bake
著作権!


 著作者の権利というのは著作人格権と著作経済権とに分かれるんだそうです。人格権というのが「この作品の作者はオレ」と主張・公表する権利、作品を自分の書いたまま発表する権利(改竄されないとかね)。でもって経済権の方がお金儲け全般に関する権利。
 今回初めて知ったんですが、日本での著作権法というのは親告罪で、いわゆるパクられた相手がパクった相手を告発しない限り、罪にはならんのだそうでございます。これって、すごく日本らしいというか村社会的というか(笑)。パクり元個人が「不愉快だ」と思ったら止める。そうでなければやっていい。一番原始的で情動に沿う形の法律だと思います。
 ま、早い話がオタクがやってる評論にせよ(こっちは歴史もあるし文化的意義もあるってんで割と認められるようだけど)パロディ作品にせよ、原作者とか出版社が一言「止めてくれ」って言えば、それで吹っ飛んじゃう活動でしかない訳です。

 まったく…何が悲しゅうてそんなコトに血道上げてんだかねえ(笑。オリジナル書けよ)。

 とりあえず、当事者として気は使ってるつもりです。市販されてる謎本読んで「ここまでなら言っても許される」のアウトライン掴んだり。原作者の動向をチェックしたり(こういうファン活動にうるさい人かどうかとか)。もちろんTV局や出版社からGIF映像かっぱらってきて、公式サイトの名を語るだの、自分の作ったポケモン縫いぐるみ通販しますだのと書くのは論外。著作者の許容範囲内、出版社の利益を侵害しない前提で、こういうファン活動をお目こぼしていただいてる次第。

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 正直言えば京屋、著作権という物に疑問を持ってます。

 5年ほど前、某バンドのファンの方々と親しく付き合わせていただいた事がございます。ボン・ジョビの曲に日本語の歌詞つけて自分達の曲でござい、と売ってたユニット、と言って判りますかねえ(笑)。洋楽雑誌の読者コーナーで“素人のファン活動だね”とコケにされてたユニットでございます。今は何て言われてるんだろ。
 で、まあ彼らのファンの方々と親しくさせていただきまして。皆様パクリの事実を(程度の差こそあれ)ご存じだったりするんですよ。でも買うCDはオリジナルではなく、コピーであるそのユニットの方。辛いときや苦しいときに聞いて救われる気になるのはコピーの方。

 じゃあオリジナルである事に何の意味があるんだ、ってのがその時の感想でした。「あいつら才能ないよね」と暴言を吐く京屋に「好きなんだもんいいじゃない」と開き直ってくれた彼女らの強さと大きさが、すげえカッコ良かった。好きだからこそ傷つきもしたろうし、悔しい思いもしたと思う。そんでたどり着いた場所が「好きなんだもんいいじゃない」。
 京屋、そのユニットのファンには最後までなれませんでしたが、そのファンの方々の豪気さが相当好きです。京屋みたいな部外者の悪口雑言を、それでも聞き流して「好きだ」と言い切る度量があった。アニメファンのケツの穴の小ささを思い知らされましたよ。
 まだまだオイラ修行が足りない。

 コピーだろうがパクリだろうがまがい物だろうが、人を感動させた時点でそれはその人にとって本物になる。たとえその感動が演出やプロモートによる物であろうと問題じゃない(青春の思い出の曲なんてそんな物でしょう)。他人を感動させられない作品がオリジナリティをふりかざしたって「それがどーしたの?アンタの自己満足でしょ」ってのが、受け取る側の本音です。
 売れりゃ正義なのかと言われればそれは違う気もするけれど、少なくとも他人を動かせない本物より、他人に思い入れさせ、金を払わせ、あまつさえ人生の一コマに納まってしまう“まがい物”の方がどう考えてもスゲエんじゃないの。
 結局オリジナリティに奇蹟を起こす力ってないよな、と思うわけで。で、そのオリジナリティをメインに考えてる著作権について疑問を感じてしまうワケ。

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 全然関係ない話かも知れないけど…UNIXの“オープンソース”という考え方が気に入ってます。UNIXというOSはソースコードが公開されていて、誰でも無料で手に入れる事ができる。誰でもそのコードを改造する事ができる。
 無料であるから、サービスは付いていません。ソースはC言語で書かれていて、しかも世界屈指のプログラマーが競い合うようにして書いた物で。とてもじゃないが半端な知識で太刀打ちできるようなシロモンじゃあございません(泣)。けどそれを読めば、全ての事が判っちゃう。そういう仕組み。
 早い話、著作権は一切放棄されてます。個人が使うのも自由。企業がサービス付けて売るのも自由。そして使う責任は自分持ち。

 でね、このソースコードを公開した人たちが何を考えてたかを想像するに…「これ読んでキミも俺達の仲間になれよ」じゃないかな、と。

 金じゃなくて努力で払ってくれってのが、ネットワークの根底を支えるUNIXというOSの基本思想。自分と同じく努力してる人たちに便利なツールを分けてあげるのがフリーウエア。教えて下さいと言われれば自分で試してまで教えてくれる人のいる掲示板…情報はすべてタダ。その代わりそうやって身につけた知識をタダでネットに返してね、かつての自分と同じに困ってる人がいたら助けてあげようね。

 パソ通あたりまでのネット時代、電脳社会ってそういう場所だった気がするんですよ。今も技術系サイトはそんな臭いがプンプンしてて嬉しい。オイラも教えてあげられる事はできる限り教えてあげるようにしてます。人を選んでだけど(笑)。


 ナップスターのテキスト版みたいな物が作れないかと考えている方がいらっしゃるそうです。ネット上に完全フリーの図書館を作れないかと。人類共通の図書館。著作人格権は守るべきだけど、著作経済権は捨てちゃっていい、という考えが出てきている。で、ニュースグループに課金するみたいな形にしたらいいんじゃないかとか、ファンクラブのような形で作家の生活が支えられないか、とか。日本ペンクラブみたいな所が割と真剣に考えててくれてるらしい(文化庁がネットテキストの集中課金システムを検討中だ、なんて不穏な話もあるけど)。
 話だけで終わるにしても、すんげえ嬉しかった。ああ、既得権利を放棄してでもネットに馴染もうとしてる作家さんがいてくれるんだー。満足だー(笑)。

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 なんか話ズレまくっちゃいましたけど…著作権法ってのがずいぶんと柔らかい法律で、それ故に便利でもあり恐ろしくもあるってコト、ご理解いただけましたでしょうか。
 一ぺん、裁判所呼び出されて、被告人席立たされて、「アンタのやってきた事は全部間違いで、皆さんアンタの書いた事で不快に思われたり迷惑されたりしてるんだよ」ってのを懇々と聞かされてみたいかなあ。心入れ変えて今よりまっとうな人生、歩めるかも知れないし(笑…地下潜って更に違法活動に精出す可能性大)。
 人の心情に繋がってる法律って、やっぱり難しいですよね。



資料として「マンガと著作権」(青林工藝舎刊)を使わせていただきました。コミケで売ってたあの本です。

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