◇送別会と決別
◆学生時代の友と語る

続いて「小田よ、いよいよ召集令状が来てみればどんな気がするか?」と誰かが尋ねた。
「どんな気がするかって。うん、来ない方がよいことはよいが、いつ来るかいつ来るかと思って落ち着かないよりは、来た方がさっぱりするよ。今だってどうせ自分の家にいないのだから、ここにおるのも兵隊におるのも余り違わないような気がする。その点、今まで家にずっといた人や、妻子がある人は違うだろうよ。でも甲種幹部候補生だけは早く通りたいなあ」と私が答えた。
「幹候(かんこう)は、学校の教練は少しぐらい悪くても、問題ないらしいよ。入ってから要領よくやればいいんだから」とよいことを誰かが教えてくれた。
「それはそうと、軍隊では早く飯を食う練習をしておかなくちゃいけないぞ。兵隊か・た・は早寝、早飯、早糞。何でも素早く動作することが一番だ。小田、大丈夫かい」
続いて、話は戦況に移った。「しかし、なかなか大きな戦争だからなあ。日本も強いことは強いがねえ。何と言っても海軍力が大したものだから。それに大和魂(やまとだましい)は強いよ」と中村君は言いながら自分で慰めているようでもあった。「勝つ」とすっきり言えるには、誰も程遠い感じであった。
黒沢君は「 『九軍神(ぐんしん)だ、散れよ若木の桜花』と言うが、どうも、僕には宣伝のような気がする。 先日も敵の航空母艦と駆逐艦二艘を轟沈した、わが方の被害軽微、とラジオが言っているが、どうもおかしい」と言った。他の三人は、黒沢君のこの言葉に即座に反応できなかった。
---いずれにせよ、戦争はお伽話(とぎばなし)や絵巻で見るような華やかで派手なものではなく、決して美しいものでもない。無残で血みどろの苦しいもので、泥沼であり地獄であり、殺し合いであり、死である。その時は分らなかったが、戦争を自分が経験してみて初めてそれが分かった。しかも、戦後何年もたってから、黒沢君の勘が当たっていたことが分った。その時はみんな盲目だったのだ。
遠慮なしに言いたい放題のうちに、夜も更けてきたので仕方なくみんな引き揚げていった。

◆静かな夜に思う

みんなが帰って後、父からの手紙をもう一度読み直してみた。「これこそ男子の本懐。そちらを整然と片付け、早く岡山へ帰って来い。今回はこの村からはお前一人だ。岡山の学校の寮にいる妹にも知らせておいた。母も元気でお前の帰りを待っている」と記してあった。
当時、我が身を国へ捧げるのは当り前のことであり、召集が嫌などと言ったものなら、すぐに憲兵(けんぺい)に引っ張られて行く時勢であった。憲兵というのは軍隊内の警察で、軍隊外の一般市民に対しても絶対的な権力があり、当時としては恐ろしい力を持っていた。しかし、我が子が召されていくのが本当に嬉しいのか、誇りになったのか、親としての心境は言い尽くせないものがあったであろう。
私は、何を考えているのだろうか。ただ茫然としていると、両親と妹の顔が浮かんできた。それは緊張した顔で引きつり、沈黙を通していた。やがて母が「早く帰っておいで、今度はえらい目をしなければならないのだから、母のもとでゆっくり休んで行きなさい」と言ったように思えた。
気がつくと外は霰(あられ)が降っていて、風と共に窓ガラスに吹きつけている。カーテンのない窓は冷たく、カタコトと震えている。
明日は会社全体で見送ってくれるということだが、千人もの前で挨拶をしなくてはならないのだ。恥をかかないようにしておかなければならないと思い、うろ覚えの、この前出征した人の挨拶を参考にして、文句を考え一応まとまったので寝床にもぐった。

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