◆水浴
疲労衰弱の激しい時は水浴する元気もない。水浴すると熱が出るのではないかと思い、転進作戦中から戦後までの五ヵ月間、裸になり体を洗う時間もないし、弱り果て洗おうとする気にもならなかった。転進中は、ただ生き延びること、命を持って逃げることで一生懸命だった。
九月中旬になり、やっと水浴しようかと思う程度に体が回復したので、晴天の日に小川へみんなと一緒に行った。裸になってみると、ひどく両足の間が空いている。二本の足の間に大きく隙間が出来ている。おかしいなと思ってよく見ると、太腿(ふともも)が痩せて細くなってしまっている。全く骨皮だけになっており、びっくりした。太腿に両手の指を廻して測ってみると健康な頃に比べて非常に細くなっており驚いた。
胸を見ると肋骨が一本一本浮きでて、肩の骨はゴツゴツと飛び出し、これ以上痩せることができないぐらい痩せてしまっていた。おそらく、四十キログラムを切っていただろう。小川の流れで洗うと垢が皮膚から剥がれだし、なんと流れる水が薄黒く濁る程であった。
よくもこんなに垢が着いていたものだ。石鹸もないのでこすって垢を落とすだけであったが気持ちがよい。でも一度に垢を落とすと熱が出たり、体調をそこなう恐れがあるので早々に引き上げた。長い間、積もり積もった戦塵の荒落しができたのである。その時は汚れたままの服を着ており、これを洗う程の元気がなかった。
数日後の二回目には着たきりの服を水洗いし干した。干している間は着替えがないので褌(ふんどし)一つで乾くのを待った。乾燥した空気、しかも、太陽が強く照りつけているので三、四時間するうちにほぼ乾いた。
衣服を五ヵ月振りに洗濯し気持ちがよかった。よく見ると服も大分傷んでおり、歴戦の跡を残していた。服の裏の縫い目にシラミとその卵が鈴なりにくっついていたが、この程度の洗濯では半分程しか取れていないようであった。その後も、シラミに食われ続けた。
◆シラミ退治
シラミと言えば転進の半ば頃から次第に多くなり、体中シラミに食われ痒(かゆ)くてたまらない。食われた跡形で体全体がざらざらしている。小休止の間もみんな服を脱ぎシラミ取りに一生懸命だ。
しかし少しぐらい殺したところで繁殖力の方が旺盛で増えるばかりで処置なしである。昼といわず夜といわず痒くて痒くてたまらない。服の内側の縫い目に卵を産みつけ、そのあたりを根拠地として体中を這い回る。深夜あまりの痒さで寝られず、辛抱しかねて跳ね起きる。だが明かりが一つもないので、シラミを取ることはできない。とっさの判断で服を裏返しに着て、シラミが表に回ってくる間に眠るのだ。
ある日、使役で精米所に作業に行ったとき、ボイラーから熱湯が出てきて溜まっている場所があった。
その熱湯の中に浸ければシラミが死ぬだろうと思い、衣服を十分間ぐらい漬けてみた。それでも全部は死ななかった。強いものである。
一番効いたのは、英印軍にD・D・Tを体と装具一式に真っ白になる程かけられた時である。
将兵全員一斉に実施した。以後完全に撲滅した。凄い威力であった。
当時日本軍にはそんな良い薬品は無いし、あったかも知れないが実用化されていなかった。そんなことにも彼我の衛生面での対策に大きな差があることを見せつけられた。俘虜(ふりょ)生活の中だが、シラミのいない生活は健康で衛生的であった。
◆蚊とマラリヤ
ついでに蚊についてだが、蚊に対する防備は当初は頭に被る網の袋だった。まだビルマに着いて三ヵ月ぐらい過ぎた頃、ヘンサタ市方面の渡河作業をし、夕方を迎えた時、物凄い蚊の大群に襲われたことがある。暗闇の中だから、どれぐらいいるのか見えないが、空気の中の半分は蚊ではないかと思われる程であった。
その時、この網を被ってみたことがあるが、うっとうしいだけでどれ程効果があったか分からない。焚火をしたり枯草を燃やして蚊を防いだが、どうにもならなかった。手や足はむきだしであり、顔だけ覆ってみてもむさくるしいだけなので、このネットはその後使用することはなかった。
十人程度入れる蚊帳(かや)があったが、まとまって家の中で生活する場合なら役立つが分散した露営には役立たない。その内破れて無くなり、常に蚊に刺されどおしであった。ある平原地帯のビルマの民家にいる時も、アラカン山脈の中に住む時も無防備で、マラリヤを媒介する蚊に刺されぱなしであった。次々とマラリヤの病になるのは当り前のことである。悪性のマラリヤ菌を持つ蚊が一杯おり、昼も夜も所かまわず刺しているのだから、仕方がないことである。マラリヤの特効薬でキニーネがありその錠剤を毎食後飲むことにしていたが、蚊に刺されかたが激しいので、どれくらい効果があるかよく分からなかった。キニーネは胃腸にはよくないし、後にはこれも補給がなくなり対応策無しであった。昔から、ビルマは、し・ょ・う・れ・い・病魔の地と言われているが、まさにマラリヤのはびこる国である。

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