◆別れ

翌日は朝から、昨日やりかけた残りの荷物の整理をし、自転車に乗せ何回も田町駅まで運び、荷札をつけて発送した。部屋の掃除をきっちりとして、下宿代等全部支払いをすませるともう午後三時を過ぎていた。いささか疲れたので銭湯に行った。まだ早いのでお湯も奇麗で人も少なかった。もう銭湯ともお別れだ。一年間の垢(あか)をよく落としておこうと、ゆっくり洗った。
風呂からあがり、鏡に全身を映してみた。少し背が低いがよい体だと自分でも思った。
---横道になるが、私は旧制中学校五年間皆勤で、その上寒稽古(かんげいこ)も五年間一日も休まず、健康に恵まれていた。好きなものだから剣道や柔道を正科の授業以外にも、人一倍よくやり技(わざ)を磨いていた。また、体操の時にやる腕立て伏せの屈伸くっしん)運動も平素から特別鍛練し、普通の人で二十回までのところを百八十回できる程度になっていた。それで、腕や胸の筋肉が盛り上がり、小柄ながら多少自信があった。
しかし、厳しい軍隊生活に耐えられるだろうかと思ってもみた。風呂上がりの暖かい体に澄んだ空気の肌触りはさわやかで格別の気持ちだった。
下宿の部屋に帰ると、掃除したので奇麗になっており、仰向けに転んで静かに目を閉じた。下宿の一室でも、いざ去るとなると懐かしいものである。
「小田さん頑張って下さい」「小田さん元気でね。早く帰って、東京に来てね」と女性達が目を潤ませ、宿の主人が「見習士官になって下さい」と激励してくれた。「有難う」「有難う、元気で行ってきます」と胸迫り、いつの日再びここに帰れるだろうかと思いながら宮木館を後にした。
内田君達が用意してくれた銀座裏通りの小料理屋へ行くと、相前後して学生時代の友達が四、五人来て送別の会をしてくれた。初めからザックバランな話になった。
「内田はよく学校で教練をサボッテいたので、教練の点が悪かろうから甲幹には通らないぞ。兵隊に入ってから大分頑張らんといかんぞ」と黒沢君が言うと、
「お前だって甲幹には通りっこないよ。大体だらしがないよ。だらだらしているから、絞られる口だぞ」と内田君が返した。
「小田は学校教練はマアマアだろうが、兵隊方はコウバイがキツクないとさしくられてしまうぞ。敏捷(びんしょう)にし、しっかりしろよ」と誰かが言った。
「入営してから本気で要領よくやれば何とかなるらしいぞ、俺達の同級生で去年入隊した連中は、富田も佐藤も石川も丸山達も殆(ほとん)ど全員見習士官になっているからのう。乙幹は数人だけだよ。初めの内は、大分ビンタをとられたりシゴかれても真面目にやっておれば大丈夫だよ。この間も石川君と添川(そえかわ)君が外泊だといって訪ねて来てくれたが、もう指揮刀を下げて、一流だったぞ」と林君が言った。
「ところでみんな、今頃どんな仕事をしているのかね。就職してから丁度一年たったが?」と誰かが尋ねた。
お互いに、米澤高等工業学校(山形大学工学部の前身)で電気通信工学を専攻し、その方面の所に就職していたので、専門的な話題となった。
「俺の所では、シンガポール(昭南島)(しょうなんとう)を陥落させた時、敵の陣地から分捕った方向探知機を真似して似たような物を作り、試験中なんだ。英国軍は既に敵の飛行機がどれぐらいの編隊でどちらの方向から攻めてきているかが分かる探知装置(たんちそうち)(レーダー)を持っていたのだ。やはり向こうの方が随分進んでいるらしいぞ」と他言出来ない内容を内田君が明かすと、
「僕の所は、国内全部にわたり有線電話回線の整備と工事が多いんだが、建設資材が不足し始めているらしく、大変なことらしいよ」と心配そうに黒沢君が言った。
「うちの会社では、陸海軍の飛行機に乗せる無線機を製作しているが、納期を急いでいるので大変なんだ。それに米国から買った機械の構造を取り入れて、設計をしているのだが、技術が遅れているんだ。部品などを真似してみても、向こうのと同じ性能にはならないらしいね。それに近頃では、アメリカの専門書籍が入らないので、困つているんだ」私は本音で話せる人達だけに、日頃から思っていることを率直に言葉にした。
私達は自分のしている専門の仕事を通して、電気通信分野が米国に比べて相当遅れていることは認めていた。しかし、海軍は大きな軍艦を持っているし、性能も優れている。大本営発表のように戦果が挙がっているし、精神力が強いから大丈夫だ。それに、相手の国は国内でストライキ等が起き、内乱になってくるだろうから、戦局は何とかなるだろうといった、一般的な時局認識の話も出た。

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