家族四人揃っての話題は東京の会社での仕事、友達の動向、岡山の町と、女子師範学校の様子、勤労奉仕のこと、父の勤める学校のこと、この田舎の生活等、お互いの話の中に、深い肉親の情をしみじみと感じ、心配し労(いた)わり合いながら話をした。
だが、これから先のことはこの召集で予定が立つ訳もなくなり、話がしぼんでいった。平素は肉親の情など余り感じないが、こんな時には、強く、深く、温かく、言い知れぬ愛を感じるものである。
明日はいよいよ見送りを受け姫路に行くんだ。宿屋に泊まり、そして明後日は入営だと心は決まった。念入りに風呂に入った、これからはこんなにゆったりした気持ちで風呂に入ることはないだろうと思いながら。我が家でゆっくり寝るのもいよいよ今晩限りだ。母が暖めてくれた部屋の優しさに囲まれ静かに眠りに就いた。
◆氏神様に参拝
明ければ二月十四日、出発の日だ。立春を過ぎたとはいえ凍てつくような朝だ。氏神様への参道の土に大きな霜柱が立っていた。この冷たさと、霜柱を踏むザクザクという音に厳粛(げんしゅく)さを感じ、神社の杉の葉先が白く凍っているのを見ると、心が清められる気がした。
神前では、私の祈願に氏子(うじこ)の方が来て、祭壇の準備を急いでおられた。各家から一名ずつの参加で約六十人が集まり、神事が行なわれた。神主の冴えた柏手(かしわで)の音が境内に響き、うやうやしく祝詞(のりと)が奏上(そうじょう)されると、私の気持ちは氷のように一点に凝結(ぎょうけつ)した。
私は神様に忠誠を誓い、氏神様が私を加護して下さることを信じ、留守の一家が無事に日を過ごすことができますように、とお祈りをした。
儀式が終わり、冷たいお神酒(みき)を頂くと、心身共にすがすがしく、勇気が沸き出てくる思いがした。拝殿を外に出て、皆さんに挨拶をした。
「本日はこの如月(きさらぎ)の早朝より、皆様には御多用のところを、わざわざ私のために御祈願して下さり、かくも盛大に送って頂き、衷心(ちゅうしん)より感謝致しています。平素は故郷を離れ、お世話になりながら大変勝手ばかりしております。この度令状を頂きましたが、入隊の上は一意専心軍務に精励し、皆様の御期待に沿うと共に、祖国の為に尽くす覚悟です。皆様方におかれましても、何とぞ御健康に留意されますようお祈り申し上げます。甚だ簡単ですが、入隊に当たりお礼の御挨拶と致します」と、凛々(りり)しく言った。
親戚として参加していた従妹(いとこ)の松嶋智恵子さんが「この挨拶が適切で堂々として良かった、身内として誇らしく思った」と後日、妹の静に話していたとか。智恵子さんも私の入営を自分のことのように思い祈ってくれたのである。
「祝小田敦巳君入営」の幟(のぼり)が大きく目にしみ、私の肩には日の丸の寄せ書きがかかっていた。長い行列が村境の峠まで続き
「万歳」 「万歳」 「万歳」と歓呼の声が山にこだました。
「有難うございました」 「有難うございました」と大きくこたえ、何回も何回もお辞儀をし、そこで皆さんに別れを告げた。
父、母、妹、伯父、伯母、部落の区長達の数人で、峠の坂道を下って行った。可真村(かまむら)弥上(やがみ)の部落よ、郷里の山河よ、さようなら。しばらく皆さんともお別れだ。
朝の太陽が顔を出してきた。私達は山を下って万富(まんとみ)駅に着いた。駅には、遠い親戚の叔父も来ており、内田村長も約束のとおり来ておられ、村長と、父と、私の三人は汽車に乗った。
見送りの母と、妹と、親戚の人、部落の代表者がホームまで出て送ってくれた。私は「元気で行って来ます」と大きな声で応えた。寄書きの旗をしっかりと握りしめ、いつまでもデッキに立っていた。私の運命は決まっている。この列車の如く与えられた方向にレールの上を突っ走っていくのだ。しかし、これからどのような苦労があるのか、どのような試練が待ち受けているのか。
その夜は姫路の宿屋に三人で泊まった。寝心地の良い布団ではなかったが、枕元で、お守りと、千人の女性が結んでくれた千人針と、日の丸の寄せ書きが、私の眠りを静かに見守ってくれていた。