◇草むす屍
◆金井塚輜重聯隊本部付少佐 元第一中隊長を葬る
前にも書いたが、金井塚少佐は五月上旬カバイン付近の戦闘で足を負傷し歩行不能となり、担架や牛の背中に乗せられ、その後は杖にすがりながら、長い苦痛な行軍に耐えてこの地点までたどりついたが、衰弱した体は病魔に冒され息を引き取られた。
昭和二十年十月六日、溝口指揮班長より「小田、お前はレミナにいる頃、中隊長と同じ家に住み、特別縁が深いから、今晩屍衛兵(しかばねえいへい)をやれ」と命じられた。自分は有難いことだと思った。
私が二年八ヵ月前の昭和十八年二月十五日に召集を受け、初めて金井塚中隊長を拝むような気持ちで見上げた時のことを思い、その凛々(りり)しい威厳に溢れたお姿、中隊全員に号令や訓示をされておられた堂々とした様子を思いだす。
また、十九年一月頃レミナの町で中隊長以下溝口曹長達八名で一軒の整った家を借り、通信班として和やかな雰囲気で任務に就いた時のことや、中隊長の人間らしさに触れ感激したことを思いだす。
屍の傍に立ち守っていると、今の姿は余りにもお気の毒である。顔を覆う白い布はどこにもないので、緑の葉が多くついた木の枝を折ってきて顔を覆ってさしあげた。冷たく硬直した体を見ていると、草むす屍を思い出し、命のはかなさをしみじみと感じさせられた。
埼玉県出身の陸軍士官学校出の青年将校、レミナにいる時、特に親しくして頂いただけに、悲しく、寂しく、いろいろのことを思い出しながら一夜を屍と共に明かした。最も重要な最後の、屍衛兵をさせて頂き、御恩に報いることができたことを感謝した。併せて溝口准尉のこの配慮を有難く思った。

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