◆輜重兵としての訓練

このように、一般の歩兵の訓練の他に輜重隊は輸送業務、特に我が一中隊は輓馬(ばんば)中隊で馬で荷物を運ぶ部隊だから、その訓練が必要なのである。今日は輜重車に弾薬箱を積み上げ、それを太い綱で括(くく)り絞(し)めるやり方の訓練である。「箱の乗せ方はこうするのだ。綱の絞め方はこうするのだ」 「綱がこう緩くては戦争に行って荷物が落ちてしまうぞ」 「やり直しだ、輜重結(しちょうむすび)はこうするのだ、よく覚えておけ」
私がやり直しをしている間に他の人はどんどん次に進んでいる。やっとのことで荷物を輜重車にしっかりと積載固定することができた。
今度は、馬を馬房から出し鞍(くら)を背中に置き固定し、輜重車の所まで連れてくる。車の腕木(うでぎ)の間に馬を尻から押し入れるのだが、なかなかうまく行かない。初年兵にとっては苦労するところだが、やっと馬の鞍の金具と車の腕木の接続を終える。これから出発だ。馬に、荷物を載せた車を引かすことになるが、ここで馬を慌てさせてはいけない。暴れられては大変なことになるし、大怪我のもとにもなる。細心の注意が必要である。広い練兵場に十数台の車が並び歩きはじめた。馬の手綱を握った手に力が入る。この間入隊したばかりなのに、よくぞここまでになったものだと自分ながらに感心する。
懸命になり過ぎて手綱を握っているので、馬も多少窮屈(きゅうくつ)なのだろう。右に左に車を引いて訓練していると、山舛(やまます)二等兵の持った馬が突然走りだした。車を引いたままでガラガラ、ガラガラと暴れたように走るので皆びっくりした。山舛新兵は一生懸命手綱を持っているが、手綱さばきが悪いのか、自分も走って行くだけで、馬を止めることができない。馬はますます早く駈けていく。
凸凹の多い練兵場でつまづいて彼は転んだ。馬は車を引いたままそこを走り抜けてゆく。一瞬轢(ひ)かれたと思った。
馬は遥か向こうまで行って止まったので、皆で捕まえた。普段おとなしい馬でも突然どんなことになるか分からない。
山舛二等兵は幸か不幸か足先を轢(ひ)かれただけですんだ。私達は彼をかばいながら医務室へ連れて行った。「練兵休(れんぺいきゅう)」といって怪我や病気で休むことを公然と認めてくれる制度があり、一週間の練兵休となった。山舛二等兵にとって、とんだ災難だった。
次には道なき道や、やっと通れる細い橋を渡る訓練をした。
更に、駄馬訓練といって、車が行けない山を馬の背中に荷物を振・り・分・け・に載せて行く訓練だ。
『ひよどり越えの坂落し』のような急斜面の岩山を登り下りする訓練をするのである。馬も滑るし、人間も滑る。馬の蹄(ひずめ)で足を踏まれ、馬も人も転がるようにして必死に訓練を受けるのだ。
軍隊に入り、強制だからできるのだが、つい二ヵ月前までは馬のことを全く知らない者が、ここまでできるようになる軍隊教育の早さと厳しさに驚いた。しかし、危険を伴うもので、この訓練中に馬の背中に載せた弾薬の箱で頭を打ち、意識不明になった兵隊もいた。

◆余分な訓練

ある日、午前の演習で絞られ、厩作業を終え班内に帰ってみると、ごったがえしになっていた。
整理箱も整頓して置いた衣服類も引き落とされ、皆ばらばらで誰のがどこに散らばっているのか分からない。ここでは、広峰山(ひろみねさん)という姫路の北の山から吹きおろす風を「広峰お・ろ・し・」というのだが、その風が来て吹き飛ばしたのだと言っている。整理が悪い時の懲(こ)らしめに、教育兵は全体責任を負えという意味の制裁だ。理不尽(りふじん)な思いをしながら片づけるのだが、服を重箱のように四角に畳んで、几帳面(きちょうめん)に直すには大分の時間がかかることになる。
誰がするのか分からないが、こうして教育兵はいじめぬかれるのだ。こんなことをしていると、食事をする時間が更に少なくなるし、午後の演習へ出る時間が遅くなるのだ。やっと飯をかき込んでいると、助教から「午後は輓馬教練だから馬がすぐ出せるようにしておけ」と言われ、昼飯もそこそこに厩へ走らなければならない。
馬を出す用意をしていると、はや教官は自分の馬に乗って来た。
「何をぐずぐずしているのか」 「そこに並べ」との命令だ。横一列に並ぶと、馬の上から指揮刀(しきとう)を持って、皆んなの頭の天辺(てっぺん)を容赦なく次々に叩いた。私も叩かれたが頭蓋骨(ずがいこつ)が割れる程こたえ本当に痛かった。もう少しで脳震盪(のうしんとう)を起こすのではないかと思った。あの時の痛さは今も記憶に残っている。

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