十 終戦と抑留(よくりゅう)生活
◇終戦
◆終戦の知らせ届く
八月二十日過ぎに、ビルマの南西地区の山間に到達し、そこに駐屯していた兵士に出会った。彼等は、前線から退却してきた我々に僅かではあるが、湯茶の接待や味噌汁を作り飲ませてくれた。弱った我々を親切に迎えてくれ、おかげで体の中まで温かくなった。
彼等兵士は、一応服装も整っており、銃剣等も手入れしたものを持っていた。乞食のように汚れ、垢だらけになり破れた服を着た裸足の我々とは余りにも違い、お互いにびっくりした。ビルマで戦争をしても、前線と後方、場所場所によってかなりの差があったことを知った。
このことは、我々がタンガップにいた時、それより前線から帰ってきた兵士が弱り果て、ボロボロになっていたのを見たことがあったが、それと同じように、今は、私達がそんな姿になっているのだ。すべて運であり人のせいではない。
数日後、「小銃に刻印されている菊の御紋(ごもん)を消せ」との命令が下りてきた。今度は「兵器を一ヵ所に集め、返納(へんのう)せよ」との命令がきた。だが私は上官から明確に「敗戦」とか「負けた」とのけじめの言葉を直接聞いたことはなかった。ただ何となく負けたのだと感じ悟ったのである。我々が転進している道のすぐ近くに英軍の将校が立ち、その左右を日本の兵士が護衛し我が軍の状況を監視していたが、その様子から英国が勝ち、日本が負けたのだと実感した。その頃正式ルートから負けたという知らせが我々の耳にも入った。
一日一日と敗戦の実感が心を締めつけてくる。すべての兵器を敵軍に渡し丸腰になった。完全な武装解除である。敗戦兵士の屈辱を味わうことが始まった。
英国とインド軍の指示に従いマルタバン方面に向かい毎日の行軍が続く。英印軍の兵士が武器を持って、我々日本兵を監視警護しながら歩いて行く。
給水車がやって来て、水を配給してくれる。今までの日本軍では無かったことで給水は有難い。群がるようにして水を水筒等に注いでいると、英印軍の兵士がお互いに、「ジャプ ピッグ」「ジャプ ピッグ」と言って笑っていた。日本人野郎の豚がと言っているのだ。馬鹿にされた言葉だが、仕方がない。
久し振りにアスファルトの広い道に出た。裸足の足には余りにも熱い道だった。今までは主に山中で土の上や田んぼの畦道(あぜみち)だったので熱さを感じなかったが、舗装道路では足の裏が焼けるようだった。いくら熱くても一歩一歩煮えて軟らかくなったアスファルトの上を歩かなければならなかった。いろいろの試練があるものだ。
マルタバンに着き何回も何回も人数を調べられ、船に乗せられモールメンに着いた。その後チェジャンジーの村落にしばらく滞在した。それは昭和二十年九月中978e下旬と思う。
五月初旬、アラカン山脈のベンガル湾側のシンゴンダインを出発してから、ここに到着するまで約百四十日間、雨に濡れ野宿し、道なき道を探しつつ、河を渡り、迷ったり、取りはぐれたり、紆余曲折(うよきょくせつ)の道を行きつ帰りつした。千二百キロ、これは岡山〜盛岡間の距離になるが、この長い長い道程を、激戦、転進、敵中突破、飢餓、病魔と戦いながら裸足で歩き通し、やっと戦闘と行軍が終わったのだ。
◆体の回復を待つ
チェジャンジーで民家を借り上げ宿泊した。もう弾丸に当たる心配がなくなり、雨に濡れ食べるものがなく飢餓で死ぬことを極端に心配する必要もなくなり、最悪の状態から抜け出した。
だが、これまでに弱っていた兵士は次々に死んで行った。もちろん、栄養のある食物が有るわけではない。少しでも早く体力の回復をと願い、器用な人が犬を罠(わな)にかけて取り、皆で分けて食べたりした。私も美味しく食べ体力が少しでも回復しそうな気がした。
英軍の支配下に入ったとはいえ未だ過渡期なので、日本軍が今まで管理していた倉庫に行き、米や砂糖その他副食品をもらってくることができた。
毎朝点呼と体操をすることになったが、このところ私の腕は神経痛のため上に挙がらない。真横までしか挙げられないし、耳鳴りは未だ続いており、視力も衰えたままで、声も依然として小さな弱い声しか出せなかった。その頃戦友に「小田、お前の頭はうぶ毛ではないか」と言われびっくりした。
自分では今まで全く気がつかなかった。鏡がある訳ではないし、戦友達もやっと落ち着き私の頭を観察する余裕ができたのだ。私も自分の頭がどうなっているかなど、別に痛くもないし思いもつかないことだった。治るだろうか?と心配になった。
それから、顔だ。自分の顔は自分では見えないが、戦友の顔はみんな土のようで、煙突掃除から出てきたようなすすけた顔、髭(ひげ)は伸び放題で仙人のようだ。将校も下士官も兵隊も皆このような顔をしていた。
この頃になり、嬉しいことに血の小便が止まった。毎日雨に濡れ水に浸かり冷えていたが、終戦後は水に浸かることも逃げることもなく楽になったからだ。
戦争の最中は自分の命を維持し持って逃げるのに一生懸命で、体の細部まで見ることはなかったが、ここにきてよく見ると手の爪が皺(しわ)だらけで黄色く土色をしている。死人のそれのようである。

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