◇宇品港出港

◆積込み作業

六月下旬の夜は短く早く明け、目が覚めた時は、列車は宇品駅に着いていた。ここも貨物のホームである。昨日荷物を積み込んだ貨車も、馬を積んだ貨車も横の線路に到着していた。早朝から、荷物や馬を貨車から降ろす作業、それを艀(はしけ)に乗せる作業、艀から輸送船へ積み込む作業が始まった。
分解した輜重車を車体と車輪に分け貨車から降ろす。港が浅いと大きい船は岸壁に着かない。そこで波止場から本船まで、すべての積み荷を、台状で縁に柵のない艀(はしけ)という舟が運搬するのである。艀に荷物を乗せ、二百メートル程沖に停泊中の本船に横着けし、ウインチで巻き上げる。ここでは船舶兵がいて、荷物の置き場所や置き方を厳しく指示しており、専門家の彼らに従わざるを得ない。車体は車体ばかり、車輪は車輪ばかりまとめ、場所を取らないように所定の船倉の奥深い場所から詰めて置くのだが、一回に十台分ぐらいの輜重車がウインチで釣り上げられていく。次から次に運び込んでも限りがない。
兵器や弾薬、各種の装具、馬糧、兵隊の食糧等の積込みがすむと、次は馬の番である。貨物列車から馬を引き降ろし波止場まで連れて来るのだが、馬も昨夜一晩中汽車に揺られて疲れている上に、列車の乗り降りは馴れていないので、踏み板の上を歩かせる時は滑りそうになり大変だった。
それより、艀には縁(へりvに柵が無いのでしっかり鼻を持っていないといけない。一匹の馬でも暴れだすと大変だ。馬は驚き慌てる性質を持っており、海に落ちるようなことになると人間も危ない。
とにかく艀の上でガタガタしないように用心することだ。
次は、艀の馬を本船のウインチで、吊り上げて搬入して行くのだが、馬絡(ばらく)で馬の腹を締めようとすると、ガタガタと暴れる奴も出てくる。そしてウインチで引き上げようとすると急に走りだす馬もおり、また暴れ回る馬もいるので、そんな時は我々は必死で馬の鼻のろ・く・を捕まえておかねばならない。
一歩誤れば、海に落ちてしまう。危ないことこの上もない。馬絡(ばらく)で馬の腹を締めてウインチに掛ける困難な作業は、古年兵でモサの藤川上等兵や横田上等兵達気合いの入った兵隊がやってくれ助かった。馬もガタガタしているが、ウインチで吊り上げられてしまうと、どの馬も観念するのかじっとしてしまう。不思議なもので、一本でも足が地面に着いている間は暴れているが、離れたら自分の力が及ばないと感ずるのか、おとなしくなる。一頭一頭吊り上げては船に入れ、吊り上げては船に入れるのだが、足が船の床に着いたとたんにまた暴れ出すものもあり、緊張の連続であった。
続いて船底の馬房(ばぼう)に入れるのだが、船底の馬房の仕切りは狭く一頭一頭がやっと入れるぐらいの大変窮屈なもので、身動きもできないくらい詰め込まれ、しかも、船に揺られ揺られて何日も動けないのだから、馬も本当に可哀相なものである。このようにして、馬が全部運び込まれるまでには相当な時間がかかった。
やっと終わったと思っていたら、新規に弾薬が沢山送られて来て、それを積み込む作業が別に増えた。みんな蟻のように一列に並んで艀まで弾薬箱を肩に担ぎ、積み込みをすませるとヘトヘトだった。
戦場では弾丸がなければ戦えないし、弾丸が命である。だが、今日の場合疲れきっていた上に、余りに多く重たい弾丸だったので、「有り過ぎるのも困りものだ」などと、苦しまぎれの声も聞こえてきた。
朝から晩まで働き、やっと積み込みが完了した。輜重隊はその名のとおり輸送部隊であるから荷物や持ち物が多く乗船も大変である。長い夏至の頃の早朝より日暮れ前までたっぷり一日かかった。
船内に馬の当番と積み荷の監視当番を残し、日が暮れる頃やっと宿屋に着いた。大勢の兵士が泊まるのだから充分なサービスを期待するのは無理であるが、なにしろ入隊以来五ヵ月も女の人と話したことがないのだから「兵隊さんご苦労ね、明日は外地に出て行かれるの、お元気に」と優しく声をかけてくれ、一生懸命に世話してくれる気持ちが自然に伝わってきて有難く嬉しかった。
ここでは久し振りに畳の上で、軍隊ではアルミの茶碗にお碗、アルミの箸で情緒がないが、お膳で出された飯を食べた。また軍隊では昼夜通し同じ肌着と服なのにここでは浴衣に着替えた。その上軍隊では寝具は毛布だが、ここでは触りの良い夏布団に寝ることができ、内地の娑婆(しゃば)の夜をいささかでも味わうことができた。
「いつの日にか再び畳の上で、お膳の飯を頂くことができるだろうか?」と思いつつ休んだ。みんな寝静まったのか、柱時計がコチコチと時を刻んでいた。

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