不思議でならないが、食べられるものか、毒を持ったものか何か分からないが、渇(かわ)きを癒(いや)すため決心して食べた豆の双葉がマラリヤの解熱効果に役立ったらしい。神様のお加護(かご)を二重にも三重にも頂いた運の強い日であった。
大変な一日も日暮れになり、煙を出さないようにして飯盒で炊事をした。マラリヤの熱が少し下がってきたのか、久しぶりにお粥が喉を越した。「嬉しい。粥が僅かでも腹に入れば元気になれるのだ」と希望が湧いてきた。
◆平田上等兵、萱谷(かやたに)上等兵落伍
夕方になり出発となった。平田上等兵が「もう駄目だ、ついて行けない」と言って立上がってこない。「そんなことではいかん、シッカリセイ」と浜田分隊長が叱った。彼はスゴスゴとやっと立ちあがった。もう、小銃も持っていなく帯剣も外していた。持ち物は飯盒と水筒だけで杖をつきながらトボトボと歩きはじめた。
西の空が夕焼けしている。子供の頃、「ゆうやけ こやけで ひがくれて やあまあの おてらの かねが なる ・・・・」と歌ったことを思いだすような美しい夕焼けだ。
しかし、今、この夕焼けはそんな牧歌的なものではない。今夜も夜通し歩く厳しい行軍が待っているだけである。敵に追われ、その目を潜りながらの、逃げる時の夕焼けである。その真っ赤な夕焼けの中を平田上等兵は力なく歩いていたが、遂に道端に崩れるように体を投げ出してしまった。
「コラ、しっかりせんかい」と分隊長が強く気合いを入れた。「許して下さい。放って、行って下さい」と答えた。見上げた目には、キラリと光るものがあった。涙した目、赤い夕日がその雫(しずく)を真っ赤に照らしていた。
私は、彼が姫路駅を出るとき列車の中で、父が持って来てくれたぼ・た・餅・だと言って、私にも分けてくれた時のことが思い出され、そのお父さんが彼の今の姿を見られたら、どんなに悲しまれることだろうかと胸が痛んだ。
だが、部隊は容赦(ようしゃ)なく前進をしていくのだ。我々も部隊の流れに押されて、夕闇の中を声もなく歩くのみだ。真っすぐ進んでいるかと思うと、くねくね曲がって野原の中や部落の間を行ったり来たりした。ザブザブと小川を渡り進んで行く。そのうちに、どちらに進んでいるのか分らなくなったが、イラワジ河のカマの渡河点を目標にして闇の中を歩いていることだけは確かであった。
こんどは、「萱谷上等兵が落伍してしまった」と言う。彼も連日の強行軍と先日の敵陣地攻撃で疲れ果て、ついて歩くことができなくなり、闇の中に残ってしまったのだ。闇夜の落伍はいつの間にか姿がなくなっている。行軍の流れに押されて、前の人に遅れまいと歩いて行ったり止まったりしているが、落伍した戦友を探すために引き返すことはできない。隊列を離れると、方向が分からず自分も行方不明になってしまうから仕方のないことだ。
萱谷君も召集を受け、新兵として入隊以来苦労してここまでよく頑張ってきたのに残念でならない。こうして原稿を書いている今も、彼のやや丸顔で、やや唇が厚い感じや、着ていた服が何故か緑色の濃い目の物だったことなどが鮮明に思い出されてならない。
こうして一人、二人、三人、四人と同じ小隊の人が減っていき、残念で悲しいことが続く。とり残す、とり残される、行く人、止まる人、誠に悲惨な光景である。
◆米の確保
携帯する米も無くなり、一日強行軍しても一合(百五十グラム)の米を炊き、三回に分けて食べ、塩をなめながら空腹と疲労を癒(いや)すのだが、段々乏しくなりそれすらできなくなってきた。
その頃は部隊という形ではなく、切れかかったうどんのようにばらばらと三々五々弱った者同士で歩いていた。我々も同じ班の者七、八人で転進していた。
こんな様子で二、三日歩いたところ十軒程の部落があった。みすぼらしい家並みだった。でも久ぶりに家のある所に来たのだ。ビルマ人は既に避難しており誰一人もいなかった。
すぐに食物を探しに家に入り、沢山の葉たばこと塩の瓶を見つけた。だが、米はない、米は現地人が素早く持ち出してしまったのであろう。探してもどこの家にもなかった。しかし、籾があった。沢山あったが、籾は米にしなければ食べられない。幸い一軒の家に足踏みの石臼(いしうす)があったので早速搗(つ)き始めた。
疲労しきった身体には苦痛だったが、皆で交替しながらやっと玄米にした。籾殻と玄米をさ・び・分・け・る・にはテクニックがいる。でも仲間には農家出の人もおり皆手伝って、三時間ばかりかけてやっと約一斗(十五キロ)の白米をこしらえた。骨が折れたが成功だった。みんなに分け、これで安心だ。
井戸から水を汲み米を磨(と)ぎ、飯盒を並べて薪(まき)に火をつけ一方では水筒に水を入れ沸かした。玉古先任上等兵が班長代理として皆をよくまとめ協力したので、ここまでできたのだ。疲れた体をいたわりながら炊き上がるのを待っていた。
◆またも空襲
その時急に爆音がしたかと思う間もなく敵機が超低空で飛んで来た。ここは幅八十メートルばかりのなだらかな見通しのよい谷間であったが、その上手(かみて)から谷に沿って来た。みんな一気に横っ飛びに走った。家のない側に大きい樹木が二、三本立っていたので、遮蔽するようにそこへ滑り込むや否や、その瞬間飛行機三機が家並みに沿い、谷の上手より疾風の如く急降下しパリ パリ パリと機関砲を撃ち込んできた。弾着がはっきり砂煙で分かった。

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