◇故郷の温かさ
◆河本さんの経験談

汽車にゆられて十二時間後、岡山駅に着き乗り換え、山陽線で郷里に近い万富駅に着いたのは、二月十一日の午後二時頃であった。静かな田舎の駅は昔と変わりなかった。先日送った荷物はもう駅に着いていた。何時の列車で帰ると連絡していないので、誰も迎えに来ていなかった。
我が家に帰り、大きな声で「ただ今」と言って玄関を入り、トランクを上がり段に置き靴を脱いでいると、奥から母が出てきた。
「敦(あっ)ちゃん帰ったのか。いつ帰るかと待っていたんだよ。早く帰れてよかったなあ。お前に召集令状が来たので、すぐ電報を打ったが、早く届いてよかった。びっくりしただろう」
「いつかは召集令状が来るだろうとは思っていたが、こんなに早く来るとは思っていなかった。でも大丈夫だよ、お母さん」と私は元気に答えた。
母は久しぶりに私の元気な顔を見て喜び、目が潤(うる)んでいるようでもあった。
「今まで元気でやっていたが、今度は兵隊さんじゃ。元気でやりなさいよ」「近くの人に聞いたら、あそこは馬の部隊と自動車の部隊があるそうだよ。どちらになるか分らないが、お前がエンジニヤ関係だから自動車の方ではないだろうか。いつだったか運転を習っていると言っていたが、上手になったかい?」
「いや、まだ習い始めたばかりなんです」
と答えながら座敷へ上がり、ドッカリとあぐらを組んだ。母は「寒くはないか」と言って火鉢の火をおこしてくれた。次に「腹が減ってはいないか」と尋ねた。「昼食は途中の駅で食べたが」と答えたが、「腹がへっているだろう」と言って、火鉢でお餅を焼きお茶を入れてくれた。子を思う親の心をしみじみ温かく有難く感じた。母とはこんなにも良いものであろうか。
---こうして原稿を書いていると、今は亡き母の面影が懐かしく目頭が熱くなる。お母さん!
「この度はこの村でお前一人だよ。一月に三人ばかり召集で行き、四月には現役で六人入隊するんだそうだよ。それから、あそこの部隊に行っていた人がある。お前も知っている河本さん、あの河本さんに一度いろいろ輜重隊(しちょうたい)の中のことを聞かせてもらったらよいと思い、頼んだらいつでも聞かせてあげるとのことじゃあ」
「疲れただろうから、今日はゆっくり休みなさい」
「うん、お父さんや妹は?」
「お父さんは晩にならなければ帰ってこられないだろう。今頃は、小学校でも防空訓練やなんやかんやで忙しいんだよ。でも、ずうっと元気で勤めておられるし、静も元気でやっており、この間も手紙があったが、食物が悪く少ないので困っている様子じゃあ。それに、時々勤労奉仕があり、えらいこともあるそうじゃが、これも仕方がなかろう。近いうちに学校から、工場へ泊まり込みで、奉仕に行くことになるかも知れないと言っておったよ」
母は続けて「だんだん戦争が激しくなるし、長くなると物が無いので困るんじゃあ。この間も布が無いので、古い布を引き出しモンペを作ったところだよ。食べる物は砂糖なんかも配給で、ほんの少ししかないので困るけど、幸い、うちには食べるぐらいの米はあるから安心しておあがり、お前が食べるぐらいはあるから。それから先月、松田○○さんが戦死され、役場の庭で慰霊祭があったが、あの家にも長男で、後は女の人ばかりで困っておられるんだよ。お前も、よく気をつけてやりなさいよ」と母の話は尽きなかった。
腹もふくれたので布団を敷いてもらい一眠りすることにした。目が覚めると夕方六時前で、荷物を開けたり庭の方を歩いていると父が帰って来た。
田舎の小学校の校長をしている父も国民服に戦闘帽という格好で、ボロ自転車に乗っている。父も次第に年をとったなあと、つくづく思った。近頃頭を丸坊主にしているせいか、白髪が余計に目立つように思われた。そればかりではない、いろいろと苦労があるのだろう。私が「お帰りなさい」と言うのと、父が「帰ったか」と言うのと同時で、顔がばったり合い、お互いににっこりとした。それはすべてを感じ取った父と子の目と目であった。

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