◆虎の恐怖
そんなある日、竹で造ったあばら屋で、屋根は椰子(やし)の葉を並べただけの宿舎へ、夜中に屋根から虎が飛び込んで来た。床は竹を割って並べたものだから、ふわふわで太い虎の足を挟み、蚊帳(かや)が虎と人間に巻きつくという騒ぎが起きたが、幸いにして怪我人もでず、虎もびっくりしただろうが逃げていった。
それからは、虎が出そうだとか出たとなると、皆で「ワッショイ、ワッショイ」と大きな声で叫び毛布をバタバタ振り上げて、大きく見せることにした。なお、それ以後は不寝番も外に出ないで、あばら屋ながら家の中におるようにした。
私も時に不寝番をしたが、鹿に似た動物のノロの啼く声をよく聞いた。誰かが虎に追われて啼いているのだと言っていたが、虎が近くに来ているかと思うと、気持ちが悪かった。また、静かな夜中に、小動物が動くのか落葉がカサコソと音を立てると、虎が足音を忍ばせて来ているのではないかと、不気味な感じになったものだ。
ある日の朝「昨夜は馬の様子がおかしかった」と誰かが言った。草原や普通の土の上では虎の足跡は殆ど残らないのに、炊事場近くの土間が洗い水で濡れ軟らかくなっていた所を歩いたのであろう、足跡が窪(くぼ)んでついていたが、足跡全体がはっきりとよく見える程ではなかった。虎はその後すぐに炊事場の大鍋の中を歩いたのだろう、奇麗に洗ってある鉄鍋の中に一個だけ土に汚れた足跡が鮮明に残っていた。大きな足跡で直径二十センチもあった。猫の足跡と体の大きさから比較すると、この足跡だと大変大きな体をした虎であることが想像できた。子牛でもくわえて逃げると言われているが、そのとおりだと思った。
飛行機による爆撃銃撃も恐ろしいが、音がするので分かるし逃げる間がある。けれど虎は音もなく、闇の中から直接人間めがけて襲って来るから恐ろしい。虎は一夜に千里(四千キロ)を走ると昔から過大に言われているが、疾風のごとき早業で、全く夜の魔物である。
他にも虎の被害を幾つも直接見たり聞いたりした。当初虎を捕ろうと意気込んでいろいろ仕掛けをしたが、私の中隊では結局虎を獲(と)った武勇伝は聞くことがなく悲しい被害を被っただけであった。大分後になって他の部隊で、自動車のヘッドライトに幻惑され、虎が轢(ひ)かれたことがあったと聞いた程度である。それ程虎を獲(と)ることはむずかしく、被害ばかりが出て本当に恐ろしかった。

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