◇プローム街道を突破
◆感激の横断
行動を開始してから三、四日目、この日も夕方薄暗くなった頃から行軍を始めた。今夜はプローム街道を横切るのだから、敵に見つからないよう特に注意しなければならないとの命令が伝えられた。前の人に遅れないように一生懸命に歩いた。遅れると闇の中、方向が分からなくなってしまうのだ。
その頃は既に主要道路は敵英印軍の勢力下にあり、昼間はプローム街道を敵軍の戦車や車両が往来していた。その警戒線を見つからないように、敵の警戒の手薄な所を夜の闇に紛れて突破し、東のポウカン平野に逃げ込まなければならないのだ。
真夜中頃に、アスファルトで舗装した幅十二メートル程のプローム街道へ出た。なるべく音のしないように静かに素早く渡った。感激の一瞬であった。前の部隊も後の部隊も幸いに見つからないで無事突破することができた。
我が師団は当時敵を攻撃するのではなく、できるだけ犠牲をださないよう敵中を潜り抜け、ビルマ方面軍の主流がいる東南端のサルウイン地区へ転進するのが目的であった。横断後も歩き続けた。少しでも早く本街道より遠くへ離れるように、小休止もなしに懸命に歩いた。
水筒の水はとっくに無くなり、喉はカラカラでどうしようもない。やがて夜が明けた。そこは大きい木の無い草原で所々に背丈ぐらいの灌木があった。私は草の露で喉を潤そうと試みたが、宿った露はあまりにも薄かったのでうまく採(と)れなかった。朝の内は敵の飛行機も来ないだろうと予測して、遮蔽できる大きい木や林のある場所を見つけるため、日が高くなるまで歩き続けた。
結局適当な場所がなく、干からびた砂漠のような感じの所に大休止することになった。所々に背丈程の葉の少ない刺(とげ)の木状の物があり、その下に休む場所を求めた。太陽が昇るとこんな物は日陰の役を果たさずカンカラ干し同様だ。それに敵機からも見つかり易い場所である。
ここでも先ず水を探したが、乾いた大地のどこにも水はない。よくもこんな所に大休止したものだと腹立たしく思ったが仕方のないこと。それでも誰かが一キロ程先にある井戸を見つけてきた。有難い!こんな兵隊がいるから助かる。井戸は小さかったが、充分に間に合う。飯盒で米をとぎ、水を張り、水筒に水を一杯入れて帰ってきた。橋本上等兵が弱っているので彼の分と自分の分を用意した。米の手持ちも乏しいので粥にし、いざ食べようとすると彼は白湯(さゆ)は飲んだが、マラリヤの熱に冒され米粒は喉を通らず、一口も食べることができない。
「僕は食べられないから、小田お前食え。お前の米は先日、水に浸かって腐っているだろうから、俺のを食ってくれ」と言う。私の米は腐りかけていたが、米の腐ったのは当たらないと聞いていたので、臭(くさ)いにおいがしてうまくなかったが、自分の飯盒から少しの粥を流し込むようにして食べた。
「橋本お前、食わないと今晩の行軍について行けないぞ。なんでも腹に入れておけばよいんだ。お粥だから流し込めばよいんだ」と促した。彼は「うん」と言っただけだ。しばらくして「バナナでもあれば食えるかもしれないが」と言った。バナナを欲しがる彼の気持ちがいじらしいが、この荒野のどこにも食べられそうな物はない。
たとえ高熱で粥が喉を越さなくても、本当に梨やリンゴやバナナもあり、設備の整った病院があり、特効薬の注射でもあるならば、悪性マラリヤでも治ることがあるかも知れない。しかし、敗走の道を毎日たどっているこの状況では本人が頑張るより他に方法がないのだ。患者に与えるマラリヤの良い薬はどこにも無い。衛生兵の手持ちも既に無く、先日の大雨で衛生兵は包帯嚢(ほうたいのう)を失っており処置無しの状況である。お互いに在るのは一握りの腐りかけの米と一匙(さじ)の岩塩のみである。
◆橋本上等兵との別れ
夕方になり、曇り空の間に夕日が残る頃出発した。橋本君も皆と一緒に歩き始めた。日が暮れて段々暗くなってきた。特に暗い夜で前の人について行かないと道がどうなっているのか分からない。広い広い草原で立ち木はなく、道といっても人が通ったので道になっているというもので、くねくねと曲がっている。路面は見えず、闇の中に前の人の姿をようやく写しだすようにして歩く有様だ。私は夜、目が他の人よりやや弱く苦労した。いつも一番前を行く人はどんな良い目をしているのだろうか?また、昼、偵察に行った人はこんな目印も無い野原の中の道を覚えておき、夜部隊を誘導するのだが、素晴らしい方向感覚を持っている人だと感心し、不思議に思うことがしばしばあった。
二時間ばかり歩いて小休止となった。私も崩(くず)れるように地面に腰を降ろす。転がるように横に寝てしまう兵士もいた。しばらくして出発となり、闇の中に立ち上がり歩き始めたが、間もなく「橋本がいないぞ」と誰かが言いだした。しかし、長い隊列は容赦なく暗闇の中を進んで行く。
私達の小隊もこの流れの一部となって最後尾辺りを行くだけで、誰も止まるわけにいかない。引き返し、先程休憩した所まで探しに行きたい気持ちはあるが、そうなると闇夜の中で方向を失い、自分も落伍者になってしまう恐れがあるので、どうにもならない。躊躇(ちゅうちょ)している頃、後方遠くで「ドーン」という手榴弾(てりゅうだん)の爆発音がした。橋本上等兵がやったのだろうか。誰も悲痛のあまりものも言わず黙ったままで闇の中を遅れまいとして歩いた。

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