一礼して「召集令状が参りました。二月十五日に入隊することになりました」と言った。課長は「若い者には次々に来るな。これも御国のためじゃ、仕方がないわい」とつぶやくように言われたが、それは時の流れ、今の時勢を強く感じておられる声であった。しかし、それはまた、兵器特に高級な無線兵器の開発と生産に直接携(たずさ)わっている技師を一兵卒として召集しなくとも、軍はもっと人の配置を考えてはどうかという気持と、会社の人が次第に減っていくが、会社の経営を今後どのようにすべきかについて憂慮されている様子がうかがわれた。当時は誰も口には出せないが、会社の人材を召集で取られることは、会社にとり損失は大きいものがあった。
私は「課長さん、入社以来一年一ヵ月大変お世話になりました。完成前の仕事があるのに、これを置いて行かなければならないので残念ですが、お許し下さい」と頭を下げた。課長は「いいよ君、そんなこと心配しなくていいよ。まあ元気を出してやり給え」と励まして下さった。
試作係の部屋に帰り、先輩の人達との間で仕事をしながら、いろいろな話をした。「教育召集なら三ヵ月ぐらいで帰れるぜ」「いや、そんなことはない。どんどん教育して若い兵隊を外地へ出しているんだ」と。
「何としても甲種幹部候補生を取るまでは頑張れよ、甲幹さえ取っておけば楽だから」
皆が話をしている間に、私自身はひそかに、今まで順調にここまできたのだから、一度ぐらい兵隊になり苦労を味わってから将校になり、会社に帰れば、いろいろの経験もでき、物分かりのよい温かい人になれるのではないかなどと思ってみたりもした。
その後試作台の所に行き、長く携わってきた航空無線機の試作機を撫でてみた。完成間近で実地試験までは何としてもやりたいと思っていた。機械はものを言わない。それだけに去り難い愛着が沸くのだった。
この無線機が陸軍の飛行機にセットされ性能を発揮できれば、私が一兵士として働くよりもっと役立つはずなのだが。しかし、現実は現実だ。愛情を込めて奇麗にし、工具なども整理した。誰が後を引き継いでくれるのか知れないが、余裕の人はすぐにはいないようだ::。事務机の方も、『立つ鳥跡を濁さず』で整然と片付けた。
送別会を、明晩新宿の「壽楽(じゅらく)」という料亭で関係の深い社員でして下さることに決まった。もう日の丸の旗が用意され寄・せ・書・き・が始まった。「祝小田敦巳君入営」と大きく書かれている。今まで何回も寄・せ・書・き・をしたことはあるが、今度は自分の番だ。社長の次に川添課長の名が書かれ、次々と書かれた。頑張れ!
振れ! 振れ! 少尉を目指せと。こうして私の健闘を真心込めて見守って下さる方々が大勢いると思うと感謝の気持で一杯となった。
そのうち女子事務員、女子工員達も訪ねて来て「小田さんがいなくなると寂しくなるわ」「早く帰ってね」「元気を出して行ってね」と励ましてくれた。女性の言葉にはそれなりに優しく温かい感情がこもり、胸迫る思いがした。
帰る直前に事務の西崎さんから「明日午後三時、会社全員でお送りすることになり、他にも出征する人があるから一緒に挨拶をしてもらうことになった」との知らせ。「そうですか、そんなにして頂かなくてもよいのに」と言ってみたものの、全員千名の前で挨拶をするのは大変だ。とにかく挨拶を考えておかなければならないと思った。
---五十年余り前に、真心込めて送って下さった皆様、今いかがお過ごしでしょうか?
こうして書いていると当時のお顔が思い浮かびます。大変お世話になったことを改めて厚く感謝申し上げます。私が無事ビルマから生還できて今日あるのも、皆様のお励ましのお陰があったればこそと思っています。皆様には東京に住み、東京で勤め、空襲を受けて家を焼かれ、会社を潰(つぶ)され、大変な時代を過ごされたことと思います。今更ながら、心から幸せをお祈り申しあげます。この書き物を残すことで長い間の御無礼のせめてもの償いにさせて頂きたく存じます。有難うございました。