◇悪性マラリヤで死の淵(ふち)に
◆発熱
雨期もすっかり終わり晴天で平穏な数日が続いた。そんなある日、私達四、五人は、タンガップにある野戦の食糧倉庫に、糧秣受領に行った。待っている間に私は急に寒気がしてきた。その悪寒は急激に増し、ガタ、ガタ、ガタと音を立てて歯が震えてくる。幾ら日のよく当たる場所に行ってみても寒いばかりである。
ああ、マラリヤだと感じた。しかし、ラングーンでかかった三日熱ぐらいではなかろうか、そうであって欲しいと思った。そうならば二、三日もすれば熱は引くだろうと思った。しかし、糧秣(りょうまつ)を受け取り帰る間に悪寒(おかん)は急激に増し、次に発熱を感じてきた。中隊に帰るとすぐに医務室に行き診断を受けた。マラリヤだということで医務室に続く病室に入った。ここも粗末な竹の小屋であった。
夕飯はほんの一口食べただけで何も欲しくなく、水やお茶が飲みたいばかりであった。夜になっても熱は一向に下がらない。体温計は四十・五度を指していた。熱のため体からは汗一つ出ず、気持ちが悪い。
夜も更(ふ)けてきたが熱は下がらない。うつらうつらと眠るような眠らないような一夜が明けた。
朝飯は一匙(さじ)おかゆを口に入れてみたが全く味がなく喉を越さない。スッパイ梅干を一個だけやっと口に入れた。食後に苦い液体のキニーネを飲んだ。今飲んでも効くはずがないし、食べていないのに飲むとかえって胃によくないが、せめてもの慰めだ。体温を計ったが四十度のままで変わらない。熱で頭がズキンズキンと痛む。
少しの汗も出ず、つるつるとした肌触りである。毛布を被ってみても気持ちが悪い。熱のために毛布の端がピリピリと震えている。毛布を脱いでみても気分は良くならない。
隣に寝ている戦友が「小田どうか」と尋ねてくれるが、「うん」と答えるだけである。喉が乾く、水筒のお茶をゴクリ ゴクリと飲んだ。なんと美味しいことか。このお茶がたまらなく美味しい、一口では足りなくまた一口また一口と飲む。
「水やお茶をあまり飲むと胃を弱くするからいけない」と軍医から言われているが、欲しくてたまらない。キニーネで胃を傷めているのに、水を飲むと更に胃を傷め下痢となるのだが。
胃に障害が起こり、アメーバー赤痢にでもなれば、余計に衰弱することは明らかである。しかし、今の私にはお茶にまさるものはないのである。こんな時にリンゴとかミカンがあれば食べられるのではないかと思ってみるが、この山あいには果物等何も無い。バナナさえ買うこともできない程の山の中である。また野生の果物がそうそう在るはずもない。実際には果物があっても、この高熱では受けつけないだろうし、いろいろと思ってみるだけである。
ままよと思い、配給になった日本のたばこを口にしてみたが、気持ちが悪いだけで受けつけられるものではない。やがて、石川軍医の診察が始まった。期待して診察を受けたが、「これはマラリヤだ」と言っただけだった。衛生兵がビタカン一本を注射し、キニーネを五粒ずつ飲むようにと言って袋をくれた。午後もその夜も高熱が続き体が次第に弱ってくる。
眠ったり目が覚めたり、うつらうつらしている間にその夜も明けた。だんだんと心細くなってくる。食べる物は何も食べられずその日もお茶を飲むだけである。隣に寝ている戦友が「心配するな、三、四日すればよくなるよ、大丈夫だ」と言って励ましてくれた。
それを聞くと、自分のことはひいき目に考えられ、この熱はきっと下がり自分だけはきっと治ると思った。
小便のために、建物外の便所まで行くのが苦痛になり、ふらふらする体を柱や庭の立ち木につかまりながら、支えて行くのがやっとであった。くらくらと目が眩(くら)む、ああ情けない。小便の色は濃い茶色で、恐ろしい程の濃いさだ。
血が溶けて出ているのではなかろうか。気持ちが悪く長く見ている気もしない。自分の床までやっと帰り身を投げ出すように転ぶ。このようにしてその日も暮れた。石油ランプの明かりも無く暗い静かな夜が更ける。
少しでも寝ようと思っても熱にうなされ眠れない。心臓の鼓動がドキドキと早く脈を打つ。なんでこんなに早く脈を打つのだろうか、果たして治るだろうか?
◆高熱が続く
先日久保田上等兵がかかっていた状態と同じではないか。そして多くの兵士が命を落とした悪性マラリヤではないか。一度発熱したら最後、余程の良い薬があるか、余程の幸運に巡り合わないと高熱はいつまでも続き、一週間もすると下痢を伴い脳症(のうしょう)を起こし意識不明となり、更に三、四日すると死んでしまうと言われている。
私も、まさに同じ症状の三日目である。あの暗い野戦病院行きとなるのだろうか。野戦病院に行けばそこで四、五日すれば脳症を起こし意識不明となる。あと二〜三日であの世行きになるのかと思うと、暗然とした気持ちに襲われ不吉なことだけが頭の中を駆けめぐる。夜明けになりやっと浅い眠りに入ることができた。
朝になり、飯盒に少しの粥(かゆ)を入れてくれた。幾ら塩を入れても苦い、一匙(さじ)二匙口に入れてみたが食べる気がしない。粉味噌で作った汁も苦いだけで飲めないので力なく向こうに押しやった。隣の戦友に後片づけを頼んだ。飲めるのは水筒の水のみである。水がおいしい。でも、昨日辺りから下痢が始まりだんだん回数が多くなってくる。水を飲んではいけないのにガブガブ飲みたい。胃の中はどうなっているのだろうか。素通りして下痢となって排泄(はいせつ)しているだけである。

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