◆サイゴン(現在ホーチミン市でベトナムの首都)へ上陸

数日後、船団は大河メコン河を上り始めた。我々にも当時仏領インド支那のサイゴンに行くことがすぐに分かった。六千トン級の船が自由に航行できる大きな河である。
サイゴンの港に到着すると、すぐに下船(げせん)を命じられた。宇品で乗せたすべての物を降ろして、臨港の倉庫に搬入しておき、兵士は各自の装具一式を携行し、馬と共に市内を行進して兵站(へいたん)宿舎に着き、馬は仮の厩(うまや)に繋いだ。早朝よりまる一日がかりの大仕事であった。前にも述べたように輜重隊は多くの荷物、弾薬、食料等を同時に輸送しているので、船からの積み降ろしが大変なのである。ここでセレベス丸と別れた。よくここまで無事に運んでくれて有難う。
市内を行くと、サイゴンは小パリーと言われるだけに美しい町並み、緑の芝生の中に瀟洒(しょうしゃ)な建物が並び、商店街も奇麗に整い樹木が多く、垢抜(あかぬ)けのした美しい家があり、清潔な感じのする街であった。若い女性が涼しげな美しい衣装で、自転車で往来していたのが印象に残った。
日本軍の佐官や尉官の車が行き来し、時に黄色の旗を立てた将官を乗せた自動車が人目をひいていた。さすが南方総軍指令部のある拠点だけに、日本軍人が威張って町の中を行き来しているようであった。兵站宿舎での給与は良く、食料、砂糖、外国たばこ等を与えてくれた。
宿舎と厩が離れていたので、飼(かい)を与えるためにその間の道を行ったり来たりした。もっと街の様子を見たいと思ったが外出の機会がなく、到着と出発の時に町並みを通っただけで残念だった。
十日ばかり滞在したが出航の日が決まり、その前日に、船から降ろし倉庫に入れておいた弾薬や輜重車等の荷物と馬を、終日かけて輸送船に搬入した。重労働も全員が一致協力して頑張るからやれるのである。
私の馬「金栗号(きんくりごう)」は体格は並みの大きさ、流れ星の栗毛でおとなしい性質で私によく馴れていたが、積込みの合間に「お前も吊られたり降ろされたりで、ご苦労さん」と言って首を叩いてやった。
当日は宿舎を片付け掃除をすませ装具一式を携行して乗船した。美しいサイゴンの街に別れを告げ出港した。緑の平野が広く開ける中をメコン河が流れ、輸送船団はその河を下って海に出た。
南の空は青く澄み、海は静かでキラキラと真夏の太陽に輝く。その中を白波をたてて船団は進んだ。この頃はジグザグコースは止めて、南に向かって一路航海している。鏡のような海の中を右や左に島を眺めながら航海し、数日の後にシンガポールに入港した。

◆シンガポール(当時は昭南島(しょうなんとう))へ上陸

入港の前に船から見る風景、私はこんな美しい景色を見たことはない。海の色は翡翠(ひすい)のように澄んでおり、島の緑がさえている。心がうっとりとし、見惚れるようだ。無銭旅行にはもったいないぐらいだ。
しかし船が着けば重労働が待っていると思うと、気分が落ち着かない。やがて接岸し、当然のことながら下船命令が伝達された。いつものように荷物を全部降ろし、弾薬箱や大型の荷物、分解した輜重車等を波止場に近い倉庫に格納した。馬と兵隊は中兵営の宿舎まで五〜六キロを歩いて行った。朝から晩まで休む間もない作業の連続で夕刻になりやっと落ち着いた。
やれやれと思っていると、一時間もたたない間に、「明日乗船せよ」の命令だ。どうなっているのか?ものも言えない程あっ気にとられたが、命令である。
一夜が明け、馬を連れ装具を持ち波止場に行った。昨日格納したばかりのおびただしい荷物を倉庫から運び出し、ウインチで輸送船に吊り込んだ。次に馬も一頭一頭馬絡(ばらく)で吊(つる)し船倉へ入れた。
もう何回もするので作業には大分慣れてきたが、危険はつきまとい、やはり大変な労働である。
みんな一生懸命したが、たっぷり一日かかり、夜遅くやっと狭い船室に潜り込む有様であった。夜が明け出航はいつだろうかと思い待っていた。
その日は何もなく終わろうとした頃今度は「明日下船せよ」の命令が出された。全く猫の目のようによく変わる、いや、猫の目もこんなには変わらないだろう。
参謀達が、なにかの情報により決めるのだろうが、更にはもっと偉い人が、その他の状況から「それではいかん」として変更になるのかも知れないが、末端では大きく振り回されっ放しだ。しかし、命令は絶対である。絶対だからこそこうなるんだろうが、とにかく大変なロスだ。負け戦の前兆とは、こんなものだろうか?
命令に従い、再び下船作業を丸一日がかりでやっと終え、その日も夜になり、中兵営に再び帰ってきた。もうクタクタである。思えば忠実な軍隊であり兵隊である。
その後二十日間ぐらい、シンガポールの兵站宿舎であるコカイン兵舎に宿泊した。特別な訓練はなく、馬の世話と点呼と体操、軍歌演習、時に駆け足をして過ごした。市内に出たのは二回ばかり、食糧の受領にトラックに乗り通った程度で、あちらこちらを見物する機会はなかった。でもその時の、朝の霧に包まれたさわやかな空気、奇麗なアスファルトの街路、高いビル街、そこをロバがパカパカと車を引いて軽快に走る美しい街並みの印象は忘れられない。

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