◇タンガップ地区の警備
◆ヤンコ川沿いと山中の生活
その次の日からいろいろの作業が始まった。
当分ここに宿営することに決まり、家を建てることになった。竹を切って柱にし、梁(はり)を組み、屋根と床の骨を造り、割った竹で床を張るのだ。屋根は椰子の葉を一枚づつにしたテッケというものを並べるだけ、横の壁に相当する所は、竹を薄く編んだアンペラを取り付けるだけである。主な柱も屋根の椰子の葉もすべて、竹を割ってへぎにしたものを紐(ひも)代わりにして縛(しば)り、固定するのである。竹細工の家である。一個班の入れる宿舎の小屋を建てるのに、一日あれば出来上がる粗末なものである。
もう何回もこのような家を建ててきたので作業も慣れてきた。結構これで住めるのだ。以前に虎が屋根から飛び込んで来たことはあるが、そう簡単に壊れないし壊れたら直すのも簡単である。乾期には、屋根のニッパ椰子の葉が萎(しぼ)み、その間から空が見えていても雨期になり雨が降るとその湿りで葉が広がり案外漏らないのである。その国その地方で気候風土に適した住み方があるものだ。
現地人はダァーという刀か斧(おの)のような道具を一本持っているがこれさえあればすべての大工仕事が出来るのである。我々もダァーの使い方を覚え、器用な兵隊は上手に使うようになった。
設営に当たり、何人かはこうして住居をこしらえる作業をする。また、何人かはタンガップの町外れにある野戦倉庫に行って、食料や嗜好品(しこうひん)を受け取り、幾らかの衣類等も受け取ってくる。また、当分転進がないと見越して、共同炊事をすることになり、大きい鍋を使うため、それ用のかまどを石と土で固めて作るなど、分担して各種作業に精出した。
また野菜や、鶏、家鴨(あひる)等現地人から購入できるものは、そのような収集班を決めて食料の確保をはかった。
次の日は暇を見て川へ水浴に行き、十日間の垢(あか)を落とし洗濯もし、さわやかな気分になった。
その時、急に爆音がしたので、川にはみ出していた大きい木の陰にいち早く隠れた。裸のままだ。双発双胴(そうはつそうどう)の飛行機が二機超低空で飛んで来た。ロッキードだと誰れかが教えてくれた。薄黒い色をしていた。
敵は我々の中隊がここに来ているのを察知したのか、それとも飛行中に今見つけたのかも知れないが、我々宿営地の上空を旋回し二回目には、機関砲をパリパリと射ち込んできた。三回、四回と旋回しては撃ってきた。ピューン ピューン という不気味な音、早くも昨日造ったばかりの宿舎が撃ち抜かれた。私は裸のまま木の下に隠れ身を震わせていた。まだ、ここに到着したばかりで防空壕も掘っていなかったので避難する所もなかった。こちらが一発や二発を撃っても仕方がない。お礼返しが百倍も千倍もくるだけである。だが、どうしたことか攻撃は四回で終わり飛行機は去っていった。やれやれだ。
しかし、兵隊の一人が大腿(だいたい)部を撃ち抜かれて重傷、二人が軽傷を受けた。重傷の人には応急手当をして、直ぐにタンガップの野戦病院に連れて行った。タンガップ地区に来たとたんに、重傷者を出し、敵に小屋を見つけられてしまい、いよいよ最前線へ来たとの感を深くした。その翌日はもっと山奥で大木がありよく遮蔽した場所への移転の作業が早くも始められた。

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