571 フリーラジカルと発酵食品
11/09/22
3/11に起こった東北大震災。それにともなう原発事故。その結果、日本は放射能の汚染に悩まされることになってしまいました。

みそなどの発酵食品が放射能を消してくれる、という話を聞いたことはありませんか。でもこれは間違いです。その成分が体内に取り込まれてしまった放射性物質を吸着し、体外に排出するはたらきはあるそうですが。なぜなら放射性物質はそれ自体が元素ですから、それを消滅させたり、その性質を変えてしまうことはできません。

放射性物質が発する放射線が生物の遺伝子を傷つけるといわれています。それにより、ガンをはじめ、心臓などの臓器の病気など、つまり加齢(老化)にともなって起こる疾患が起こりやすくなるといわれています。それを防ぐ具体的な方法があるとはいえませんが、まずは免疫力のある健康なからだを持つことが必要なのかもしれません。しかしそれもなかなかむつかしいことです。

地産池消とか身土不二、医食同源などといわれます。とにかく『食』とそれを支える『農』が健康の基本です。日本の文化としての食と農を大切にしなくてはならないと思います。

フリーラジカル
自然界のあらゆるもの、その一部としての人体は酸素や水、水素など、あらゆる物質で構成されています。物質とは原子と原子が結合した形で、つまり分子という安定した形で存在しています。

セシウムやヨウ素、プルトニウムなどの放射性物質から出る放射線は光線とちがって、分子を突き抜けてしまう性質があります。その際に遺伝子を傷つけてしまうことも当然あります。または水などの分子に衝突破壊してフリーラジカルという、不安定な状態の元素を作り出してしまったりします。フリーラジカルと呼ばれるものは1000以上もあるといわれていますが、その中で生物の老化を進めてしまうといわれているのが活性酸素です。

通常酸素は『O2』で安定していますが、『O』という非常に不安定な形になっているのが活性酸素です。そのため、急激に他の元素や分子と結びつこうとしたり、直接遺伝子(DNA)に接触して傷をつけてしまったりもします。このとき、免疫力があれば正しく修復された遺伝子が新たに作られるのですが、からだが弱って免疫力が低くなってしまっていたり、成長期のこどものように代謝が活発であったりすると、壊れてしまった遺伝子がそのまま複製されてしまうことがあります。その結果、フリーラジカルとしての活性酸素も放射線と同じような悪影響を生物のからだにあたえてしまうことになります。

発酵食品の良いところ
発酵食品は発酵によりビタミンや酵素が作られますが、それらの一部が活性酸素などのフリーラジカルと結びついたりして安定した形にもどす役割があるといわれています。

フリーラジカルを防ぐため、サプリメントなどの補助剤や栄養剤を摂取したりするのも方法かもしれません。でも『医食同源』という言葉があるように、食べるものが直接健康に影響するのであれば、より自然な食を守ることが大切なのではないでしょうか。

市販の漬物は
市販の漬物を製造する場合、その基本は発酵させないということです。なぜなら発酵させると、その進み具合によって毎回味がちがってしまうからです。いつも均一でおなじ味の漬物を出荷するために、発酵をさせないよう酸化防止剤や防腐剤を加え、さまざまな調味料を加えて味付けをして「それらしい」風味と食感をつけをしてしまいます。これでは食感だけが漬物の、添加物の固まりを食べているようなものです。日常的にこのような食品を食べていたのでは、フリーラジカルを防ぐどころか、自身のからだの免疫力を高めることなどとても無理といわざるを得ません。

健康はまず『食』が健全なものでなくてはなりません。私たちは今一度、『食』とはなにかについて考え直す必要があります。また、それを支える『農』がいかに大切なものなのかを再認識する必要があるのではないでしょうか。


572  二代目きく
11/11/09

 道長の愛犬きくが逝ってもうじき100日が過ぎようとしている。いまだにきくとの16年間が懐かしく、気付けばさみしさに心がいたむもの。とばかり悲しんでばかりいられない。きくが逝ってじきに、知り合いから「身内で柴犬が生まれたので飼ってくれないか」との申し出。どちらみち次のワンちゃんを・・・と考えていた矢先なので「貰う」と意思表示してしまったのだった。

 てなわけできくが逝って2ヶ月経ったころ(四十九日はちゃんとすませた)、まだちいさな柴の子犬が届けられた。性別は雌。道長ではもうとっくのむかしに次にやってくる犬の名前はきまっていたのでした。今度もやっぱり『きく』。それしか考えられません。早速かかり付けの獣医さんで登録完。

 先代のきくが逝ったのが8/5、二代目きくが生まれたのが8/15。これは明らかに先代きくの生まれ変わりとしか考えられません。何かの申し合わせ、ご縁なのだと納得。

 今度のきくは柴犬ということで先代きくより小柄。ならば犬小屋の周りを柵で囲い、退屈しないよう、歩き回れるスペースを確保できるかも。ところがそれを現実のものにしようとすると、安価・頑丈という相反する条件を満たすばかりでなく、さらには『いい加減に』というこれまた都合のよい条件を付け加えなくてはいけません。なにしろ道長といえば漬物で飯は食ってはいるものの、大工は苦手。日曜大工の一歩手前の土曜大工(日曜日は遊びたいので、土曜日にやっつけでする大工:道長思い付きの造語)というのが関の山。しかしこの場合、けっこうしっかりとした構想が必要。ここは頭を使わないといけません。二代目きくが動き回るスペースを囲う構築物が、あれでもなくこれでもなく、ぐるぐると頭の中をめくるめくめぐるのだった(というより理想的には頭は回転させなければいけません)。犬は囲っただけでは穴を掘って出てしまうし、あまり大雑把でもいけない。かといってかっこいいフェンスなんぞ張ろうと思えば家計にもひびく。何度かホームセンターにも通いつつ、やっとのことで頭の中に完成図出来。

 かくして結論はラティス(格子の柵・窓・戸など)を使う。下は掘られないよう、ブロックを埋める。粋に見えるよう、白のペンキを塗る。ということで、開始したら早く終わることしか考えない性格なので、それこそ一気に作業終了。犬小屋も初代きくのものを屋根ふき替え(遮熱材も込)で改修完。

 外見は『それらしい』感じの二代目きくの日常空間が完成。とはいうものの、おそらく、二代目きくも成犬になるころには、ラティスのフェンスを乗り越えるようにもなるのだろう。そのときの対策は今はよしとして、とにかく、今のところはこの日常空間で事足りている様子。

 かわいいばかりの子犬のころ、いたずらすぎて手を焼く青年期、強気で鼻息荒いオトナの時期、そして心も落ち着く老年期。それぞれの時期を付き合ってゆくのだけれど、その一時刹那がいとおしく、忘れがたい。動物との生活。家には猫が4匹同居。腹の立つことも数多幾多あるけれど、また別れという悲しい出来事も必ずめぐってくるけれど、やっぱり動物との生活は楽しいし、よろこびがある。これからもそんな時間を大切にしてゆきたいと思う。


573 お正月
12/01/03

 ♪もういくつ寝るとお正月〜♪。夏休みとくらべるとぐっと短いのに、冬休みはこどもたちにとって楽しいことばかりでてんこ盛り。クリスマスのサンタクロースがすむと、次のお楽しみは夜更かしできる大晦日、初詣、そしてお正月。

 お正月といえば、まずは何はともあれ『お年玉』。元旦の朝、父親の前に正座。うやうやしくも厳粛なるお年玉の袋をいただいたもの。そしてほかにといえば、そうそう唱歌『お正月』を歌ったこと。凧揚げ、こま回し、鞠つき、そしておいばね。本来正月を前に、それを指折りたのしみに歌うのが唱歌『お正月』であったろうけれど、なぜか年末から正月中歌ってたような気がする。それほどにお正月にふさわしい曲として日本人に親しまれてきた。

 この唱歌『お正月』は、不遇の天才音楽家滝廉太郎がドイツに留学するすぐ前の、1901年、彼が21歳のときに発表した20曲からなる幼児向けの幼稚園唱歌集のうちの1曲です。他に『ほうほけきょ』『桃太郎』『かちかち山』『鳩ぽっぽ』などありますが、現在の私たちにはほとんどなじみのない曲となっています。

 『幼稚園唱歌集』は1901年以前には、文部省音楽取調掛(1887年より東京音楽学校となる。現東京芸術大学)の編纂で1887年に出版されたのが最初。全29曲のうち、ほとんどが西洋の有名な民謡などに難解な文語がつけられていた。そのため、現在その歌詞がそのまま歌われることはまずない。『蝶々』『進め進め』『霞か雲か』『蜜蜂』などの曲が今でもなじみがあるのは、それが単に世界的に歌い継がれているという理由によるものかもしれません。たとえば『進め進め』なぞはフランス民謡といわれていますが、軍事教練の目的なのに、太平洋戦争終結後には『すずめのお宿』なる小学校唱歌として生まれ変わっている。それにしても『進め』が『すずめ』に置き換わるところなぞ、まったくあきれてしまいます。

 とにかく、滝錬太郎に課せられた課題は幼児もよろこんで歌える、というコンセプト。その20曲のうち廉太郎は17曲を手がけていて、西洋のものの編曲は1曲のみでほかはすべてオリジナル。うち3曲は錬太郎の親友鈴木毅一作詞作曲。さらにそのうちの16曲に、幼児でも親しんで歌える歌詞を付けたのは東くめ。彼女は錬太郎より東京音楽学校の2年先輩にあたる。はじめて口語による詞を唱歌に付けたことで知られていて、この1901年の幼稚園唱歌集が最初。

 時代が進み時がたち、昨今、日本のお正月の様相もあきれるほどに変わってきてしまった。現代となっては凧なぞ揚げる場所もなく、こま回しや鞠つき、おいばねなぞも、もうさっぱりしなくなり、こどもたちはもっぱら自分の家でTVやパソコンゲーム。もはや凧揚げや鞠つきなぞ、正月冬の定番遊戯そのものが忘れ去られようとしている。
 だからというべきなのか、唱歌『お正月』も歌われることが少なくなり、近い将来には忘れ去られてしまうのではないかしら。かわりに歌われるものはといえば、1年もすればお払い箱になってしまう、今流行のポップ。これはまったくさみしいことで、本来継承されるべき文化としての遊びが、文化とはかけ離れた、グローバルな商業主義に操作された遊びにとって代わられようとしている。日本全国、雪国でもどこでもマリオだのポケモンだの、著作権に縛られた作為的なキャラクターばかり。

 いまさら半世紀前の文化にもどれるわけでもないけれど、ここは間違ってはいけないと思う。本来あそびは商品ではなかったはず。凧や鞠なぞは商品としてあっても、遊び方はいろいろで工夫は子供たちが考える。

 昨今のグローバル文化。まちがってるぞ。本来のあるべき姿にもどせば、社会ってもっと健全になるんじゃないかしら。
1879年の『進め進め』と戦後の替え歌『すずめのお宿』の歌詞の一部


574 フォルクローレ
12/01/20

 名古屋鉄道の金山駅に降りてみると、聞きなれたフォルクローレの力強いメロディーが響いていたのだった。1970年頃、アメリカのデュオ、サイモンとガーファンクルがその一部をアレンジして歌い、ぼくも好きになった曲『コンドルは飛んでゆく』。懐かし哀し、はるかインカ帝国なぞに思いを馳せる。

 コンドルは飛んでゆく(El condor pasa)は1913年ごろ、ペルーのダニエル・アロミア・ロブレスという作曲家が書いたオペレッタ(軽歌劇)「コンドルカンキ」の序曲(歌詞はない)なのだそう。コンドルカンキは人名でフルネームはホセ・ガブリエル・コンドルカンキ。彼は1780年、侵略国スペインに蜂起。翌年捕らえられ処刑されてしまうが、反乱はアンデス全域へと波及し、後にペルーを独立へと導いた国民的英雄。

 このコンドルは飛んでゆくを駅の広場で演奏していたのは、ペルー出身の『Kerumantu』というフォルクローレを演奏するバンドで日本での活動は15年ほどにおよぶ。ぼくも1枚、即売のCDを買ってしまった。

 フォルクローレといえば、南米ペルーをはじめ、ボリビア、エクアドル、アルゼンチンなどのアンデス地方に伝わる古来からの民謡と思ってしまうのだけれど、その歴史は以外に浅い。フォルクローレ(英語的に訳せばこの場合は伝承音楽)は、調べてみると中南米で1950年代に生まれたいわば大衆音楽なのだそう。むかしから伝わる民族音楽と、侵略国スペイン系のリズムや旋律、商業文化などが合わさって生まれたといわれる。

 考えてみると、これは世界のあらゆる大衆音楽にもつながることだけれど、たとえばブラジルのサンバ、南米のタンゴ、中米のレゲエ、アメリカのブルース、ソウル、ハワイアンなども同様な歴史経緯があるのかもしれない。そしてその背景には侵略勢力である欧米諸国の文化と、圧制を受ける側の地域、民族文化との、本来は敵対し、相容れないはずの文化の交わり、融合がある。

 日本でも戦後の歌謡曲なぞは、それまでにあった大衆音楽(これも欧州や大陸の旋律との混血)に、戦勝国米国のソウルやリズムアンドブルースが掛け合わさってできたといえる。

 国と国、民族と民族のつながりの中で文化も勢力の強い欧米勢力の影響をより強く受ける。そしてさらに、米国の黒人音楽が及ぼした影響力はとくに大きいといえる。それは白人との差別の中からうまれた音楽だけれど、幸せになりたいという希望の音楽だったから。こればかりは勢力の強弱などではなくて、純粋に世界の若者に影響を与えてしまうほどに、強烈なインパクトがあったのだろう。

 音楽は喜怒哀楽を表す。そして音楽の目的はそれを演奏し、聴き、高揚し、幸福になること。1950年代といえば世界が戦争から解き放たれた時代。技術やマスメディアの発達で、商品としての音楽が大いに開花した時代。とくにラジオの普及で、誰もが音楽を共有できるようになった。まさに世界が希望の音楽をめざした時代。

 そんな世界中の大衆音楽なのだけれど、今や商業化、情報化が進み、世界的に画一的なものになろうとしている。自然界ばかりでなく、今や音楽文化まで多様性が失われようとしている。

 さあ、Kerumantu のフォルクローレでも聴いて「グローバリズム反対! 多様性バンザイ!」


575 遺伝子組み換え技術と発酵
12/01/30

2011年12月現在で、国が認可している遺伝子組み換え(GM)食品は168品種だそうです。99品種だった2009年と比べると69も増えており、まったく留まるところをしりません。さらに品目として、それまでの7品目(ジャガイモ、大豆、てんさい、とうもろこし、ナタネ、ワタ、アルファルファ)に加えてパパイアが1品種加わり(2011/12 月承認)、8品目となっています。GM食品に新しい品目が加わったのは、2006年のアルファルファ以来ということになります。アルファルファはもやしやサプリメントに利用されます。家畜の牧草にも。

昨年春には沖縄で認可されていないGMパパイア(台農5号という品種に台農2号というGM種が混入した)が栽培されていることがわかり、伐採処分されたばかり。今回認可されたパパイアは米国ハワイのレインボーという、リングスポット病(輪点病)に抵抗性があるといわれる品種。

GM添加物
一方、あまり知られていませんが、GM添加物というものもある。2011年12月現在で、6種(α-アミラーゼ、キモシン、プルラナーゼ、リパーゼ、リボフラビン、グルコアミラーゼ)、14品目が認可済み。リボフラビンは別名ビタミンB2でビタミン、酵素の一面もありますが、黄色の着色料として利用。そのほかの5種も酵素で、食品の加工、医薬品、洗剤などの製造に関っています。


2011/12現在

輪点病のパパイア
2011年12月、遺伝子組み換え技術でつくられた2種類の調味料5’-イノシン酸二ナトリウムと5’-グアニル酸二ナトリウムの混合物5’-リボヌクレオチド二ナトリウムという核酸系調味料が広く加工食品に利用されていることが発覚。その輸入量は年間数百トンにおよび、すでに約200万トンという膨大な量の加工食品に利用されています。

国内市場に出回ってしまっているこれだけの量の加工食品を撤収、回収するわけにもいかないため、厚生労働省ではとりあえずそのGM調味料の輸入と販売を中止するよう指示したとのことです。実質その大半は消費者の口に入ってしまったことになります。その安全性の評価と判断は食品安全委員会に回されてしまいました(結局認可せざるを得なくなるのかもしれない)。


2011/12現在

これらの調味料は韓国のCJ社という大手調味料メーカーのインドネシア工場で製造されたそうですが、日本で認可も受けていない大量のGM添加物がどうして輸入され、流通してしまうのか、まったく理解に苦しむところです(こんなことがあっていいのでしょうか)。

さらには、その後発覚した江崎グリコの例。日本国内で同社が製造した上記GM調味料を海外に輸出し、それを再度輸入していた。ということですが、そんなことしてもいいんでしょうか。

イノシン酸といえば鰹節、グアニル酸はシイタケの旨味成分ですが、この二種類を混合することで相乗効果が起こり、感じる旨味が格段にあがるといわれています。

発酵といえば聞こえはいいが
今までのGM添加物はリボフラビンのほかは酵素です。タンパク質やでんぷんを分解するのに使う酵素を、大量に安価に製造するためにGM微生物を使ってしまおうというものです。

調味料の製造
つい最近までの主流は、塩酸などの強力な酸によってタンパク質やデンプンを分解し、水酸化ナトリウムで中和・安定させて○×ナトリウムというような旨味調味料を製造していました。ヒトの胃で行われている消化とおなじ原理です。

しかしながら、最近では微生物・細菌に効率的な発酵をさせてしまい、目的の調味料などを短期間に、大量に生産(製造)してしまおうという方向になってきました。そのために、本来ありえないGM微生物・細菌を利用しようというものです。


例としては、サトウキビの絞り粕を液状に粉砕し、微生物などに分解させることで旨味を発生・抽出して調味料を製造することができる。本来廃棄物となるはずの粕を利用できることから、大きなコストダウンが可能になります。

現実に発酵により製造しているわけですから、これを発酵調味料と名乗ることができるわけです。もちろんGM生物を利用した場合はその旨を明記する必要があるわけですが、その痕跡がどこにもなかったりするばあいにはその限りではなくなります。なぜなら「わからない」からです。

現代は微生物にも特許が付随する時代です。GM微生物についても同じで、特殊な能力をもつものはそれ自体が商品にもなってしまう。

今回問題となったGM調味料でなくても、一般に利用されている『発酵調味料』の多くは、その製造工程やそれに含まれない部分に消費者には知らされない、グレーな部分があったりします。『アミノ酸』『核酸系』『酵母エキス』などとも表示されるこれらの調味料は、一般の時間をかけて醸造された調味料とは比べ物にならないほど質の低い、調味料と呼ぶにふさわしくない物といえるのではないでしょうか。ましてや、それを本来存在し得ないGM微生物を利用して製造することについて、大いに疑問を感じます。

今回のGM調味料の問題は、場合によっては社会的な影響が極めてたかく、しかもまちがいが起きてしまった場合、取り返しがつきません。

本来の発酵食品というものをあらためて見直し、生活に有機的に取り入れてゆくことの重要性を今一度考え直してみたいと思います。


576 Food, Inc.
12/06/05

 『Food, inc.』(2008年)という映画を観た。アメリカの大量消費のための『食』と『農』に起こっている問題を痛烈に批判したドキュメンタリー映画でアカデミー賞にもノミネートされている。

 Food, inc. つまりは食品会社という意味。ハンバーガー大手などの需要に応じるための大規模農畜産業は、今や食品の原料を生産する工場と化している。家畜や鶏などは動物としてでなく、肉というものとしての扱いしか受けていない。不衛生な環境で汚物まみれのまま、と殺場へ送られる牛や豚。成長促進剤で急速に成長肥満し歩けない鶏。抗生物質の多用で発生するO-157中毒死。その防止のために、マクドナルドハンバーガーのピンクスライムと呼ばれるひき肉パテの殺菌にアンモニアまで使われる始末(消費者の反対で中止)。

 食品工業の世界での劣悪な環境は動物ばかりでなく、労働者である人間にまで。安い労働賃金を追求する食肉加工業者にとってメキシコからの不法入国者がメインの労働力となっており、その環境はこれまた劣悪。こういった労働者は違法には違いないため、定期的に警察が入り、彼らを逮捕、強制送還となるのだけれど、これも業者の加工ラインに支障のないよう、計画的に儀礼的におこなわれる。減った労働者の補充はいくらでもあるため、業者はその確保に苦慮することはまったくない。

 遺伝子組み換え(GM)作物の開発・商品化によっても、食品産業は大きく飛躍した。今まで農家には農薬しか売ることができなかったモンサント社、バイエルなどの多国籍企業は、GM技術を得てバイテク企業へと転進。除草剤耐性とか殺虫作物を開発し、今度は知的特許のある種子を独占販売するに至った。しかも、それとワンセットで農薬も売れる。除草剤を効率的に使える、殺虫剤を使わなくて済むなど、いいこと尽くめの振れこみで利益を一気に独占。モンサントなどは行政にも支配力を持ち、GM作物で南北アメリカ大陸の農地を一気に自社作物(製品)で塗りつぶしてしまった。周囲からのGM汚染のおかげで、もはや非GMで農業を続けること自体が不可能となってしまっているというのが現実。

 そんな状況で生産される農畜産物は、イメージでは古きよき田園風景なのかもしれないけれど、現実はただの工場。そこでは安全性や品質は二の次で、経済性のみが追求される。

 日本にも多くの食材、農産物がアメリカから大量にやってくる。ハンバーガーだフライドチキン、牛丼、ステーキなどのファストフード。砂糖に取って代わられた、安価なコーンスターチを原料とする甘味料。大量生産の食品工業から発生する動植物由来の残渣を原料とするアミノ酸、核酸系などの調味料。

 すべてがグレーでなぞに包まれ、消費者にはほとんどメリットのないものばかり。アレルギーや病気もおまけについてくる。発酵やGM技術を駆使してのバイテク工業は、今後ますます複雑化し、密室化してゆくのだろう。儲かることなら、結果がOKなら何をしてもかまわない。あとは有名タレント、映像技術を駆使した宣伝広告でイメージアップ。

 これはアメリカだけの問題ではありません。日本の食と農もおなじ。是か非か。それはあなたの判断次第。
●公式サイトはこちら
レンタルショップでも置いています

なんと Robert Kenner 監督と


577 子 猿
12/08/06

 いつものように愛犬キクの散歩に行こうと、川向こうの梅畑へ向かう小道の途中で子猿発見。「あれっ、子猿だ」と思いつつも通り過ぎるつもりが何か変。普通なら逃げるはずなのに・・・。

 案の定、小猿は防獣ネットに絡んでしまっていたのだった。小猿とはいえ猛獣の子ども。うっかり手を出すと食いつかれるのではという不安もあったけれど、差し出したぼくの手に向こうから抱きついてきた。見ればネットは小猿に固くからんでしまっていて外れそうもない。携帯で連合いにハサミを持ってきてもらい、ネットを切断して救出すると、たちまち連合いに抱きついて離れない。それにしても、なんと可愛いのでしょう。

 と、ここまではひとまずよかったのだけれど、その先が・・・さあ困った。ここ豊川市音羽地区ではイノシシ、シカ、サルは害獣のため、捕獲された場合はその場で処分されるというのが運命。ひそかに我が家に連れ帰り、ミルクやエサを試してみたところ、どうやら乳離れする時期に来ている様子。まだ手で掴んで物を食べることはできず、四つん這いの犬食いでナス、トマト、ちくわ。とりあえずペット用のケージに入れておく。

 現在豊川市のサルによる農作物の被害は深刻の様子。サルの群れは20〜100頭くらいで、これが通過するとナスやかぼちゃ、スイカ、柿、ビワなどの果物などを残らず持っていかれる。よほどの防護ネットなども越えられてしまうため、被害を防ぐには爆竹やBB弾銃、パチンコなどで威嚇して通過する群れが迂回することを期待する以外に策がない。

 記録によれば、平成24年の豊川市旧音羽町では、ニホンザルは16頭が捕獲処分されただけ。ニホンジカ、イノシシで各150頭以上捕獲されているのにくらべるとかなり少ない。ニホンザルの捕獲数が少ないのは、やはりヒトに似ているため処分しにくいのがその理由なのだと思う。

 動物園に引き取ってもらえないかと聞いてみた。だめだった。日本モンキーセンター。生後2〜3ヶ月であろうとのこと。だめだった。動物愛護協会も。おそらく今回保護された子猿、ぼくが成熟まで育て、野生にもどしても離れザルとして暮らしてゆかざるをえないのだろう。成熟するのに2年以上かかるし、その後は猛獣となるわけで、おそらくぼくの手に負えなくなるのだろう。正直、困り果てた。
 もしかすると猿まわしなぞはどうかしらんと何軒か問い合わせてみた。するとなんと三重県で引き取っていただける猿まわし師に行き着くことができたのだった。あちらから来訪いただけるとのことで一安心なのだけれど、今度は実際においでいただくまでは本当に引き取ってもらえるのかと正直不安だった。

 小猿を保護した翌週の日曜日の早朝、突然「連れに来ました」の電話をいただいたのだった。もう近所に到着しているとのことでこちらは大慌て。かくして登場してくださった猿まわし師、その車にはなんと1頭のなかなかの迫力のオス猿が檻の中に・・・。名前は『モン吉』とのこと。やはりここまで成長しては、ちょっとぼくには手に負えません。

 里親ができてよかった。ほんの一週間ほどの付き合いだったけれど、あのつぶらな瞳が忘れられない。


578  
12/10/12

 次女の家を新築するというので、そこで飼われていた猫がわが家に居候ということになってしまった。新築するまでの間、という約束なのだけれど。訳のわからない『ウォルミー』という名前のメス、ブチのトラ。仮住まいの間、猫は飼えないというので仕方なく。今年いっぱい。とうとう我が家の同居猫は5匹になってしまった。

 かんたんにその構成を紹介してみる。音羽の家でいちばん古株なのが『まるこ(♂)』で10年ほど前、道長が音羽に移転してしばらくの頃、作業所の近くに捨てられていた2匹を回収した。それらを『まるこ』と『ウォルミー』と次女が命名。その頃はまだ、音羽に住居がなかったため音羽では飼えず、かといって岡崎の実家にはすでに2匹の親子猫が居たためそれもできず、仕方なく次女の家に押し付けたのだった。その後、ぼくらが音羽の今の住居に引越ししたため、2匹はこちらにもどされたのだけれど、お互いの関係がうまく保たれないことが理由で(図体が巨大な『まるこ』がしばしば凶暴を発揮し、2匹の共存が難しくなってしまった)問題の少ない『ウォルミー』が次女の家に引き取られた。

 この時点では音羽の我が家には『まるこ』一匹だったのだけれど、音羽の新作業所新築のころ、2匹の子猫が迷い込んできてしまい、これまた同居ということになった。名前は『とら(♂)』と『クロ(♀)』。この時点で3匹。
 その後、岡崎の実家に長男惠一が嫁さんと住むことになり、そこに居た母『ちゑ子』と『かま(♀)』(親子猫の娘。親はその時点ですでに他界)が音羽の我が家に転居してきた。この時点で4匹。そして現時点、今回居候の『まるこ』の妹?『ウォルミー』の再来で5匹というわけ。

 県道が我が家に隣接しており、車の往来が頻繁で危険なので、猫はいっさい外には出られないようにしてある。だから脱走を防ぐため、網戸では破られるので、さらに頑丈な鉄製の強力網でガード。それでも当初は執拗なまでの脱走敢行でその都度大捜索。そのくせ犯人はどこへも行けず、どこかで動けなくなっているのをぼくらが救出(回収)ということの繰り返しがしばらく続いたもの。現在は思い知ったようで、戸の閉め忘れ以外では脱走はなくなった。
 密閉された空間に5匹が同居という状況は、猫たちにとっていかばかりかはいちいち推し量ってもいられないけれど、おそらく相互関係には複雑に絡み合う問題点もまた多いのかもしれない。それぞれの性格、性別、年齢などを配慮の上、それぞれの猫に個別の対応などしていられない。だから5匹は各々、その日その日の生活で発生するであろうトラブルを、各自の方法で解決(処理)することに。行動範囲が重なってしまっている空間でのテリトリー主張には、オス猫の場合、マーキングという方法で、強烈臭気の尿スプレーを、染み込みの悪い要所壁面に噴射(こうすると臭気が持続するとみえる)。「臭う?!」と思ったら、飼い主が随所に常備のトイレ用臭わんクリーニングシートでその処理にあたるという日々。

 愛猫家の宿命なのか、複数の猫たちへの憤りの日々はつづく。まったく飼ってやっているのか、飼わされているのか、飼い主なのか何なのか、正か逆か、まったくお互いの立場こそがわからなくなる人間と猫との関係。

上左から『ウォルミー♀10才』『かま♀17才』
下左から『まるこ♂10才』『とら♂6才』『クロ♀6才』
●2013年1月、居候をしていたウォルミーは、次女新築完了で、帰郷いたしました


579 アパルーサの決闘
12/10/12

 アパルーサの決闘という映画を観た。2008年、米国映画。いまどき西部劇なんて、と思ったけれど「いやいや、そこがいいとこかも」というわけで最後まで観てしまった。ひさびさ、かっこいい映画。西部劇はこうでなくっちゃ。

 西部劇は銃声一発(お互いだから二発か)で決着が付く。静から動へ。そしてまた静寂。運でもない。銃の腕前もさることながら、武士道にも似た男意気。死ぬか生きるか。めそめそした女なんかそっちへ行ってろ。余分なことは一言もしゃべらず、男は一人去ってゆくのであった。なんちゃって。

 Appaloosa というのは地名で、今のニューメキシコ州の町で時代は1882年。日本は文明開化に明け暮れていた時代で、武士もそうだったように、ガンマンにもそろそろ時代の波が・・。

 アパルーサという町に、やりたい放題の無法者一味がはびこっていた。その首領ブラッグは、彼の手下を殺人などの罪で逮捕に来た三人の前任保安官一行を情け容赦なく射殺する始末。その町へ職業保安官とでも言うべきか、ふたりコンビのガンマン、兄貴バージルとエヴェレットがやって来る。なんともクールで凄腕、男意気で連中を圧倒してしまうのだった。

 ところがバージル、どこからともなくやってきた美人未亡人アニー(品はあるけど男好き)に惚れてしまう。だから、せっかく前任保安官殺害の罪で逮捕したブラッグを汽車で護送する途中、彼の手下どもにアニーを人質にとられ、下手人ブラッグを逃がしてしまうのだった。

 その後、ブラッグはまんまと大統領恩赦で無罪放免。再びアパルーサにやってくる。今度は上辺のよいホテルの経営者として町に居つき、実業家としてやりたい放題の座に。おまけにアニーまでブラッグになびく始末。

 このままではアパルーサの町の保安官の座も怪しくなってきたことを、ひしひしと感じ始めるバージルとエヴェレット。ガンマンの時代に隙間風が吹き始める中、でもやはりガンマンは銃を取り、ブラッグとの一対一の決闘を選ぶのだった。ただし、それは兄貴分のバージルではなく、決して彼に逆らうことのなかったエヴェレットだった。ガンマンエヴェレットは緊迫の一発で、かつてのならず者ブラッグをあっさりと仕留めてしまう。
 エヴェレットには彼女も居たけれど「まあそれはいいさ」とばかり一人馬に乗り、アパルーサを去ってゆくのであった。実質平和となった町にはバージルが保安官としてアニーと残ることになるのだろう。ふたりのガンマンの友情だったが、エヴェレットに必要なのは、強くて頼れる兄貴分なのであり、女とアパルーサというひとつ町に収まる人情男にはもう用はないという感じなのか。なんとも言えず、見送る自分の彼女をあとに、親愛の友への友情を残し、クールなガンマンエヴェレットはひとりアパルーサを後にするのだった。The End 第一巻のおわり。

 日本で言えば武士道、西洋では騎士道。米国で言えばガンマンとなる。いずれも抜き身の一対一。相打ち覚悟の一騎打ち。時が止まる一瞬その刹那、筋金入りのガンマンは、もしかすると、その感覚が忘れられず、すべてを捨ててさえ、クールに粋に、ひとり荒野を、それが最後となるかもしれない次の町へと馬を走らすのかもしれない。


580 下妻物語
12/12/08

 下妻物語という映画をテレビで観た。アニメが挿入されていたり、おふざけだったりで「なんだこれ」ってな、愚にもつかない映画だと思ったらそうでもなかった。

 茨城県下妻市に住むレディースの暴走族娘とロリータ娘のふたりが、それぞれの立場を貫く姿に共感し、親友関係となり、そのために命を張るという話。暴走族もロリータ趣味も、はっきり言ってあまり評価に値するほどでもなく、また世の中の役に立つというわけでもない。そんなものでも、さあ、命を張ろうというのであれば、世間でえらそうなことを言っていても、それを貫く勇気のない腰抜け野郎のぼくらと比べたら、よっぽどすごいことかもしれません。

 ロリータファッションに傾倒する桃子は刺繍の腕も凄く、その筋のプロも敬服するほど。暴走娘イチゴは小さなレディース暴走族のメンバー。いつもひとりで50ccのデコバイクを乗り回している。

 桃子はどうしようもないロリータ趣味娘なのだけれど、カッコいい暴走娘をカッコいいとも思わず、ひたすら自分の趣味に没頭。イチゴはそんな桃子にひかれ、桃子はイチゴの馬鹿さ加減に心を案ずるのだった。

 買物といえばジャスコしか話題に上らない下妻の片田舎。そんな地方都市の小さな暴走族にも、市町村合併でもないけれど、大手レディース暴走族から吸収合併の話が。弱小軍団が突っ張っても仕方ないとばかり、おとなしく家来になれば安泰とばかり、話はそちらに傾くのだけれど、イチゴはひとりそれに反発。それに桃子が加勢するのだけれど・・・。とにかく映像がきれい。

 この手の映画は観ていて何がなんだか訳がわからないというか、あくびがでてしまい、結局最後まで観ていられなかったりするけれど、この映画はそうではなかった。ちゃんと最後まで観てしまう。

 映画というか物語に必要なものは、やはり惹きつける力なのではないかしら。これは音楽もいっしょ。絵や写真でもいっしょだと思う。たしかに「何が言いたいのか」つまりコンセプトも大切かもしれない。けれど、そんなもの以外に単純で、原作さえしっかりしていて、それをまじめに表現をすれば充分だったりする。

 暴走族なんて、はたまたロリータ娘なんて馬鹿馬鹿しいけれど、一途に青春をそれにかける。そもそも青春なんて、その存在自体が回りに迷惑をかけることかもしれない。けれど、それは何かに一生懸命になるがため、ある意味仕方のないこと。結果、同じようなことは繰り返さなくもなる。むしろ問題なのは、青春を経過して後、収まるところに収まり、日常に埋もれ、人生もこんなものかとわかったようなつもりになることこそがいけないのではないかしら。
 青春真っ只中の青年たち。ぼくにもそんな時代があった。今にして思うとけっこう馬鹿だった気がする。恥ずかしい気もする。もう一度青春をやり直したいとは思わないけれど、あの情熱、無計画。なんとなく夢もかなうと思っていた。うーん、実は今でも思っているけれど、あのときの心意気は気持ちいい。

 まだまだ、何かできそうな気がする。『これから』だと思う。がんばろうと思う。