◆悲喜こもごも、大変な一日
私は、やおら立ち上がり敵陣目がけてなおも突進した。十歩ばかり駆け出した時、危険を感じ右前方に滑り込むように伏せた。その瞬間敵弾が三〜四発飛んできて、私が走つていた姿に照準を合わせていたのだろう、伏せした私の三十センチ左の地面に土煙をあげた。間一髪、十分の一秒の差で助かった。
更に止(とど)めの射撃か、確認のためか、もう一度同じ地点に三発撃ち込んできた。慌ててはいけない、動くと見つかるので伏せしたままじっと七、八分間辛抱した。長い時間に感じた。その後は伏せたまま後へ後へと這(は)いながら退いていった。二百メートルばかり退いた所に大木があり、その木陰に体を横たえて休んだ。彼我(ひが)の弾丸の音も静かになったようだ。
ふと見ると、地面に大豆が生えて双葉になったように、柔らかい芽が生えている。この数日間、飯もお粥も殆ど食べられず、マラリヤで弱っているにもかかわらず、攻撃隊員となり激しく戦った後だけに疲れ果てており、喉が乾いてたまらないので潤(うるお)いを得たく、若芽の水分を吸収したい衝動に駆られた。この芽が毒かどうか分からないが、この大木から落ちた種が生えたもので、大豆の双葉に似ているから大丈夫だろうと判断した。もしこれが毒で腹痛でも起こせば、それまでのことと決心し、引き抜いて口に入れてみた。噛んでみたが別に悪くはなさそうだ。一本二本と抜いて食べた。美味しいというのではないがまずくもない。水分が喉を僅(わず)かに潤してくれ心地よかった。
マラリヤで熱があるのに、不思議にこの双葉は水分が多いので、噛(か)んでいるうちに喉を越し食べられた。次々と二十本ばかり食べた。
遠くで「集合」と叫ぶ声がありその方に行くと、指揮官の田中中尉は腕を負傷し三角布で縛(しば)り吊っていた。数人が負傷しており痛々しかった。また何人かが戦死しており、みんな元気なく悄然(しょうぜん)としていた。
戸部班長を誰かが抱えてそこまで来ていた。私の直接の班長であり、真面目なお人柄、それに私には特に目をかけて下さった方で、近寄って「元気をだしなさい」と励ました。うつろな目で私を見ていたが、返事はなかった。顔は青ざめ頭から頬を伝って赤い血が細く流れていた。手と腕の方もやられていたのか服を通して血がにじみ出ていた。そのうち、がっくりと頭を落とし、息を引き取られた。
今も、その時の蒼白な顔を思い出す。岡山県阿哲(あてつ)郡の出身だと聞いていた。国に忠誠を誓いながら旅立たれたのである。
藤川上等兵の最期を見届けた兵士によると、草叢(くさむら)に倒れ込んだ後「藤川しっかりせい」と声をかけたが「苦しい苦しい」と悶(もだ)えながら息を引き取られた由である。
この方達は日本の発展を願い、国家に対しての忠誠心を、しっかり持っておられ立派な最期をとげられたのだが、本当に頭が下がる思いがする。
みんな奮戦死闘の攻撃をしたが、攻撃隊は無残に破れ、敵の陣地は攻略できなかった。
真昼中に、敵が陣地を敷いている所を正面より攻撃することは難しいことである。敵の兵力がどれだけあるか知らないが、陣地をまともに正面攻撃したことは無謀であったと、後で思った。しかし、上からの命令はすぐに攻撃し突破せよだったのだろう。夜を待って夜間攻撃でもするのが賢明だったかも知れないが、後から気がつくだけのことである。結局主力部隊約千人は大きく迂回(うかい)して転進するより仕方なく、あれこれと退路の捜索(そうさく)をしていた。
その頃敵の偵察機が二機上空に現われた。そこは大きい遮蔽物のない所で、僅かに高さ二〜三メートルの竹薮(たけやぶ)が点々と団子状に生えているだけで、空から見れば、兵士の姿は丸見え、若干の馬と車もあり隠れるわけにいかない。敵機二機は小癪(こしゃく)にも超低空で旋回する。充分偵察して帰るつもりだろう。
敵機は一発も撃たなかった。友軍からも一発も撃たなかった。この頃は敵機を撃っても無駄であることをみんな知っていた。敵機はしばらくして去っていった。この偵察の結果が報告されると、敵の大火砲や爆撃機にやられると心配した。しかし、その日は空襲がなくて助かった。太陽は容赦なく照りつけ、みんな埃(ほこり)と汗に汚れ顔は泥のようであり汗がギラギラと光っていた。
私は、幸いに食べた豆の双葉のエキスが効いたのか、マラリヤの熱が少し下がったようで凌(しの)ぎ易く感じる。不思議なことだが、この双葉が解熱剤になったようである。汗が出ており何にもまして嬉しく有難いことだ。汗が出れば熱を発散させ次第によくなるだろう。しかし、ここ十日間ばかり体は過労とマラリヤで弱り、食事も殆どしていないので息絶え絶えである。一日も早く完全にマラリヤから治り、体力を回復し元気にならねばならない。
今回のマラリヤは、タンガップで半年前、悪性マラリヤをしていたので、幾らか免疫になっていたのか、あるいは、いくらか軽い種類のものであったのか、とにかく行軍行動や激戦中ながら助かった。これも幸運、紙一重で命が繋がったのだ。
また、私が身を伏せるのが十分の一秒遅かったなら、三発の弾丸が私の体を貫き、更に追い打ちの三発が止めを差していたであろう。敵は、走りながら前進していた私を狙い撃ったが、瞬間早く右手前方に伏せしたので、私の体が過ぎた後、僅(わず)か三十センチの所を撃ち砂煙をあげたのだ。