また、「お前達は馬の手入れが悪い。体がピカピカ光る程磨かなければいかんのだ」
「この蹄(ひづめ)の手入れはなんだ、まだ汚れているではないか。舌でね・ぶ・り・と・れ・」と言われ頭をこづかれた。えらいことだなあーとつくづく感じていると、「お前達は葉書一枚の召集で来るが、馬はそうはいかないんだ。馬の方が偉いことを知っておけ」と言われた。
まさに主客転倒だが、事実そうなのである。昔徳川に犬公房(いぬくぼう)将軍がおり、犬を人間以上に大切にしたと伝えられているが、それと同じように馬の方が兵隊より遥かに大切にされているのである。
兵隊は一度だって馬より先に飯を食ったことはないし、馬の手入れをしない日はないが、兵隊は忙しくて風呂に入れないことはしよっちゅうであり、馬の汚れ物に触った手を洗う間もなく飯を食わねばならぬことは、しばしばであった。
「おお、馬よ神様よ」そして自分の手は二月の寒風にさらされ入隊後半月も経過しない間に、皹(ひび)で荒れ、霜焼けになり、ガサガサな汚い手になっていた。
◆鍛錬
厳しい鍛錬が毎日続く。銃を持つ手に冷たい練兵場の風が吹きつける。戦闘訓練では、凍りついた地面の上を、這(は)って進む匍匐前進(ほふくぜんしん)をやらされた。やり方が悪いといって叱られたり蹴飛ばされる。大部分の人は初めてのことで形にならず、やり直しを何回かした後に、やっと「それでよし」と言われ皆ほっとした。ところがその後すぐに「では、その要領で向こうの松の木の所まで行って来い」との号令。見れば松の木までは百メートルもある。「そら行け」で一斉に這いだした。
体で覚えさせる猛烈な訓練が毎日続いた。馬鹿か、阿呆かと言って叱られ、鉄拳制裁を受けながらも歯をくいしばり頑張るより他に仕方がないのだ。
毎日毎回の食事は、次の作業や訓練の準備のために、それに加え、叱られるためにも時間を費やされるので、ゆっくり食べられないのである。この頃は必要に迫られ、食べるのがだんだん早くなってきたが、どれ程早く食べ終え次の仕事にかかっても、遅いといって絞られるのが軍隊である。
この日は軍装を整え銃や剣を持って集合したのだが、「遅い」といって、助教の大仲伍長が怒り、次々にビンタがとんだ。それも握りこぶしで力一杯だから、矢野二等兵はひっくりがえり二メートルも飛ばされた。殴られる前には、眼鏡を外し、殴られても怪我などしないように歯を食いしばり、あらかじめ準備することになっている。私の左の頬にも「ガッン」と一発炸裂(さくれつ)した。体がグラリとよろけ目から火が出た。この日は寒い日であったが、左の頬はいつまでもしびれて熱く火照(ほて)り、右の頬は寒く冷たく大変なアンバランスだった。
今日はガスに対する訓練だ。ガスマスクをかぶる。大森助手が見て回る。大仲助教も、教官の橘見習士も丹念に見て回る。着装の仕方が悪いと空気が入る。「ガスを吸うぞ」
「絞め紐(しめひも)が緩(ゆる)い」 「斜めに被っているぞ」などと指摘され直された。ああでもないこうでもない、といろいろやるうちに大分時間も経過した。やっと全員がしっかりと着装したのを見届けた上で、「駆け足」の号令で走りだした。
銃を肩にしているうえに、マスクを着けての駆け足では空気を充分吸うことができず大変な苦しさだが、止まってはいけない。ドンドンと走る。ここで遅れるとどんな制裁を受けるか?人一倍ひどい目に遭うに決まっている。とにかく、遅れないようについて走るより仕方がない。
目が回りそうで、自然に足が前に出ない。無茶だが走るより仕方がない。ここで、インチキをしてマスクをゆるめるとか、顔とマスクの間に隙間をこしらえれば楽になるのだろうが、銃を持っているのでそう器用に指先が働かない。見つかればこれまた大変叱られることとなる。
いくらきつくても走るより方法がない。教える側も同じくマスクをしているのだが、苦しくないのだろうか?そこはそこ、日頃の駆け足訓練で鍛えているので、さほどでもないのだろう。それに教える側のプライドもあろう。そんなことを考えながら走っていると「コラ、たるむな」と声がかかった。もう寒くはない。汗が顔を流れているのが分かる。
当時使われた言葉で、自分の事を顧みず国家のために尽くすことを「滅私奉公(めっしほうこう)」と言い、それを誓って故郷を送られて出てきたのであるが、まさに死にそうな訓練が続く。私は幹候(かんこう)を目指しており、学課にはある程度自信があるが、このような訓練にも負けないよう耐えてゆかねばならないと心に誓った。