◇移動は続く
◆モダン村お寺の境内
その後、十月上旬には移動が命じられ、再び汽車輸送でヘンサダへ行き、そこから河を渡ることとなった。大きい舟がないので馬を泳がせて幅三十メートルぐらいの河を渡ったが、馬も初めてのことで馴れない泳ぎは下手だが一生懸命に泳いだ。小舟に乗った兵隊が手綱を持って誘導し勇気づけてやり、やっと渡ることができた。また、蚊の大群に襲われ眠ることもどうすることもできず、一夜を明かしたことなど、苦しい旅を三、四日続けて後、田園の真っただ中のモダン村という平和な部落に着いた。
我々十二班はお寺の境内の一棟を借りた。他の棟には僧侶や中学生や小学生ぐらいの子供の坊さんが大勢住んでおり、朝夕のお勤めをしていた。我々も一層軍規を厳重に守るよう注意した。同じ境内なので井戸は共同使用で、水浴もお互いに時間をずらしてきまりよくした。広い境内の離れた林の中に馬を繋いだ。
大人の坊さんも青年の坊さんも子供の坊さんも、日本語をよく勉強している様子で「馬を叱らずに一草を与えよ」と標語を書いておくと、それを読むようになっていた。戦いに勝った国の威信は大したものだと思うと共に、僧侶が知識人の上位にあると言われているが、まさにそうだと実感した。
収穫時を迎えた広い平原の田んぼ一面に稲がたわわに実っていた。さすが米の国ビルマであると感じた。
その頃「敵の空挺(くうてい)部隊がグライダーの大編隊で、日本軍の守備の薄い地帯に一気に降りて来るから警戒を充分するように」とのお達しがされたが、この辺りでは全くそんな気配は感じられずのんびりしていた。

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