◆飯上げ当番
前にも述べたとおり、軍隊生活、特に新兵は腹が減るものだ。いくら飯を食っても不思議なぐらい腹が減って困る。ある日、当番で炊事場へ飯上げに行った。「第一中隊第四班教育班飯上げに来ました」と炊事場の入り口で言うと、炊事当番の古年兵が飯の入った食缶(しょっかん)と汁の入った食缶を出してくれるのである。しかし、もらいに来た教育兵の当番が並んでいないとか、言い方がまずいとかいろいろ文句をつけられ後回しにされる。
時には、スコップのような大きなしゃもじを持ち上げ、叩くようにして脅かされたりするので、飯上げに行くのも新兵にとってはたやすいことではない。ウロウロしていると、炊事班常当番(すいじはんじょうとうばん)の上等兵にビンタをもらったりする。ビンタは、もらっても持って帰ってみんなに分けるわけにはいかないし、自分が痛いだけである。
当番は内務班に持ち帰った飯と汁と副食物を、各人のアルミ製の茶碗とお碗に人数分に分けてついでおくのだ。古年兵には新兵より多いめに盛り付けをして並べて置くのだ。早く分配を終えていないと、皆が訓練や厩作業を終え帰ってくる。遅れると食後の次の作業に差し支えるので、それは当番の責任となり大変だ。
食事がすむと自分の食器は自分で洗うが、大きい食缶は当番が奇麗に洗って炊事場へ返さなければならない。ここでも、洗い方が悪く一粒でも飯粒(めしつぶ)が残っていれば受け取ってくれない。洗い直しである。中には洗い方が悪いと言って缶を頭から被(かぶ)せられている新兵もいた。
私は入隊後間もない頃、当番に当たり食缶を洗いながら、底に残っていた僅かの飯粒を手で取り、少しでも腹の足しになればと思い、とっさに口の中へ入れた。その瞬間炊事の上等兵が来て「貴様!」と言ったかと思う間もなく、飯粒の着いた大きなし・ゃ・も・じ・で私の頬を殴った。ピシャリと大きな音がして頬の皮が裂けたような気がした。しかも顔に飯粒が一杯付いた。自分ながらその姿は滑稽(こっけい)であり、哀れであった。
◆多忙と要領
こうして一日二日と過ぎてゆくが、毎日鞭で尻を叩かれ追い回されて寸刻(すんこく)の暇もない。時間がなく忙しく教育に追われ、厩動作と内務にかき立てられる日の連続であった。その内、みんな朝の起床も要領がよくなり、起床ラッパの鳴る前に目を覚まし、毛布の中で靴下を履き服も上着まで着てしまう。ひどい兵隊は靴まではいて、何食わぬ顔で狸寝(たぬきね)入りしていて、ラッパが鳴ると飛び起きて毛布を畳(たた)んで外に一番早く飛び出す者もできた。寒い時期であり、靴下を履いて寝る者も多く私も靴下を履いて寝ることにした。それも何足か重ね履きした。靴下を履く時間だけ早くできるので助かる。とにかく人より早く行動することが肝心なことであった。
余談になるが軍隊では服や靴に体を合わせることになっている。私は小柄なので靴が大きい。靴の中で足が踊っている。これでは走れないので靴下を何足も重ねて履くことにした。それでやっと調節がついていた。
要領の悪い兵隊がいて、帽子の行方が分からなくなり、帽子を被(かぶ)らず整列した者がいた。軍隊は必ず外に出るときは帽子を被らなければならないことになっているのにこの有様だ。叱られること激しい。助手より「犬になって探してこい」と言われて犬のように四・っ・ん・這・い・になり、ワンワンと言いながら冷たい地面を這(は)わされた。おかしくても笑いもできず、口をつむいで我慢をする始末。いつ自分がそのような羽目(はめ)になるか分からないからである。
毎日食事前三度三度馬に接触し世話をしなければならないので、次第に慣れてはくるがやはり恐ろしい。おとなしい馬ならよいが、全部はそうはいかない。
蹴る馬の他に咬(か)みつく馬、前足を持ち挙げて被(か)ぶさるように抱きつく馬等いろいろであるが、中には癖を多く持つている馬もおり危険で、いつ何をされるか分からないので油断できない。そんな気持ちでいる上に取り扱い方が下手だから「これは初年兵だ」と馬の方が先に感づき、馬に馬鹿にされることもあった。
ある時、思いもかけず、馬房内(ばぼうない)の馬に胸をガブリと咬まれた。あの笹倉少尉の乗馬で癖の悪い馬にだ。すぐに後に下がったが、馬の顔を見ると耳を後に立てて、気の立った顔をしている。なぜこの馬は私に咬みついたのだろうか?私が何か悪いことをしただろうか?
考えても分からない。
しかし、馬には気に入らないことがその前にあったのだろう。とにかく畜生だ、いつ何をするか分からない、用心用心。後から服を脱いでみると、胸の所に馬の歯型がくっきりと着いていた。
寝藁(ねわら)に沢山の糞がついていて汚く臭い。それを素手でつかむのだからいや気がする。そんな様子を見ていた上等兵が「馬糞(ばふん)が汚いようでは駄目だ。一度馬糞をお茶漬けにして食べてみい!そうしたら治るわい」これには、みんなダーとなった。