◆船内の生活

もう一週間ぐらい体を洗っていない。各人、飯盒(はんごう)に一杯の水をもらい、洗うのだが、先ず顔を洗い頭と体に移る。上手に使わなくてはすぐに無くなってしまう。水がこんなに貴重で有難く有効に使えるものとは、今まで思ったこともなかった。幾らか清潔になり気持ちがよかった。
ところで飯盒には、いろいろの使い道があり、水入れ、お米入れ、飯炊釜(めしたきかま)、お汁の鍋、おかず入れの食器として使われる外、このように洗面器代りになったり、場面によっては汚物入れとして使われるかと思うと貴重品入れともなった。もったいないことだが、いちばん安全な保管方法として戦友のお骨入れになることもしばしばであった。まさに万能の道具であり、後の話に出てくるが敗走千里の道で、最後には命の次に大切なものとなるのである。
船の中で割り当てられた場所は非常に狭いので、上甲板(じょうかんぱん)の設備や荷物の間に横たわるだけの場所が見つかればそこへ寝るのだ。場所取りもその日の早い者勝ちである。いつも我々は救命袋を携えており、それを枕にしていた。幸いに熱帯地方の海上だから寒くなくて有難い。雨と露が凌げればよいのだ。
そんな一等場所が取れないと、厩に行き馬と馬の間に渡した境の太い木の枠の上で寝ることになるが案外悪くない。馬も時には大きなお・な・ら・を落とす、丁度私の頭の辺でやるからたまらない。
だがしばらくの辛抱だ。
船の中は狭いので時に総員上艇(じょうてい)という訓練があり大変だったが、平日は朝晩みんなで体操をしたり、軍歌を歌ったりして、士気の高揚を図っていた。
よく晴れた日の航海はたとえ戦場に運ばれていても、緑の島等が見えるとさわやかで楽しいものであり、船が白波を残して進んでいるさまは一幅の絵になると思えた。また、いつ敵の潜水艦にやられるかも知れないと思うと心配でもあったが、どう思ってみても仕方の無いことであった。
ある闇の夜「潜水艦がいる。全員非常体制に入れ」の命令が出た。甲板に上がり救命袋を身に着け、やられたらすぐに海に飛び込める体制で、しばらく緊張の時間が続いた。船の灯火は全部消しており不気味な時が流れたが、幸い攻撃されずにすみ事無きを得た。
何日目になるであろうか、台湾の東側を南に向け航海している。花蓮港(かれんこう)の町には気がつかなかったが、確かに高い山並みが海岸に迫っていた。それに沿って更に南下し台湾の南端の岬をぐるりと回り、進路を北へ取り高雄(たかお)港に着いた。子供の頃に高雄のことを地理で習っていたが、いよいよ来たかと思った。波静かな青い港があり、辺りに南国の樹木が茂り、熱帯の果物が実り何だか不思議な魅力を感じた。

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