◆乗船

我々は銃と剣そして装具一式を背負い、艀(はしけ)からタラップを登り本船に乗船した。セレベス丸という五千トン級の貨物船である。しばらくして、船内の狭い階段を上がったり下がったりして、私達十二班に与えられた場所へ入っていった。
まことに狭い、高さも広さも。もともと貨物船で荷物を入れる場所を上下二段に仕切っているので、高さ一メートル弱で立つことは絶対できない、這(は)って奥に入るより仕方がない。
一人当たりの面積は五十センチ角も無いようだ。装具を置くと一杯だ。荷物をきちんと置き、人間が座っただけでギュウギュウの箱詰めである。一人が横に寝るためには三人が外に出て行かなければ面積はとれない状態で息詰まるようだ、無茶だ。それに薄暗くて照明も極めて悪く、薄汚く人間のいられるような場所ではない。しかしどうしようもない。それだけの広さと高さしか与えられていないのだ。敵の潜水艦にやられたら、人が一杯で船室から逃げだすことは絶対できない。
装具を置いて甲板(かんぱん)に出てみた。遠くに広島市の北の山が、近くに宇品の町並みが見える。気がつくと他に貨物船が二艘(そう)おり、兵隊を一杯乗せていた。同じ輸送船団を組むのだろう。どの船も水や油の補給をしており、あちこちに連絡用のモーターボートが走っていた。
夕方近くになり錨(いかり)が引き上げられた。何の合図もなく船は動き始めた。他の二艘も動き始めた。
夕闇の彼方に小さな町の灯火が次第に遠退(の)いていく。戦友の橋本二等兵や三方二等兵達といつまでも甲板に立ち舷側(げんそく)の手摺りを固く握っていた。若い兵士の胸に熱いものが込み上げてきて声も出ない。唯(ただ)、黙ったままであった。
これで、いよいよ内地ともお別れだ。父母兄弟、妻や子供の住むこの国を出るのだと重苦しい気持ちに包まれており、征途(せいと)に就くという勇ましいものではなかった。
船での一夜が明けた。甲板へ上がって見ると、関門海峡を通過しているところだった。船団は六艘(そう)になっていた。下関の端の部落へ大きな声をすれば届く程だが、もう内地と私達の間には絶対に届かない遠い遠い隔たりがあった。いつしか船団は五島列島の沖を走っており、漁師が小舟から手を振っていた。船団は南西に向け進んでいる。
次の日、夜が明けてみると、様子がおかしい。どこだろう?「関門海峡を瀬戸内海へ入った所だ」と皆が言っている。確かにそうだが、どうしたのか分からない。船団が忘れ物をして引き返したのでもなかろうが、命令が変わるのだろうか、お粗末なことだ。
戦況がよくないのか、敵の潜水艦が接近したとの情報によるのかも知れないが、上層部が何かにつけ、うろたえているからだろうと思った。次の日はまた出発だ。再び五島列島沖を通過しているが二、三日が浪費されたことになる。

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