◆シュエーダン お寺の屋敷に駐屯(ちゅうとん)
我が中隊はこのプロームの町並みを通り抜け南へ二時間ぐらい歩いた。このあたりはもう長い乾期のため、草は枯れて茶色になり、落葉樹の木からは葉が落ちてしまっていた。内地の秋を思わせる光景の所を過ぎ、大木の茂る森に到着した。
そこには大きなお寺の屋敷があり、それに続き広い森林があった。このお寺の大きな講堂に泊まることとなり、ようやく落ち着いた。
このあたりには、何百年も経った小さなパゴダや、古い壊れかけの仏像が沢山あり歴史のある地方であることが偲(しの)ばれるが、戦争中の仮の宿ゆえ情緒を楽しむ間はない。ここでも馬がいないのですることが無く、体操をしたり班ごとに相撲をしたりして体力と健康の維持に努めた。
中隊全員の約三分の二程度二百五十人ぐらいがここに集結していたが、ある日、全員で会食をした。会食と言っても何もない、各自飯盒(はんごう)を持ち寄り一堂に会して飯を食べ、顔合わせをしたというだけのことであった。しかし、川添曹長が、これまでの苦労をねぎらい、「今後何が起きるか分からないが心身の鍛錬をしておけ」との挨拶をされた。軍隊としては珍しく、和やかな雰囲気をかもしだそうとしたようであった。予定通りの進め方だったのか、下士官の誰かが詩吟をした。続いて田舎歌手の山下一等兵が流行歌を上手に歌った。次第に場が和(なご)み拍手もあった。
次に誰も現われてこない。これだけでは少し寂しいなあ、どんな進行をするのだろうか?と思っていたら、中隊本部の中村伍長の大きな声がして、「第二小隊の小田上等兵やれ」と声がかかった。一瞬ドキリとし、困ったことになったと思った。「いないのか、早く出てこい」と再度声が飛んできた。
もう仕方がない、立ち上がり「ハイ」と答えた。何を歌おうかと思案したが、この場は軍歌ではなく流行歌で軟らかく歌うのがよいと思った。よし映画「愛染(あいぜん)かつら」の主題歌「旅の夜風」を歌おうと決心した。
「花も〜嵐も〜踏み〜越えて〜〜行くが〜男の〜生きる道〜」と大きな声で一生懸命に歌った。
拍手があったかどうか覚えていないが、とにかく責任を果たしてホッとした。
中村伍長は、川添曹長の下で庶務や人事係の仕事を直接やっており、つい最近上等兵の選考をしたらしいから、その時私の経歴や教育期間中の成績、また中隊本部通信班に所属した最近二、三ヵ月の評判等をよく承知していて、少しでも皆にアピールしてやろうとのとっさの気持ちから、指名してくれたのだろう。後から考えると涙が出るほど嬉しく有難かった。余程のことがない限り末端の兵隊にこのようなチャンスが与えられることはないはずなのに・・・・
そのうち、空襲の回数が次第に増え、ある日焼夷弾(しょういだん)により、近くで山火事が起きたので火消しに行った。川添曹長について行ったのだが、長靴を履いているから足が重いはずなのに早く走る。さすがに現役の曹長、気合いが入った人だと驚き感心した。
このお寺の敷地内には、他の部隊も来ており、見知らぬ兵隊とすれ違うことがあった。最近内地から来たのだろうか、彼ら二等兵が私に対して先に敬礼するではないか。照れくさかったが受礼した。初めての出来事だった。そうだ自分はつい最近上等兵になり三っ星をつけているからだ。軍隊に入ってからこのかた、敬礼はいつもこちらが先にするものだと思い込んでいたので、面食らった格好だ。『星の数』とはよく言ったものだ、ここは星の数がすべてを決める社会なのだと実感した。
しかし、同じ中隊の中では顔はよく知っているし、同期のものが少しぐらい早く上等兵になったとて、誰も敬礼などしてはくれない。野戦ではそんなことを言っていられない。我々の部隊に新兵が約一年遅れて補充されて来たが、ほんの小人数なので、我々はいつまでたっても最下位にランクされた兵隊だった。年が経ち、星の数が増え上等兵になろうと兵長になろうと下が来ないので立場は変わらなかった。
プロームの町を目指して敵機がまたも夜八時頃爆音をとどろかしやって来た。真っ暗だから何機いるのか分からない。爆音の響きから四、五機は来ているのだろう。急にパアッ、パアッ、パアッ、と照明弾を次から次にと落とす。十個ぐらいもあり落下傘(らっかさん)に吊るされているので、ふわり、ふわり、ゆっくり落ちて来て地上を明るく照らす。その明るさは六キロ離れたここでさえ影が映る程だから、真下は非常に明るく照らされていることだろう。不謹慎(ふきんしん)なことだが一瞬、美しい眺め、珍しい光景であるとさえ感じさせられた。
ここプロームは、日本軍の兵站基地で、弾薬、食料、衣類等が集結されているので、敵は執念深く攻撃してきているのだろう。
地上を照らし、建造物を確認しておいてから焼夷弾や爆弾を投下するのだから仕方がない。下からは敵機の姿は逆光で全く見えず、それに対空火砲も無いのだから敵の思うままである。やがて「どんー」 「どんー」と爆弾の破裂音が地響きをたてて聞こえ、夜空に火の手が上がるのがよく見えた。あの辺に友軍がおり痛めつけられ、大きな倉庫が燃えているのかと思うと、身震いが止まらなかった。

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