飯盒と水筒に水を汲み沸騰(ふっとう)させて飲んだ。干涸(ひから)びた体に白湯(さゆ)の水分が入った。マラリヤに罹(かか)っているのに不思議に、この時は汗が出てきた。汗が出たのが体によかった。そのあと、お粥をほんの僅かだが口にすることができ、携行していた乾パンを少しだがお湯に漬けて食べることもできた。案外あのビタカン注射が効いたのかも知れない、どうあれ有難く嬉しいことだ。乾パンの中に、赤、白、青のコンペイトウが入っていた。子供の頃お祭りで、コンペイトウを買って食べたことが懐かしく思い出された。暑い午後を雑木の間で過ごし、夕方また出発となった。
この日の行軍で、我が班で二人の兵隊が日射病で倒れ落伍してしまった。普通なら涼しい所で静かにしておれば治るのだが、ここではついて歩いて行かなければならないのだ。名前は覚えていないが、私が発熱している状態より、彼らの方が元気であったようなのに、それに班長がだいぶ励ましていたのに、どうにもならなかったのだ。彼ら二人はその後どうなっただろうか?飢餓のため死んだのだろうか、それとも苦悶(くもん)しながら自決したのだろうか?
夜行軍は続けられた。ただついて歩くだけである。どちらへ、どう行っているのか分からないまま夜通し歩いた。
夜が明けると谷のような凹地に入った。日陰一つない照りつける太陽の下でやっと飯盒炊事をすることができた。幸いに空襲を受けないですんだ。私は食事の方は一口しか食べられない。やはり駄目かと心細くなった。
◆敵陣地を攻撃 戸部班長、藤川上等兵戦死
今ここにいるのは、木庭(こば)少将が率いる木庭兵団を主体とし歩兵、野砲、輜重の一部などが一緒になり、約千人の集団のようである。よく分からないが、我らの退路は断たれており、敵は既に堅固な陣地を構えている。
袋(ふくろ)の鼠(ねずみ)としておいて、空から、あるいは地上機甲(きこう)部隊で、殲滅(せんめつ)を図っているようである。我々は何としてでも、退路を遮断している敵の陣地を突破しなければならないのである。
この敵陣を攻撃するため、私はマラリヤで弱り疲労していたが、小隊長から命令された。どんなに、ふらふらしていても従わなければならない。輜重隊から十名が選ばれ、その他の聯隊から来た者も含めて、総員約二十名が歩兵の田中中尉の指揮に入り敵陣地の攻撃に行くことになった。
敵は前方の森のお寺に陣を敷いている。我々は静かにこちらの林の間を縫って近づいて行った。林を抜けるとそこに川があった。先ず水筒に水を入れ元気を出して進むべく、二人が川に下りると敵が急に撃ってきた。パリ パリ パリと機関銃の猛射である。
ここは敵から見えないだろうと思っていたが、敵はよく監視していたのか、こちらがそこに出るや否や素早く弾を浴びせてきた。さきの二人は慌てて引き返し我々も皆窪(くぼ)みに体を隠し伏せた。
そしてジリジリと後に退き、水のことはあきらめて、大きく迂回(うかい)して攻めることにした。
灌木の間を抜けていくとそこに通信線が敷いてあった。それは敵の陣地と我々が今進んでいる道を挟んで、反対側の山の上の陣地を連絡してあるもののようであった。後で分かったが山の上には迫撃砲の陣地が構築されにらんでいたのだ。中尉はこの通信線を切断するよう命じ誰かが切断した。
敵陣地の方に少し進み分散、散開、着剣、弾込め、安全栓を開放して、一斉に攻撃を開始した。雑木が点々と生えており、我らの攻撃を適当に遮蔽(しゃへい)するのに役立つように思えた。私も走ったり伏せたり、小さい灌木の間に体を隠したり、また、敵陣地めがけて前進し、走ったり伏せたりしながら突進した。だが、敵の陣地がある森は分かるが、完全に模擬(もぎ)遮蔽(しゃへい)しているので、いよいよどこに敵の兵隊がいるのか分からないので照準を決めて撃つところまでにならない。
そうするうちに敵の機関銃が撃ってきた。これは自動小銃なのだが連続発射してくるので、我々は機関銃かと思ったのだ。日本軍は自動小銃を持っていないのでそんな兵器があることを知らなかったのだが。ドッ、ドッ、ドッ、パリ、パリ、パリ、ヒュー、ヒュー、ヒューと弾が飛んでくる。しかし、敵陣地攻撃を命じられているので、弾の間を縫うようにして進み攻撃していった。
私の左手を突進していた戸部班長が「やられた!」と叫び転んだ。
ちらりと見ると右腕から赤い血潮が流れ出ているようであった。「うむ」と苦しそうな声を出した。それを横目でちらっと見ただけで、私はなおも進んだ。
次の瞬間、これも私の左側を突進していた藤川上等兵が「あっ、きんだまをやられたッ」と大きな声で叫んだ。「天皇陛下万歳!」と言いながら灌木(かんぼく)の間に倒れ込んだ。彼は支那事変の経験もあり、中隊の中でも一番のモサでならしていた古年兵。荒れ馬もこの人の前に行けばおとなしくなる程の歴戦の勇士で、私の隣の班で初年兵からは恐れられていた人だ。
私は彼の側に行って介抱(かいほう)したり見届ける余裕もなく、敵弾の中でどうすることもできなかった。
灼熱の太陽がギラギラと照りつけていた。感傷にふける場合ではなく、攻撃前進あるのみだ。

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