◇輸送船内の様子

◆寿司詰

軍歌で「あーあー堂々の〜輸送船〜」と勇ましく歌われているが、実態は貧しく非常に窮屈(きゅうくつ)である。
どの船も、各船室は兵隊が寿司詰めになっている。船倉の深い部分に輜重車や弾薬を積み、馬も深い船底のあたりにいるが、そこに新鮮な空気を送るために扇状の大きな幕で前進方向からの風を捕らえ、布製の大きなダクトを通して船底の方へ空気を送る仕掛けがされていた。貨物船をにわかに改装したのでこのようになっているのだろう。
それに、千人もの人を急に乗せることになったのだから便所が足りない。当然のことだ。対策は?甲板外側の手摺(てすり)りの外に、はみ出して木組みがされている。丈夫な木と板で出来ているが、屋根もなければ、囲いもない。吹き通しで、床は二枚の板が適当な間隔で渡してあるだけである。
空も周囲も下の海面もよく見える。眺望絶佳(ちょうぼうぜっか)の完全な無臭トイレだ。そこで便をするのだが、始めは余程糞(くそ)が溜まってからでないと、出てこない。それに風の強い日には吹き飛ばされそうだし、下を見ると波頭が上下に五、六メートルも動いており、海面が遠くなったり近くなったりで、大便をするのも恐ろしく勇気が必要となるのだ。
飯と汁を各(おのおの)の飯盒(はんごう)と飯盒の蓋(ふた)へもらって食べるのだが、所定の班内の場所は狭くて入れないので、浮浪者のように甲板のあっちこっちに座り、適当に食べる。食べた後はほんの僅かの水で洗う。おかずは塩干魚(えんかんぎょ)などで変わりばえもしないが、船の飯は蒸気で炊いてあり、幾らか塩気もあり、案外美味しいのがせめてもの慰(なぐさめ)めだ。
その後、船団は東支那海に入ったのか前後左右に大きく傾き揺れるようになった。
私は、宇野・高松間の国鉄連絡船に乗ったことはあるが、こんな大きい船に乗っていながら、こんなに揺れるのは初めてであり、気持ちの悪いことといったらひどいものである。立てばふらふら、よろけどおしである。寝転んでも目がまい、ひどい船酔いで、飯も喉を通らず激しい空嘔吐(からおうと)をするばかりである。
戦友も三分の二以上がひどい船酔いで弱っている。酔っていない者が馬の世話や飯上げなどをしてくれた。どこに行ってもたまらない。気分転換と思い馬の所に行ってみたが、そこは馬糞の臭(にお)いで余計に気分が悪くなるだけで、処置なしである。
二、三日が経過し船の揺れが納まりかけると、船酔(ふなよ)いはけろりと治り、忘れたようになった。飯は食べられるし足取りもしっかりしてきた。甲板に出ると太陽がまぶしい。大分南に来たのだろう。沖縄列島だろうか小さな島が遥かに見えた。
船は昼も夜も走り続けている。だが、いつもジグザグコースで行くので、日にちばかりが過ぎ、案外南への距離は伸びていないようであった。ジグザグコースを取るのは潜水艦の攻撃を避けるためだそうだ。素人の私でさえ、そんなことでは避けられはしないだろうと思った。敵の潜水艦はもっと速度も早いし、優秀な観測機と正確な魚雷を持っているはずである。子供だましもよいところだ。でも、ジグザグをしないよりは、したほうがよいのかもしれないが。
ジグザグコースで蛇行し進んでいるのだが、前の船と次の船の方向の違いは直角といってもいいぐらいなので、五日かかるところを十日かかるのは当たり前のことである。これは昭和十八年七月のことだが、この時既に敵の潜水艦に対し、かくも戦々恐々(せんせんきょうきょう)とした有様だった。

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