◇外泊と肉親

◆惜別の情

内地出発の日が間近に迫ったある日、一泊二日の外泊が許された。
「お前達、もうすぐ外地に向かう。一日家に帰って来い」とのお達しがあり、私も帰らせてもらった。
今まで内地におり、余り感じなかったが、ここ一週間以内に外地に出て行けば、もしかすると再び内地へ帰れなくなるのではないかと、しんみり思うようになっていた。
家には、電報で帰宅の旨を連絡しておいたので、両親と、妹も岡山女子師範学校(岡山大学教育学部の前身)の寮から帰って待っていた。皆、もう私が外地に出発することの覚悟はしていたようであった。私も余り多くを話す気になれなかったが、家族に会えて一泊できたことは確かに嬉しいことであった。
今まで、毎日の内務や訓練で忙しく、「これから外地に行くが死ぬことになるかも知れない」等と深く考える余裕はなかったが、こうして家に帰り静かな時を持つと、しみじみ考えさせられるのであった。
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夕闇が迫る頃、縁側に出て庭を眺めると、南天(なんてん)の花が白く咲きかすかな香りを漂わせていた。子供の頃から庭先にあった南天だが、再び生家に帰りこの南天を見ることがあるだろうか? 遠くにたたずむ懐かしい山の輪郭を夕闇が包みこんでいく。
この頃、既に戦況は苛烈(かれつ)の度を加え、悪化の方向に向かっているのを感じていたから尚更(なおさら)、そんなことを思ったのであろう。
その晩は、材料の乏しい時勢ではあったが、母が都合して来てくれた鶏肉の鍋を囲み、親子四人で食べた。お互いに思うことは一つだが、誰も口に出さない静かな夕食だった。
しばらくして、母が、近所の様子や、出征した人の話を次々にした。これらは今の私達にとって、およそ意味のない話でしかないのだが、辛さを紛らわすために話しているのだった。そして自分の置かれている境遇がいかなるものかをつくづく感じさせられた。
久しぶりに、田舎のご・え・も・ん・風・呂・に入った。この四ヵ月の間、ゆっくりした気分で風呂に入ったことはなかったが、今日は入浴中に着ている物を盗まれる心配もなく悠然と風呂を楽しむことができた。
また、柔らかい、ふわふわとした布団の感触に、なんとも言えない幸福感を味わうことができた。それは母に抱かれた幼い日を思い起こすようであった。真っ白い枕カバー、それは王子様になったような気持ちがした。
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静かに夜が更けてゆく。隣の部屋の明かりも消えているようだ、枕にポタリと涙が一と滴::眠れない::そうだ、遺書を書いておこう。
「遺書」「お父さんお母さん、いよいよ外地に向かって、出て行くことになりました。僕はもう、二度と帰って来ることができないかもしれません。生まれてからこの方、二十年余り本当にお世話になりました。私は今まで、本当に幸福に過ごしてくることができたと思っています。何とお礼申し上げてよいか分かりません。このご恩をお返しすることもなく出征していきます。私は日本人として恥ずかしくないよう、御奉公してきますから安心していて下さい。たった一人の妹の幸福を願うと共に、僕がいなくても妹と一緒に幸せにやって下さい。また、親戚の人や私の友人にもよろしくお伝え下さい。私はもう何も言えません、ただこれだけを書き留めておきます。もしもの時はこの遺書と、同封の東京で最後の散髪をした時の髪の毛を祀(まつ)って下さい。お元気で」としたため、やっと眠りについた。
夜が明けると、弥上(やがみ)の氏神様「見上(みかみ)神社」と、先祖のお墓にお参りした。
いつの間にか時間がきて、親子四人揃って四キロの山道を歩いて万富駅に来た。妹は岡山行きの列車に乗り、両親と私の三人は姫路行きの列車に乗るので別れた。
その時妹が「兄さん元気でね」と言ってくれたが声は潤(うる)んでいた。
加古川駅につき、青野ヵ原方面行きの軽便列車に乗り換えた。速度の遅い列車が小さい駅に止まり止まりして行く。乗客は比較的多く私達三人は立っていた。
両親といよいよ最後の別れの時が迫ってきた。今生(こんじょう)の別れになるのかと思うと涙が出てきて、ジーンと胸が詰まってきた。だが、「俺は男の子だ。若い立派な兵隊だ」そのプライドで他の乗客に涙を見られたくなく、気づかれたくもなかった。じっと涙をこらえたが、どうしようもなかった。両親はどんな気持ちだっただろうか? おそらく私以上に悲痛な思いであっただろう。もう、惜別の情耐えがたく、話すことも顔を見ることさえもできなくなり、ただうつむいているだけであった。
青野ヵ原駅まで行ってから別れるとなるともっと辛くなるので、一駅手前で父母は下車した。私は別れがこれ程辛いと思ったことはなかった。小さな列車はすぐに発車した。気を取り直し涙を拭き終わる頃、青野ヵ原駅に着いた。我に返り元気よく大門廠舎(だいもんへいしゃ)の門をくぐった。
---四年後、無事復員してから後に、妹から母がその当時何回も「その時の別れが辛かった。敦巳(あつみ)にもう会えないか、もうあれっきり敦巳と別れてしまうのかと思うと悲しくて悲しくて、身が引き裂かれる思いがした。本当に辛い別れであった」と話していた由を知り、親が子を慈(いと)しむ思いの強さに心を打たれた。

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