四 ビルマでの軍務と移動
◇ビルマに進駐(しんちゅう)
◆ラングーン港で荷揚げ
甲板(かんぱん)に上がり感慨深い気持ちで初めてパゴダ(仏塔)を見た。緑の丘の上に建っており、沈んでいく夕日に赤く彩られた黄金のパゴダは、何とも言えない美しい姿をしていた。これがビルマでの第一の印象だった。夕闇が迫り町の明かりが点々と点(とも)され始める様子を眺めながら「いよいよ目的地ビルマについた」の感を深くした。
日も暮れ、今夜はこのまま船に泊まるものと思っていると「各小隊は班内の部屋に帰れ」との放送があり、帰ってみると瀬澤小隊長から「本日これより下船作業をする。昼間になれば敵機の襲撃を受ける恐れがある。夜間作業だから特に気をつけてやれ」との命令である。
輸送船のブリッジと波止場側に照明灯が明か明かと点灯され、船のウインチがガラガラと音をたてて動き始めた。日本から遥々(はるばる)運んで来た兵器、弾薬、輜重車、馬具類、馬糧、食糧、雑品等多くの荷物を降ろす重労働が続いた。深夜の作業と空腹で、すっかり疲れ果てた時「今夜の作業はこれで中止する」との命令が届いた。それと同時に一人に二個ずつの握り飯が配られた。腹がペコペコなので有難かった。
いつものことだが手袋も無く、素手の作業だから手は汚れに汚れているが、夜のことでどれ程汚れているか分からない。しかし手を洗う水がどこにあるのか分からないし、照明がきく以外の所は暗くて危険である。それに疲れきっているので、汚れた手で握り飯を受け取りムシャムシャと食べた。
やっと一息つき、各自の装具を枕にし臨港倉庫のコンクリートの上に寝転んだ。広々とした大地に足を伸ばして寝るのは久し振りで気持ちが良い。二、三時間寝たのだろうか、夜明けと共に「起床」の声がかかり、再び船から積み荷を降ろす作業が始まった。馬も吊りあげられ、次々と波止場に降ろされた。長旅で疲れているのと、吊られることに慣れたせいか暴れなくなり、扱い易(やす)くなった。私の馬「金栗号」も無事着いた。遥々ビルマまで連れてこられた馬達も可哀相なものだ。すべての荷物を降ろし終え、全員下船したのはもう午後になってからだった。
今度は輜重車を組み立てて弾薬等すべての荷物を乗せた。波止場の倉庫に積んで置くのではなく、港から兵站宿舎まで運搬しなければならない。ここからはいよいよ本番だから、以前とは違い、しなければならない仕事が沢山あって時間もかかり、労力も大変なのである。
長い間、船底に繋がれ運動不足になっていた馬に、いきなり鞍を置いて、弾薬等の荷物を沢山乗せた輜重車を引かせるのは、厳しいことだが、仕方がない。
幸いラングーン港から宿営地まで八キロ程度であまり遠くはなく、平坦な舗装道路であった。その上に、雲の多い日で暑くもなく人馬ともに助かった。船から見えた大きなパゴダはシュエダゴンパゴダといって、ビルマで一番立派で有名なものであるが、その横をぐるりと半周し回って行った。
このパゴダは近くに来て見上げると実に大きく、周囲に小さなパゴダを沢山従えた素晴らしいもので、目を見張った。輓馬で輜重車を引いてそこを通り市内を進み、夜八時頃ラングーン駿河台宿舎に到着することができた。
馬を近くの林の中に繋ぎ飼(かい)を与え、決められた兵舎に入って携帯する装具を片付け終わった時は深夜になっていた。
ここで五日間過ごした。軍馬の手入れ、兵器の手入れ、備品等の員数点検と整備を行なった。長い旅の後、しなければならないことは沢山あった。馬には青草を刈ってきて与えてやらなければならない。林の中に沢山の馬があっちこっちの木の幹に繋がれていた。もちろん屋根もなく小屋もない。
それを見張る当番を交替でするのだが、三日目の夜は私が当番になった。日暮れ前に皆が来て馬糧と水、乾燥の草を与え馬体の手入れをしてくれたが、作業をすますと皆は帰り、その後は我が班では私一人である。
班の馬は十七頭、この夜は雲が多く真っ暗だった。頼りはローソクの灯(あか)りだけで、一頭一頭の顔をのぞいて見る。ゆらゆらするローソクの灯りのせいか、どの馬も元気がなさそうだ。私は休むところがないので、土の上に腰を降ろしていると居眠りがつきそうになる。でも充分見張りをしなければならないので、立ち上がり繋いだ綱が解けないように見直しをした。ローソクも沢山ないので必要のない時は消していた。暗い夜で林の中では、どちらが馬の頭か尻か見当がつかない。

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