◆厩(うまや)当番

ある日、厩当番に就いた。夜中から朝までの勤務である。私の四班には三十頭の馬がいるがこれらの番を一人でするのだ。立ったままで眠る馬が普通なのだが、中には座ったり、ごろんと横になって寝る馬もあり、中には鼾(いびき)をかいている馬もいる。馬の糞を取って回るのも仕事の内だ。真夜中ともなれば眠くなるが絶対寝てはいけない。いつ週番士官が来るか分からない。立ったままで何かやっていれば、眠ることはない。
ただ、腹が減るのにはかなわない。平常でも腹が減るのに、夜まで仕事をしていると尚更(なおさら)のことだ。だが食べる物は無い。同期の兵隊から「厩には、馬にやる豆粕(まめかす)があるから腹が減ったら食べたらよい、食えるぞ」と聞いていたのを思い出し、粒状の豆粕を一握り取り、少しずつ口に入れ噛み砕いてみると、まんざらでもない。食える。しばらくして、また口に入れたが、もう面倒だと思い大量に口に入れ頬ばっていると、向こうからコツコツと靴の音がしてきた。いけない、週番士官が来るぞ、豆粕を口に入れている場合ではない。
素早く手に吐き出し馬房の中に放り込んだ。馬糞(ばふん)取りの道具を持って、仕事をしている格好をした。週番士官が来たので敬礼をして「第四班厩異常なし」と大きな声で報告した。見習士官はしばらく私の顔を見ている。口のまわりに豆粕が着いているのを見つけたのかと一瞬思ったが、そうではなく「居眠りをせんようにやれよ」と言って次へ行った。やれやれこれで助かったと思った。
深夜午前三時頃、パカパカと馬の歩く音がする。おかしい、全部繋いでおり、離れるはずがないのにと思いながら行って見ると一頭が離れて歩いている。その馬は笹倉少尉の真黒い乗馬で、尻に赤い印がつけてある。蹴る癖があるという目印である。更に頭にも赤い印がついているので、咬(か)む癖もあるという質(たち)の悪い馬である。選(よ)りも選(よ)って、そんな一番怖い馬がどうして離れているんだろう。「どうしよう?」よく見ると、や・け・い・と・う・ろ・く・という頭を繋いだ綱を、全部外しており、捕まえる所が全然なく困ってしまった。しばらく馬の様子を見ていたが、厩の中を歩くだけで外に出る気配はない。でも、近寄れば咬まれるか蹴られるかしそうだ。朝まで放っておくと叱られるに決まっているし、泣くに泣けない::。隣の二班の当番兵が私と一緒に入隊した兵隊だったので、二人がかりならなんとかなるだろうと思い、助けを頼んだところ彼は快く承知してくれた。
だがどうするか?お互いにまだ馬に馴れていないが、思案のすえ、私が馬糧袋に馬糧を入れ、馬が頭をそれに突っ込んでいる間に、彼が上手に、や・け・い・と・う・ろ・く・をはめてくれ、案外難無く繋ぐことができて胸を撫で下ろした。彼は同年兵の明石(あかし)二等兵であったと思うが、本当に有難く感謝した。
---その後彼は、同じ野戦部隊の輜重聯隊で第二中隊の自動車中隊に転属になり、戦争中は別々の行動となったが、同じ方面の戦場で大いに活躍をした。彼の戦闘振りは第二中隊の他の戦友から後日聞いたが、勇敢に敵陣地の兵を撃ち倒したり、終始元気で聯隊長(れんたいちょう)当番をも立派に勤めたと聞いている。抑留(よくりゅう)生活中には私と同じ岡山県の中隊になり、何かにつけ彼に大変親切にしてもらった。軍隊生活の当初から最後の復員までを共にした仲で、私の軍歴は彼と共にあったと言って過言ではない。彼はさわやかな性格、素晴らしい人柄で、その上力持ちで労を惜しまない人であった。
---現在も旧交を温めあっているが、何時までも元気でいてほしい。入隊当初二十一歳の時の彼の姿を今も思いおこす。お互いに年老いたが、いたわりあいながら過ごしたい。
召集を受け入隊した新兵に平穏な日はなく、厩でも内務班でも練兵場でもどこにいても、毎日大小様々(さまざま)な雷が落ち、厳しい教育と鍛錬が繰り返され気合いを入れられ通しであった。だからこそ早く兵隊らしい一人前の兵隊に育つのかも知れない。

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