に使われることになったのでしょう。確かに歌いだしで『アベマリア』という句があるのですが、それに続く歌詞はそれなりにこの歌曲集の前後の筋書きもあるため、賛美歌としてふさわしい歌詞に置き換えられているのだそうです。

バッハ/グノーのアベマリア
これはまたちょっと変なアベマリアという感じがします。この曲もメロディーの美しさからよく知られています。でもこの“バッハ/グノー”って一体どういう意味なのでしょう。ヨハン・セバスチャン・バッハといえば18世紀、ドイツの偉大な作曲家。そしてシャルル・グノーという人は19世紀のフランスの作曲家。お互い時代も大きくずれており、決して共同で作られたわけでもありません。

こちらの『アベマリア』、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲のメロディーを伴奏にグノーが自らの旋律をかぶせ、さらにラテン語の祈祷文を付けて宗教曲として発表したものなのだそう。そんなことを思うといかにも軽はずみにバッハの曲を拝借したように思えるかもしれません。でもこの『アベマリア』を聴くにつけ、それほどに大バッハはグノーにとって偉大な存在であったのだということを実感します。

マリアカラスでどうぞ

一般に三大『アベマリア』というのがあるそうで、シューベルト、バッハ/グノーともうひとり、カッシーニの『アベマリア』もよく知られているそうです。

日本の宗教音楽
日本では音楽と宗教は大きくかかわりを持っているとはいえません。仏教に宗派はいろいろありますが、音楽と言えるのはなんといっても『お経』でしょう。難解な経文と抑揚の少ない旋律、そして間合いだらけのリズム。口ずさむにはあまりに難しいというか無理がある。結局は『南無阿弥陀仏』とか『南無妙法蓮華経』と唱えるのが仏教で言うところの音楽なのかもしれません。神道で神楽を舞うのに雅楽という音楽がありますが、これもある限られた場でのもので、人々が日常で口ずさむという趣のものでもありません。

キリスト教と音楽
これははっきりといえることですが、西洋のキリスト教の歴史にはいつも音楽がともにありました。そして音楽は布教という大きな目的に対し、非常に重要な役割を果たしたことでしょう。どの礼拝堂にも大小のオルガンがあり、聖歌隊が居、牧師の説教とともに賛美歌が歌われる。その音は礼拝堂の造りとも相まり、すばらしい響きを奏でる。人々は日頃の悩みや悲しみ、不満なぞを、そんな場所で歌うことで癒すことができるわけです。また荘厳な音楽の響きに身をゆだねる中、敬虔な信者にもなってしまう。それほどに音楽の影響は大きいのでしょう。

西洋の人々にとって音楽とは常に身近にあり、それにより活力を得、心や愛を語ることができる。またそれにより、人々の心を先導することさえ可能といえる。

ここ日本では人々が音楽を愛することには違いはないけれど、たとえば寺院の法会などの場で音楽が披露されることもなければ、雅楽の旋律を人々が日常で歌うこともない。あるといえば寺院で『お経』の唱和?くらいのもの。たしかにそれは宗教心を強いものにする効果はあるのでしょうが、キリスト教で扱う賛美歌ほど具体的なものではないような気がします。

それにしても『アベマリア』ってすばらしい。その歌には幾多の戦乱不幸をさえ克服できる『希望』がある。そのメロディーとそして『ああ!マリア様』とでも訳せばいいのでしょうか『アベマリア』の句は、あまりに日常的に口ずさんでしまいそう。

アメリカでは、人種差別による苦しみから、故郷から遠く離れた地で、しかもキリスト教という異端の宗教の場である教会で、黒人たちは彼らなりのすばらしい宗教音楽を作り出してしまいました。ゴスペルという音楽は、教会という閉鎖された空間から解き放たれ、ソウルやブルースとしてさらに大衆化され、挙句の果てには白人の若者たちから絶大な支持をうけることになり、ロックンロール、ロックへと。

話がずれてしまいましたが『アベマリア』。なんと甘美なメロディーと『アベマリア』という官能的な句。教会のミサで、パイプオルガンの荘厳な響きとすばらしい美声で披露される『アベマリア』。キリスト教徒でなくとも、そんなのを聴かされたら誰だっておそらくいちころなんじゃないでしょうか。

亡きL.パヴァロッティ、シューベルトのアベマリア


538 世 界
09/04/24


 世界はひろいという人もいる。世界は小さいという人もいる。世界がひろい。(お前は)世界が狭い、などともいう。世界は温暖化で、世界経済は危機に瀕している、なぞと。世界感という言葉もある。世界とは何だろう。

 広辞苑にある『世界』をかいつまんでみると、『宇宙の中の一区域』『地球上の人間社会のすべて』『人の住む所』『世の中、世間、うきよ』『前世、現世、来世の三世』といったところ。

 現代ではテレビのスイッチを入れれば地球上、あらゆるところの出来事を知ることができる(と思っている)。スペースシャトルで宇宙に出れば、また気象衛星、偵察衛星などの人工衛星を利用すればこの地球を細かく眺めることさえできてしまう。おそらく一般的に『世界』とは、『地球』とか『全世界』というようなものをイメージするようになっているのではないかしら。

 時代をずらせて考えてみる。縄文時代の愛知県豊川市萩町あたり。その時代にこの場所に人が生活していたかどうかは別として、仮にぼくが住んでいたとする(知能程度も風貌もまったく違和感なし)。そのころにもぼくはやっぱり何かに夢を見るのだろうけれど、そのとききっと「ぼくにとって世界とは」と自問をするにちがいない。さてその答えはといえば、おそらく、自分が見て知っている、行動できる範囲ということになるのではないかしら。なにしろそれより向こうについては知る由もなく、どうでもよいわけだから。

 中世ヨーロッパでは世界地図でさえ、宗教的というか概念的な想像図でしかなかった。欧州のキリスト教国家以外のたとえばインドなどの東方の世界は、それこそ世界という概念からはずされていたのかもしれない。それほどに世界とはせまいものだった。

 現在、新聞だ、テレビだ、インターネットだといいながら、この世にはあたかも自分が見てきたと錯覚してしまいそうな情報があふれている。それをネタに世界は自分たちの手の届きそうな身近にあると思っている。でもちょっと考えてみればすぐにわかること。そんな情報なんて操作され、いいように解釈され、だれかに都合のよい形に作りかえられている。要するにぼくらには何もわかってなんかいない。それを「わかった」と解釈させるところがとてもこわいのではないかしら。

 ひとびとがどうあがいても地球規模の世界の自然環境なぞどうにもならないといってしまえばそれまで。でも本来世界は自分の行動範囲に納まってしまうものだとすれば、気持ちもぐっと楽になる。

 愛国心という言葉もある。国を愛する心。国とは一体なんだろう。これも自分が生まれた、育ったとか、今暮らしている土地とか・・。つまり『故郷』とか『郷土』という言葉で換えられるとしたら、国とはなんと愛すべき存在なのだろう。その国のために何かをしよう、しなくてはと思う心はとっても自然なのではないかしら。

 私たちは、ぼくは世界に、国に対して何をすべきなのか。これは身土不二や地産地消の考え方と同じ。私たちにできることは世界にいっぱい存在している。そう、今からでもできるし、遅すぎるなんてこともない。


539 塩について
09/04/28


塩は私たちが生きてゆくためには、なくてはならない物質です。また料理を作るうえで、たいへん重要な調味料でもあります。漬物を作るにも塩がなくてはできません。

一口で『塩』といってもいろいろな種類の塩があります。またそれぞれに特徴があり、使用用途に応じた塩選びも必要になる場合があります。

塩の種類と製造方法
膜濃縮せんごう塩
最も一般的に使われている家庭用の塩です。『せんごう』とは煮詰めるという意味です。

左の図のようにイオン交換膜と直流電気を使うことで、効率よく濃縮した海水(かん水)を作ることができます。これを真空の鍋で(低温で)加熱することで水分を飛ばし、結晶塩を作ります。最後に遠心分離機にかけてニガリ成分などを取り除きます。さらに洗浄と遠心分離を繰り返すことで塩化ナトリウム99.9%という純度の高い食塩が製造されます。ちょっと複雑ですがとても合理的です。

イオン交換膜で塩化ナトリウムのみをろ過しているように思われがちですがそうではありません。イオン化された粒子の細かい塩の成分だけがろ過されるため、細菌や汚染物質などを排除でき、非常に衛生的で安全というのがメーカーのセールスポイント。

日本では塩化ナトリウム99.9%というものが一般的です。湿気を吸いやすいニガリ(塩化マグネシウム)や塩化カリウムなどを取り除くと塩はさらさらになるため、工場内や輸送上の扱いが非常に楽になるというのがいちばんの理由です。もちろんニガリやカルシウム、カリウムなどの成分を残した荒塩などもこの方法で製造されます。現在食用の塩の製造としてはもっとも一般的。

岩 塩
古代、隆起などで陸に封じられたりした海水が風化したもの。地中から採掘される。これを水に溶かし、汚れをとり、均一にしてから『せんごう』する場合もあります。

天日塩
天日と風だけで海水の水分を飛ばし、結晶化させた塩。さらに余分なニガリ分などを小山に積み上げておくことで流し落としたり、遠心分離機で除いてから製品にします。各種製塩法のうちでもっとも手間のかかる方法。赤道に近く、乾季があり、しかも海洋汚染のない地方でなければこの方法で製塩を行うのは困難です。日本でも一部の製塩所で行われていますが、雨季と乾季が明確でないため、効率が悪いというのが難点。ただし「天日塩でなければ」というユーザーもあり、根強い人気がある。
カンホア省の塩田

せんごう塩
平釜などで水分を飛ばし、結晶化させ、作られる塩。一般にはかん水を得るために天日を利用し、手間と時間のかかる結晶化の作業をせんごうで行います。多くの自然塩がこの方法で製造されます。夏季には湿気が多く、乾季の冬にも雨が降る日本のような気候では完全な天日塩の製造は難しいといえます。

天日塩再生せんごう塩
メキシコやオーストラリアなどの極端に雨の少ない地方で、天日だけで水分を完全に飛ばしてしまった塩を輸入し、再度水に溶かし、不純物を取り除いてからせんごうにより結晶させた塩。一般には輸入された粗雑な状態そのままか、多少加工する程度で工業用として利用される場合が多い。食品用としてよりも化学工業で原料としての塩は重要な存在です。

この塩は大雑把ながら、大量に生産できるというのがいちばんのメリット。また味噌などの仕込みにも使われることが多く、粗雑ながら『膜濃縮せんごう塩』の荒塩などに十分匹敵する原料であったりもします。

塩へのこだわり
以上紹介した塩のほかにもまだまだいろいろな塩があります。さて、塩とは何でしょう。その答えとして、まず塩は食品であるということ。では食品(たべもの)とは何でしょう。それはグルメであるとか、空腹を満たすためのものものなどではありません。たべものとは、私たちが健康に暮らすために欠くことのできないものです。そのためには食品はまじめでひたむきなものであるべきです。また私たちが自らの『食生活』のためにここに紹介した塩のうち、どれを使おうかと考えることも必要ではないでしょうか。

一般に人工的な加熱をして得られた塩は料理に使った場合、塩味が前に出る傾向があります。これは岩塩などにも見られる傾向です。それに対して天日塩のように太陽と風の力だけで得られた塩では、とくに漬物に使った場合塩カドがあまり気になりません。素材である野菜の風味をぐっと前に出してくれる性質があります。漬物のほかに旬の味を大切にする日本料理に向くのは天日塩、一方塩味を付けたい肉料理やハム・ソーセージ作りなどにはせんごう塩や岩塩が合うのではないかと思います。

効率よく安いコストで作られたものがよいのか、手間隙かけたものがよいのか。そこにほとんど違いがないのであれば安いものでかまわないのかもしれません。でも知れば知るほど、使えば使うほどにその違い、よさがあるのであれば、たとえばもっとも基本的な調味料である『塩』にこそこだわりが必要なのではないでしょうか。


540 忌野清志郎
09/05/10

 闘病を続けていた忌野清志郎が逝ってしまった。なんといっていいのかわからない。ぼくはあまり日本のロックは聴いてこなかなかったので、清志郎のレコードやCDをそれなりに揃えているわけでもなく、ライブに行ったわけでもない。けれどはっきりいって大ファンだったし憧れだった。別におなじ歳だからとかじゃなく、ただただカッコよかったから。あくまでブラックミュージック基本のロックンロールは断然のノリでなんともたまらなかった。テレビでちらっと出たりすると『やっぱカッコいい』と思い直し、仕事中こっそり You Tube で最新映像を確認。突然とびだす歌声にあわてちゃう。「おいおまえ、仕事しとるんか」という周りの視線を痛烈に感ずる一瞬。わたくし、清志郎のCDはたった2枚しか持ってません。インターネットで注文しちゃおうかしら。

 あんなに反骨精神というか反抗的、反体制、庶民派なミュージシャンってあこがれる。自分はといえば、すぐにへこむし妥協する。喧嘩をすれば負けちゃうので、トラブルに直面するとすぐ方針変更。また丸く治めちゃったりして。これって言い換えれば『軟弱野郎』ってこと。

 ほんと、ぼくは軟弱野郎。気持ちや外見(そとみ)ではカッコいいこと言ってるくせに・・。自分のことは自分がいちばんよく知っている。でもやっぱり清志郎みたいにカッコつけたい。つっぱりたい。反抗精神の代名詞みたいでいたい。だから清志郎を見たり聴いたりすると「踏ん張らないと」と思いなおす。

 音楽に求めるもの。いつもぼくはエネルギーがほしくて音楽を聴いている。だから高揚する音楽を求める。たとえばジャズのようなクールなものより、ブルースやソウル、そしてやっぱりロック。直情的なの。ほんとは自分の波長に合うからじゃなくて、自分にないから、足らないからなのかもしれない。強いものはやさしいものを好む、のだとすれば、ぼくの場合はやっぱり強いものへの『あこがれ』なのかしら。

 でも清志郎やほかのロックのおかげで、ぼくはある程度強気でいられるし頑張れる。勇気づけられる。情けないけれど、ぼくが粋がれるのはロックのおかげ。今夜もへこんだ自分にカツを入れるために聴くのかも。

 そんな多くのロッカーたちも、筋金入りのロッカーに限って早く逝っちゃう気がする。佳人薄命。清志郎の先達では、オーティスレディングやジョンレノン。若くして、ほかにもたくさん。そしてまた清志郎もその仲間入り。

 ロックのできるひとなんてめったにいない。むかしできたひとでも今はできないというひとが多い。むかしから今も、これからもずっとロックをしているひとなんて、もっともっとめずらしい。歳をとるとカッカとしなくなるのかしら。あのローリングストーンズだって、最近やらなくなってきてる。

 以上、お茶を濁してみたけれど、ほんとは彼のことを思い出すたび、悲しみがこみ上げてしまう。なんと言っていいかわからない。もうあたらしい歌は聴けないし、一度はと思っていたライブも観に行けなくなってしまった。

 世間やマスコミはしばらくすればみんな忘れてしまうだろう。でもぼくはあなとのことを忘れることはありません。固く誓って。いつかぼくもそちらに逝ったら、今度は絶対観に行きます。ベイビー。