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何故にオタクは物語を紡ぐのか


 ツールを公開している事もあるので、ウチのお客様には文芸同人の方が多いのだろうなあと考えております。で、きっと皆さん不思議がってらっしゃると思うんですよね。なんでこの人、作品として不完全にしかなり得ないパロディ小説なんか書いてるんだろう? 自分で自分の世界を構築し、それを表現していく創作の喜びを知らないの?
 自分で作品を書いてらっしゃらない方々も困惑してらっしゃると思います。折角のHPで、何でこの人マンガのCMなんかやってるの?。

 ――ごもっともでございます。

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 オタクの歴史にあんまり詳しくない店主(いや、自分の事で手一杯で)なので、これは想像です。対象物に拘るオタクの創生期における自己表現手段は、レポートのような物が主であったのではないかと考えています。いまでもコアな推理小説ファンサイトにあるトリック分析。あるいはホラー・神道小説などの怪奇現象解説。科学初心者向けのSF小説の現象説明など。そうですね。謎本のハシリである『磯野家の謎』、あれを思い出していただくと一番近いと思います。
 “地取り”と称して推理小説の現場を訪ね、「犯人はこの通用門を使った」とか「ここで刑事が缶コーヒーを飲んだ」等々、地図・写真含めてレポートした物を見た事があります。いやもう水も漏らさぬ綿密な取材ぶりで…。作成者の作品に対する思い入れがこれでもかッ、という位に溢れた興味深い物でございました。

 そういった物であれば一般の皆様にも楽しんでいただけると考え、京屋は他のオタクサイトさんにあまりないこれら“所感モノ”を重要視しています。とはいえ何しろ知識のない情熱だけのバカ野郎なので、一年以上できあがれずにいるコンテンツも多く…大変申し訳ございません(汗)。


 このレポート物とは別口で、パロディ小説を用意させていただいております。これは物語世界への傾倒というよりは、物語の登場人物への傾倒に端を発しているコンテンツで。オタクなお客様が一番楽しんでいただけるのはこれでしょう。…楽しめればの話だけど(何しろ店主の興味対象がレアなもんで)。

 たとえば物語が終わった後、一人残されたこの少女はどんな女性になるんだろうとか、去っていったこの男は10年後にこの時の事をどう思い返すんだろうとか…そういう想像の翼がパロディ物語の源です。提供された物語世界を離れ、物語の未来や過去を考えてみる。――いわゆる感想文に近い物だと思います。自分が見たあの物語と同じ物を見て、他の人は何を考えたのか。それが知りたい。ましてそれが大好きな作品であるなら尚更でしょう。自分と同じ事を考えた人には親近感を持ち、思いもよらない事を考えた人に驚く。これはとても面白い事です。多くのオタクサイトでメインコンテンツがこれになるのはもう必然と言っていいと思います。
 もちろん元となる物語には、受け手の想像を許すだけの設定の緻密さと大ざっぱさ(付け入るスキ、想像を掻き立てるスキ)がなければなりません。何よりも有無を言わさず受け手に想像させてしまう、魅力的な登場人物の存在は最重要です。こういうデキのいい物語はデキのいいパロディを生む。

 あくまで原作という前提をふまえた上でのお遊びの創作。いや、創作とすら呼べないレベルの物がほとんどでしょう。借り物の設定に借り物(あるいは原作者が意図した範囲の想像)のストーリーで、自分が一人前に物語が書けるつもりになっている、と言うのが一番正しいのかも知れない。

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 作品としては半端物でしかないパロディ小説は、それでも時としてすさまじい力を持つ事があります。
 たとえばある作品にAという人物がいたとする。悪の秘密結社の下っ端で、小ずるい臆病な誰にも好かれないタイプのキャラクターとして登場していたとする(特撮モノと思って下さい)。ところがパロディ小説の中で、このAという人物に妻がいて子供がいて、どんな恥を忍んでも家族を守って生き延びなければならない理由があった、という風に書かれたらどうでしょう。それが充分に質のいい、通読に堪える作品であったとしたらどうです?

 オリジナルの醍醐味は、受け手の中に0から世界を構築する快感だと思います。もちろん生半可な作業じゃありません。一種天才と呼ばれる人にしかできない事だと思っています。

 パロディ物語の醍醐味は、マイナスである物をプラスに転じてしまう快感です。原作を読んだだけでは黒にしか見えなかった物を、白と読み換えさせてしまう。一端固められた他人の価値観をひっくり返すための物語。これに引っかかった時の快感たるや、ハンパな物じゃありません。「やられたっ!」としか言いようがない。冗談抜きで抜けた魂取り返すために、原作30巻一気読みしなきゃならない。しかもすでに以前と同じ目では原作を読めなくなってるんですよ(笑)。おまけにパロディの作者は物語に入れ込んだだけの一介のファンである事がほとんどで(だからこそ、そういう物語が書けるのかも知れないけれど)、当然作品の質はオリジナルに比べるべくもありません。それでも…世界はひっくり返ってしまう。

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 京屋、このパロディ物語の仕組みを、大変ありがたく思っております。というのも店主の好みというのが世間様の一般常識を大いにとっ外れているようでして(笑)。
 週間少年マンガの主人公が好きで、というのであれば近所の公園で小学生に「ねーねー、○○ってカッコいいよねー」と話しかけたりもできるでしょう(店主、そこまで壊れてはいないつもりですが…切羽詰まればそういう事もできる、って意味で)。ところが店主が死ぬほど入れ込むのは、大概“主人公”じゃなくて“主人公の叔父”だったり“連載五回目でお亡くなりになり、その後は回想シーンにしか出てこないザコキャラ”であったりするという(笑)。
 こういう場合、前述のレポートのような物を提供した所で、まず読んで貰えません。世間様はそんな物に何の関心もないんですから。せいぜいが所「すごいですねー。ボクにはとてもマネできませんよー」と苦笑いされるのがオチです。感心はされます。けれど関心を持ってもらう事も、共感される事もまずあり得ません。

 物語というのは本来、相手を洗脳するための道具と言っていいほど強力なアイテムで。条件は大まかにでも原作を知っている程度でいい(原作を読み込んでいない人のために、おおよその人間関係と人物紹介は作品に含めるようにしています)。店主の入れ込みは理解できなくても、そのキャラクターについては物語の力を借りて『ああ、こういうヤツの気持ちは判る』と思わせる事が可能、です。
 物語という武器を使えば、“共感”という宝物をGetできる可能性がある。動物の言葉が判る“ソロモンの指輪”級のヘビーアイテム。だからこそ多くのオタクサイトはパロディ物をメインコンテンツとしています。そしてページの管理者は問いかけてくる。「私はあの作品をこんな風に読んでいます。あなたはどうですか? 私の書いた物を読んで、その通りだと思ってくれましたか?」

 これはレアケースですが…オタク界ではパロディ作品から原作にハマる、という現象さえ少なからず発生します。二次感染と呼ばれるこのケースは、最初にパロディ作品を読んでそれが面白かったから原作を読む、というパターン。完璧なコレは相当まれですが、作品名とだいたいの内容は知っていたが、コミックス全巻揃えたのは面白いパロディを読んだ後、なんてのは珍しい話じゃありません。著作権を握る出版社がこういうファン活動をお目こぼすのは、こういう入れ込んだファンの洗脳合戦が経済効果をもたらすのが判っているからで…利益を侵害しない事を前提とした黙認が慣例となっています。

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 とりあえず京屋がパロディ小説を書くのは、まず好きになった自分の存在証明。これまで生きてきた結果としてこういう人物に引かれる人格ができあがりました、という自分を確認する作業とでも言うのでしょうか。それからやっぱり「判って欲しい」というオタク本来の感情。決して世間一般に通りのいい趣味ではないけれど、こういう感じもステキだと思いませんか?という問いかけですかね。
 本当に汎用性のない物語で、折角ありあらゆる方にアクセスしていただけるWWW環境でこういう事をするのはもったいないのかも知れませんが。それでも京屋が一番切に願うのは、この不気味な嗜好をオタクとは縁のない方々にもそれなりに理解していただくと言うことで。チャレンジャーと呼ばれつつ、努力していこうと思ってます。

 ちゃんと読むに堪える物語が書けるようになるといいな。

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