◆たばこについての思い出
たばこについて少し記録しておくと、戦いの最初の内は内地の「誉(ほまれ)」とか「ゴールデンバット」等を配給でもらったり、買って吸っていたが、それが無くなると、現地たばこ(セレー)を買って吸った。前にも述べたが、人差し指ぐらいの大きさにたばこの葉を巻き、中に鋸屑(のこくず)のような物が入っており、比較的辛くないものをよく吸ったものだ。その他にと・う・も・ろ・こ・し・の鞘(さや)にたばこの葉と鋸屑状のものを巻いた太い物、たばこの葉のみをぎっしり巻いた辛口の物等があった。セレーは中の屑がポロポロとこぼれて落ちるので、衣服に火の粉が落ちて焼ける恐れがあり、用心して吸わなければならなかった。
日本軍が優勢な時は軍票で買うことができた。しかし戦況が悪くなり負けてくると軍票の価値がなくなり、買うことができなくなった。それに、山の中を逃げるばかりだから、たばこも欠乏し無くなってしまった。
その後、糧秣収集の時、煙草の葉を失敬してくる。たばこを吸う兵士にとっては米・塩につぐ必需品で大切なものであった。また、運よくどこかでたばこ畑を見れば青い葉をもぎとり携行したこともあった。私自身たばこが好きだったので、これを得るために非常に苦労した。死にそうになる程苦しくても、たばこは欲しくて、止められなかった。でも、転進中の山の中でたばこがなければ、仕方がないことだった。終戦で俘虜となり収容所の有刺鉄線の柵の中に入れられてからは、どうにもならず困り果てた。
その頃から英印軍の命令する作業に出ることになった。「窮(きゅう)すれば通(つう)ず」という言葉があるが、作業場に行くと英印軍兵士の捨てたたばこの吸い殻があり、それを拾って持ち帰り、薄手の紙に巻いてたばこを作るのである。初めの内はやはり日本軍人の誇りがあり、こっそりと拾っていた。乞食でもあるまいしと、自尊心に悩んだ。しかし棒の先に針を着け突き刺すと、かがまなくても楽に拾え、しかも拾っているのを人に気づかれないですむので、情けないことだと思いつつもそんなことをした。「モクヒロイ」と呼んで、かなり長い間みんながやっていた。
俘虜となって、半年ぐらいたった頃から、英国のたばこ「ネビーキャツト」を十日に一箱位配給してくれるようになった。また、作業が個人的なものだったりすると英国の将校が一箱くれる場合もあった。また作業中に盗んだ缶詰や、配給になったバターやチーズをビルマたばこのセレーと交換したりした。そんなことをしてまでたばこを吸った。いずれにしても、戦争中及び抑留中たばこを吸うために、大変な苦労と犠牲、そして恥をかきながら過ごしたのである。
◆キヤンプ内の娯楽等
メイクテイラーへ来た頃から、みんな顔色もよくなり、頭の髪やあごの髭(ひげ)も奇麗に剃り清潔になり元通りとは言えないまでも、元気になり規則正しくリズムある生活ができるようになった。若い者同志であり、体が弱っている間は誰も黙っていたが、健康が回復するに従って、お色気話や女性の話が出るようになった。
心の中では、いつ帰れるか分からない不安が常にあったが、それはそれとして明るさを取り戻してきた。厚紙を切って碁盤(ごばん)と碁石を作り囲碁を楽しむ者、将棋をする者、マージャンも竹細工で牌(ぱい)を作り遊んでいた。器用な人がいて、飛行機の残骸のアルミ板を切りギターを作る人、それを奏(かな)でる人、習う人、詩や歌を作る人、英会話を勉強する人、戦記や名簿等を整える人、いろいろの趣味で憂(う)さを払い、希望を持ち、人間としての存在を確かめつつ、内地に帰る日を待ちわびた。
毎日全員で朝礼と体操をした。この頃は元の中隊編成でなく県別の編成に切り替わっていたが、階級制度に準じて組織を守りお互いに秩序ある生活をした。
「烏合の衆(うごうのしゅう)」でなく整然とした体制を整えており、これといったトラブルも殆どなかったのは日本軍人の素晴らしいところである。
私も身体が元気になり、英会話を習ったり、バレーボールなどをして楽しんだ。メイクテイラーは雨が少なく生活しやすい環境で、お陰で病気になる人も少なく助かった。作業に出る以外はこれといった仕事もないのだから、のんきといえばのんきな生活であった。
それに、演芸会を見る楽しみができてきた。初めは、誰かが皆の前で歌を歌って聞かせる程度のものだったが、それが好評で次第に規模内容共に充実し、素人ながら役者になる人は労務に出ないで芝居の練習をし、衣装や楽器等も作り劇団を編成した。娯楽のない俘虜生活の中で皆に歓迎された。
皆も作業に出たとき、布切れやペンキを持ち帰り衣装を縫う人に協力した。兵隊の中には器用な人やいろいろの職業の人がいるので、何でもできた。裏方さんが何人もおりカツラでも見事な物を造るし、どこからか白粉(おしろい)を持ち帰り顔に化粧をし、女形の美人に仕上げた。
舞台も兵隊の大工さんがしっかりした物をこしらえ、照明装置も作業に出た時、部品をもらってきて配線した。夜間照明の下では本当の女性かと思われる程に変装し立派な役者が出来上がった。
さらにギターやマンドリン、尺八に太鼓等も手製で作り華やかに演奏した。すべて本式である。こうして、一ヵ月に一、二回芝居が興業された。その度に、ヤンヤ ヤンヤの拍手で皆の楽しみになった。男性ばかりの収容所生活ではこのような女形が大変もて、中にはこの女形に惚(ほ)れる人も出てくる有様だった。

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