◇マラリヤの始まり
◆谷田君の場合
虎に悩まされている頃、私と一緒に二月十五日に召集で入隊し、同じように金井塚隊に転属してきた谷田一等兵が、マラリヤに侵され毎日高熱で次第に弱っていると聞いた。
我々が今まで一般に聞いていたマラリヤは、二日熱とか三日熱とかで、高熱が出ても出たり引いたりし三日、四日苦しむが、薬を飲み治療し休んでいると、その内大抵治る種類で、死ぬことはないと思っていた。
しかし、ビルマには悪性のマラリヤがあり、元気な人も急に悪寒(おかん)に襲われ、一気に四十度を越す高熱が出てそれが連続して下がらない。何も食べられず水ばかりが飲みたい。薬は今更飲んでも効かないし下痢も始まる。一週間ばかりすると高い熱のため脳症を起こし意識が無くなる。後は三、四日生きているだけで終わりとなる。極めて恐ろしい種類のマラリヤがはびこっているのだ。
私はその時悪性マラリヤのことは知らなかったが、谷田君の熱は悪性マラリヤだったのだ。彼は松江の出身で二十七歳、早大を出てこれまで大手の商社マンとして東京にいたとのことでインテリであった。入隊直後の寒い日の訓練中に彼がポケットに手を入れていたということで、殴られるは蹴(け)られるはで大変絞られたことがあり、あまり軍隊が厳しいので驚き、気の毒に思ったことがあった。
隣の班だが、その時から彼をよく覚えており親しくしていた。そんなことで、私には「これが結婚して五ヵ月目の新妻の写真だ。これが二人で撮った最近のものだ」と言って懐かしみながら見せてくれていた。人生において最も楽しい時でもあり、前途に大きな希望を持っていたことが伺われた。「早く内地に帰りたいなあ、そして会社でウンと働きたいなあ」とよく語っていた。
彼は知識人であり軍事訓練等もよくできるのだが、生意気で真面目でないように古年兵に睨(にら)まれたのか、班内でも気の毒だなあーと感じることがあった。いわば軍隊向きではなく、むしろ文化人で常識家であったのだろう。
その彼が今悪い病に苦しめられているのだ。早速見舞に行くと彼は弱い声で「小田よ、病気だけにはなるなよ。病気したら辛いよ。俺のはマラリヤらしいが、お前も蚊には気をつけなければいかんぞ」と言って注意してくれた。「有難う」と答えたが、私にはマラリヤがどんなものか、悪性マラリヤがどれ程厳しいものかまだピンとこなかった。「元気を出すんだぞ、頑張れよ」と手を握った。高い熱のため熱い掌であった。
三、四人の患者が、ここから後送されることになった。鉄の車輪で出来た輜重車に乗せられ、悪い凸凹のガタガタ道を揺られて行くのである。落ちないように縁に板囲いをしてあるが、鉄の車輪だから直接こたえる。病人を乗せるような車ではない。
しかし山の中で乗り物はこれしかない。輜重車よりは歩いた方がましかもしれない。毛布にくるまって行く谷田一等兵に、無理に大きな声で「後方の野戦病院に着けば薬もあり、看護もよくしてくれるからきっと治るよ。頑張ってこいよ」と激励した。しかし本心、そんな行き届いた野戦病院があるだろうかと不安な気持ちで見送った。
谷田君の身の回りの品物は、少ししかなく、奉公袋(ほうこうぶくろ)と書いた青い袋が目についた。御国のために奉公するとの意味で名づけられたこの袋、国のために働きたいと思っているのに病気になり残念に思っているだろう。この袋の中にあの楽しそうに撮った新妻の写真も入れているのだろうか。いや、もっと体に近い肌の温もりが伝わるポケットに抱いているのだろう。ガタリと音を立て車は動きだした。心より全快を祈った。しかし、願い空しく二週間の後に、小さな骨壷に入れられて彼は中隊に帰って来た。
冷たくなった固体が谷田君だ。発病以来二週間、何を考えどんなに苦しんだことだろうか。戦争に勝って凱旋(がいせん)し、打ち振る日章旗に迎えられたい、楽しい家庭を築きたい、もう一度内地の土を踏みたい。それが叶えられないのならば、せめて華々しく戦って、散りたいと思ったことだろうに。次第に悪化する病魔に抗することもできず涙も出ない苦しい気持ちで逝ったことだろう。
ちょうど一年前の二月に入隊した当時の姿が二重写しとなり哀れをさそった。この遺骨は内地に送還されたが、戦況悪化の折、無事遺族の元に届いたか否か私には分からない。
このクインガレーからグワに向けての困難な駄馬による輸送業務、虎との戦いも終わるのだが、その間に数人の犠牲者を出した。
馬も内地とは異なる気候で馬糧も乏しく重労働。鼻カタルになって鼻から鼻汁を引っきりなしに出し弱っていく病気になったり、せ・ん・つ・う・(激しい腹痛)で、立っている力もなくなり倒れ苦しんだり、いろいろな熱帯の病気で数頭死んだ。
馬は本当に利口な動物で人間の愛情によく馴(な)れ、一緒に生活してきたのに可哀相でならない。戦争がなければ住み慣れた田舎で平和な日々を送っていただろうに。
我々兵隊は、馬のために随分苦労もさせられた。しかし切っても切れない間柄となっている。馬が悶(もだ)え死んで行くのを見ると哀れでならない。馬はどんな気持で息を引き取っておるのだろうか、馬は馬なりに死が分かるのだろうか、可哀相で痛ましい。

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