◇アラカンの虎
◆虎を捕る仕掛け
我々第一中隊は、昭和十八年十二月から十九年二月頃まで、南部アラカン山脈を横断し、クインガレーからグワへ向かって弾薬、食糧等を輸送する任務を帯びていた。
グワには兵兵団(つわものへいだん)の岡山歩兵聯隊第三大隊(畑大隊長)が警備に就いており、その部隊に補給をしていた。片道歩いて五日ぐらいの山また山の中の道、雑木が茂る細い道を、馬の背中に荷物を乗せて運んでいた。
その間、民家は無く、毎日野宿で山の中にごろ寝をしていたが幸い乾期であった。その頃、現地人から、このあたりに虎がいることを聞いてはいた。
しかし、我々は多勢でいるから心強いし、虎がおれば射ち殺せばよいと思い安易に考え高を括(くく)っていた。夜もみんな平気で無防備のまま露営しごろ寝をしていた。
そのうち、虎が出てくることが分かり虎を獲ろうということになった。虎が通る道と思えるあたりで真夜中に大火を燃やして待っていた。虎は火を嫌うということで、火を焚(た)きそれを十人ぐらいで囲み、みんな外側を向いて、虎が来るのを警戒しつつ虎を獲ろうと銃を持ち弾を込めて待っていた。でも暴発しては危険なので安全装置のみはセットしていた。
「虎の肉はうまいだろうか。皮はどうするか?」等と捕らぬ狸ならぬ、虎の毛皮の胸算用をした。
「虎は死して皮を残すというぐらい、貴重で高価なものと聞くが、どうするか?」等という話の最中に、誰かがたばこの火をつけようと火の方に向いてしゃがみ込み、背中を外側にした。
虎は人間の隙を狙っていたのだろう。瞬間、その兵隊めがけて闇の中から突進してきた。
すぐ隣にいた兵隊がとっさに銃を突き出し構えた。勢いよく駆けてきた虎は急に止まったかと思う間もなく反転して、もと来た方向に駆け出して逃げた。突風のような一瞬の出来事であった。
安全装置を解除し発射したが、もう虎はどこへ逃げたか分からない。闇夜に鉄砲とはこのことで、当たるはずもない。
このように、虎が近くに来ているのに人間は何人いても全く気づかないが、虎は夜行性でじっと人間の様子をうかがっているのだ。相対して構えれば来ないらしいが、隙を狙って襲いかかるものだと分かった。
◆虎による被害
ある日の夜中に馬の啼(な)き声がおかしい。馬は本能的に虎の気配を感知するのだ。馬当番の兵隊は、馬の様子から虎が近くに来たのではないかと感じて、当番兵二人のうちの一人が薪を燃やそうとしてしゃがんだ。その途端虎は後から隙のできた笹山一等兵の首に一撃をくらわした。気絶したか即死したか分からないが、虎は彼を口にくわえて逃げていった。
明くる日、私達十名ばかりが銃を持ちその後をたどり死体収容に行った。野原の草に血がポタリ、ポタリと滴り、虎は兵隊をくわえたまま二メートルもある崖を跳び上がり跳び降り、谷川を渡っていた。
ビルマの虎は大きく小牛でもくわえて逃げると聞いていたが、人間の一人やそこら軽々と、猫が鼠(ねずみ)をくわえたぐらいに走っていた。
虎は山を登り谷を跳び越え、密生した雑木の中を潜り抜けていた。昼間は人間も目が見えるし十人もの目があるからと思ったがそれでも不気味(ぶきみ)だった。大きい山を二つ越えて行くと途中に彼の着けていた卷脚半(まききゃはん)や被服の破れが灌木に引っ掛かっていた。雑草が踏み倒され通った後ははっきり分かった。竹薮(たけやぶ)を通り抜けその奥の茂みの中に無残に食いちぎられた笹山清一等兵の死体があった。彼は私の隣の班で精勤に働いていたのをよく見かけていたのに。
肉が裂け、血が流れ出て余りにも悲惨で見ていられなかった。我々は泣きながら彼の遺体を携帯テントに包み持ち帰り火葬にした。
数日後、こんどは現地人が虎に殺された。その死体を直径四十センチもある大きな木の根元に置き、八メートルばかり上の枝の分かれた所に櫓(やぐら)を組み、明るい内に四人が登り夜になり虎が食残しの死体を食いに来たところを、上から射とうと段取りをして満(まん)を持(じ)していた。
四人はそれぞれ小銃を持ち弾を込め、暴発を防ぐため安全装置をし、いつでも撃てるように準備していた。夜十一時を過ぎ十二時になっても虎は来ない。月も落ち夜が更けて、みんなうとうとし始めた。
その時、虎は一気に大木に飛びつき駆け登り櫓に足を掛け、松本節夫一等兵の太腿(ふともも)に爪をたてた。彼は引き落とされないように木の幹にしがみついた。久山上等兵がとっさに銃を構えたが、慌てているので安全装置が解けない。虎の大きな頭、ギョロリと光る大きな二つの目玉をすぐ目の前にして、動転しながらも銃口で虎の頭を叩いた。虎は構えられたのでスルリと一瞬大木の幹を飛び降り音も無く走り去った。やっと安全装置を解いて撃ったが、むなしいわざである。
虎は食べ残しの死骸を食べるより、生きている人間を襲ってきたのだ。それにその高さまで跳び上がることができるのには驚くばかりである。結局一人の負傷者を出してしまった。松本一等兵はその傷が深く、黴菌(ばいきん)が入ったのかガーゼが太股を通り抜けるようになり、後方の病院に送られたが、その後彼のことは分からない。

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