◆浜田分隊長倒れる
ポウカン平野を幾日もかけて歩きペグー山系に差しかかる頃、浜田政夫分隊長がマラリヤに罹(かか)り竹の杖にすがりやっと歩いている。一歩踏み出し、私に「小田よ、儂、もうあかん」と言った。私は「いくら苦しくても、頑張って行こうよ」と答え励ました。しかし私も弱っており大きい声は出なかった。体力が衰えると声も出なくなる。この頃から、声が弱々しくなりヒイー
ヒイーというばかりである。かぼそい声しか出ない状態はこの頃から始まり、終戦後半年ぐらい続いたが、体力の回復と共に自然に治った。重病人が弱々しい声しか出せないが、それと同じである。浜田分隊長は続けて「悪性のマラリヤに罹り、飯が食えない。それに下痢をするんだ。高い熱が出て下らないんだ。儂も弱ったわい」と言った。気の毒に思うがどうにも助けてあげる方法がない。今まで、凛々(りり)しい顔立ちの彼、軍人らしい気合いの入った立派な人柄、そんな人が、よもやこんな姿になろうとは想像もできなかった。
「小田よ、マラリヤは苦しいのう。今までこんなに苦しいものとは思わなかった。儂も分隊長として、皆が病気したとき元気をだすようにと気合いを入れていたが、自分がなってみるとよく分かるのう。元気を出そうにも高熱で、ちっとも飯が食えないのだからのう」「水ばかり飲みたくて仕方がない」「どこかにマンゴーかパパイヤでもないだろうか。バナナなら食えるかも知れないが」と問いかけてくる。でも、どこの部落にも果物など残っていなかった。もしあっても、この高熱では喉を越さないだろう。
もう一度元気になりたいと願う彼、なんとしてもこの病気から抜け出さなければならないと祈る彼、しかし日に日に衰弱して行く現実と、迫り来る不吉な思いに悩まされたことであろう。
普通キリリとした服装で立派な下士官、模範的な態度のこの人が、もうそんな風情はなく、破れた靴を履き、小銃も帯剣も既になく、真っ黒に汚れた背負袋をだらりと肩に掛けているのみで、帯革(バンド)に自決用の手榴弾が泥だらけになりぶらさがっているだけである。
もう誰も、自分自身の体を運ぶのに精一杯で他人に手を貸すほどの余力も体力も持っていなかった。自力で治り自力で歩くしかなかったのである。
それから数日後、誰からともなく「浜田分隊長も自決されたのだ」と聞いた。私にとり直属上官の一人がまた亡くなられてしまった。寂しく悲しいことが次々と起きるが感傷に耽(ふけ)っている間はなかった。豪雨に打たれながら、遅れないようにと膝を没する深い泥濘(でいねい)の道を歩かなければならなかった。
ここで、編成当初からの第二小隊第四分隊の分隊長で、浜田分隊長の前任者であった藤野禎久軍曹のことについても記しておく。彼は細かいことに動じない豪快な性格と勇気を持った方であり、体格もよく力持ちであった。ビルマに到着後間もなく他の部署へ転属されたのでよく分からないが、シッタン河渡河前に敵飛行機の爆撃を受け、壮烈な戦死をされた、と風の便りに聞いた。
輜重車の車輪が六十キロぐらいあっただろうが、それをウエイトリフテングの選手のように頭上に差し上げ、ワッハ、ワッハと高笑いされていた豪快な姿が思いだされ懐かしくもあり、戦争の残酷さ、火薬の恐ろしさを痛感させられたのである。前途有為(ぜんとゆうい)なピカピカの青年がこのように帰らぬ人になってしまうとは、戦争とはいえ誠に残念なことである。
藤野分隊長にも父母兄弟があり、また思いを寄せる美しい人があったかも知れないのに、戦いはすべてを引き裂いてしまう。非情なものである。
---お二人の在りし日の颯爽としたお姿を思い浮かべて、ご冥福をお祈りする。遠い昔のことであるが、記憶は今ここに蘇(よみがえ)ってきて、まるで夢を見ているようである。ワープロを打つ手を休め、しばし夢を追う。
◆命を繋(つな)ぐために
米が手に入らない。だが籾のままならあった。ビルマでは籾のまま保存しておき、必要に応じて白米にする。その方が保存しやすく味も失われない。それにそれだけの精米機械が無いからでもあろう。この部落で籾を見つけたが臼がない。現地人が隠してしまったのか、いくら探しても無い。仕方がないので鉄帽に入れて、帯剣の頭で搗いて玄米にし、更に白米にしたのだが、一升(約一・五キロ)の白米を得ようとすれば半日仕事である。疲れ弱り果てた体には大変な労働であるが、食うためには省くことはできない。やっと搗き終わり正午頃飯盒炊事にかかった。
その時敵機の襲撃である。みんなできるだけ煙を出さないように心掛け遮蔽した場所にいるのに、敵はどこから監視しているのか分らないが、突如超低空で襲って来た。この時も三機が西の山を這(は)うように飛来したかと思う間もなく、パリ
パリ パリと激しく機銃掃射(きじゅうそうしゃ)をしてきた。田舎道に沿うて弾着が土煙をあげていく。息つく暇もなく三機が次から次にと撃ってくる。ヒュンーという機体が空気を切る音が聞こえる。家の細い柱の陰に隠れたり、床下に隠れたりするが弾丸はそんな物は容赦なく突き破る。