◆会社での壮行会

一眠りすると、二月八日で、電報を受け取ってから三日目の朝になっていた。雲の多い日である。朝食をすませ、繰り返し挨拶を言ってみた。
「この度は名誉ある応召(おうしょう)を受け、いよいよ軍務に服すことになりました。これは日本男児としてかねがね願っていたところであり、本懐(ほんかい)これに過ぎるものはありません。入営の上は一意専心軍務に励み、皆様の御期待に沿い、もって国のために粉骨砕身(ふんこつさいしん)する覚悟であります。顧みますれば、僅(わず)か一年余りの間ではありましたが、会社に奉職して以来、皆様の温かい御指導と御鞭撻(ごべんたつ)によりまして、つつがなく仕事や勉強をさせて頂き、衷心(ちゅうしん)より感謝致しています。高い所からではありますが御礼申し上げます。本日は会社の皆様には御多忙のところを、わざわざこうして多数の方々がお集まり下さり、見送って頂きまして感謝の外はありません。この感激をいつまでも忘れることなく頑張ります。どうも大変有難うございました」
名調子にはならないが、これで元気を出してやることにした。私は若いが、れっきとした社員で技術者の中でも技手(ぎて)という資格を持った者だというプライドもあり、それだけに堂々とした態度でやろうと、何度か言ってみる内に大体自信がついてきた。これでよしだ。
午前中時間があるので荷物の整理にかかった。読み慣れた本、大切な本、この机ともしばらくお別れだ。いつの日に解いて見ることになるだろうか?荷造りも、慣れない者にとっては案外時間がかかった。
もう十二時少し前になったので身支度にかかった。日頃は背広を着て出勤することが多かったが、今日は国民服を着て行くことにした。当時はカーキ色の兵隊服に似た形のこの服がよく着られており、こんな時にはこの服を着て行かなければならないような時代であり、背広姿だと非常識だと言われるような雰囲気の頃であった。
一人暮らしだが、カッターのみはクリーニングしたもので、ネクタイはこれまたカーキ色で服と似たものを締めた。
鏡の前に立ち、昨日散髪したグリグリ頭を映してみた。平生(へいぜい)中折れ帽子を被(かぶ)っていたが、それでは国民服に似合わない。軍隊の戦闘帽に似たものがあればよいのだが、買っていないので、被らずに行くこととした。今まで頭は七三に分けていたのに丸坊主に散髪したので寒かった。
---この時の髪の毛一つまみを大切に持ち帰り、出征していく前に、我が家へ遺髪として残して置いた。母が大切にしまってくれていたので、復員後懐かしく思い取り出してみた。あれから五十三年余を経過した今でも、貴重品箱の中に保管してある髪は、青春の黒い髪の毛のままである。現在私の頭髪は白いが。
電車は通勤時間でないのでよく空いていた。寿司詰めでないこんな電車に乗ると、ほんとに伸び伸びとした感じであった。冬の日差しが車内に差し込み気持がよかった。
会社に着き待っていると、三時前に拡声器から「これから出征(しゅっせい)兵士を送りますから、手のすいた人は全員中庭に整列願います」と放送があった。いよいよ私が送られる時がきたのだと思うと、このアナウンスの声は腹にこたえた。男も女も社員も工員もみんな大勢の人が集まった。
司会の方が「皆さんどうか前の方へ詰めて下さい。ではこれから、入営される小田さんと松下さんの壮行会を行います」と言う。私の所属課と入隊先及び松下さんのことについての簡単な紹介と、「御健闘をお祈りします」という言葉の後、「どうぞ」と挨拶を促された。
私は三段もある高い台上に上がり静かに礼をし、ゆっくりと力強く練習したとおり挨拶をした。水を打ったような静けさの中、川添課長の顔・斉藤係長・湯浅さんや女子事務員佐野さん達の姿も見えた。私はかくも盛大に送って頂いたことに感謝しつつ、深く一礼し、台を降りた。
次の人の挨拶がすむと、「万歳三唱」の発声により「バンザイ」 「バンザイ」 「バンザイ」と大きな声が怒涛(どとう)の如く起こり、力強く工場全体に響いた。
その後、中庭から正門まで全員が行列を作って私達二人を送ってくれた。私は正門を出る時会社の偉い人や皆さんに何回となくおじぎをし、有難うございましたと叫びながら手を振った。
正門には「東京無線電気株式会社」と看板が掲げてあるのを改めて見直し、今までにない感激を覚えた。しばらく行き立ち止まつて振り返ると、会社の白い建物がくっきりと浮かんでいた。わが会社よ栄えてくれ、この工場よ健やかであれと祈る気持ちで一杯となった。
夜は約束の時間に「割烹壽楽(かっぽうじゅらく)」へ行った。もう上甲(じょうこう)さんと加藤さんが来ていて迎えてくれた。しばらくするうちに、川添課長・斉藤係長もみえ、その他十数名集まって下さった。堅苦しい挨拶は抜きということで、早速酒肴(しゅこう)の宴が開かれた。そして、見事に出来あがった日の丸の寄・せ・書・き・と餞別を頂戴した。
ここで課長が特に「試作中の無線機が完成間際であるのに行くのは残念だろうが、これまでよくやってくれた。また帰って来たらやってくれ」と激励され、感極まって熱いものが込み上げてきた。酒が入ると、「小田君、少しぐらいは遊んでおかなくちゃあ」というような言葉もあった。戦時下で食物も不足しているのに、このような料亭で御馳走を揃えての送別の宴会をして頂いたことを心から感謝し、厚くお礼を申し上げて下宿に帰った。

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