小型爆弾だろうかドーンという大きな音がする。民家はよく乾いており、すぐに燃え始める。襲撃が終わるのを待って、米と装具と飯盒を持って部落を出て行った。
同じ班の妻鹿(めが)殿夫上等兵はこの襲撃で持ち物を失い、装具を焼かれ困っていた。以後の転進や生命維持に大変支障をきたしたことと思うが、どうしただろうか。
昔から鍋・釜提げていくと言うが、生きていくには飯盒と水筒が一番大切な物だ。これを打ち抜かれたり持って逃げる余裕がなくなったりして、置き去りにしなければならない場合もある。それに米と靴が大切であるが、激しい攻撃に遭えば、どうすることもできない。これが戦場であり、負け戦の現実である。もうこの頃裸足(はだし)の人も少し出始めていた。
追われ追われながらも、米を少しでも手に入れておくこと、そして、何かを食うことである。暇さえあれば地べたに転がり、寝て体力の消耗を防ぎ、体力を貯えて置くことである。もう顔を洗う元気もなく、もちろん体も洗っておらず汚れたまま二ヵ月以上が過ぎている。体も服も汗と泥だらけで、みすぼらしい姿であり、乞食より汚く憐れで臭(くさ)いにおいを漂わせ、痩せたドブ鼠(ねずみ)といった有様である。皆んなが臭くて煤(すす)だらけの顔をしているのだからお互いにはかまわないが、まさに死にかけた乞食の憐れな行列であった。
◆牛を食うて
食うことについてこまめな小山上等兵が、あそこの部落に牛がいるから取りに行こうと言い出した。皆疲れきって、牛をとりに行く元気のある者はいない。べったりと地べたに座り込んで、鉄帽に籾を入れて帯剣の頭で搗いて白米にしたり、また別の人は先日取ってきたたばこの葉を紙に巻いて、吸うている者もいた。しかもみんな半病人で、動くこともおっくうである。しかし、小山上等兵はしきりに「おい行こう、牛を取りに行こう、取って食おうではないか、牛を食うたらまた元気がでるぞ、さあ行こう」と強く誘った。六人ばかりが腰を持ち上げ、私も仲間に入った。
目指す部落に着くと、柵(さく)の中に赤毛の小柄な牛が一頭ポッンと立っていた。現地人が逃げる時急いだので、そのまま置いていったものらしい。牛は我々が行ったので、これはただ事でないと感じたのか、柵の中を急ぎ逃げ回りだした。ゆつくり捕まえる余裕はない。どうせ殺すのだから、射殺することにし、早速三丁の銃で頭を狙った。この可愛らしい目をした牛が逃げだした。しかし、一瞬立ち止まったところを狙い撃った。何の罪もない牛、可哀相だと思ったが仕方がない。
パン パン パンと銃声が辺りに響いた。牛は倒れた。一瞬足をピク ピクと震わせたが、そのままで動かなくなった。今まで生きていた牛をみんなで殺してしまったのだ。
誰かが、ダァーで首の皮を切り開いて頚動脈(けいどうみゃく)から血がよく出るようにした。皆で牛の腹に上がり踏み付けると首から鮮血が流れ出た。生(なま)暖かく、どろりとしたものであった。これ以上部落内に長くいることは無用、敵がいつ来るか分からないし、現地人が反感を持ち逆襲してくるかも分からない。大急ぎで四本の足を切り離し、皆で担いで林の中に引き返した。後足を担いだがズッシリと重く、肉量を感じた。みんながかりで料理をして、ありたけの飯盒で煮た。その他は携行でき、保存がきくように焼肉にした。
当時、肉を沢山食べる機会がなかったので、しゃぶりつくように食べたが、マラリヤで熱を出している者は、他人が喜んで食べているのを見るだけで食べられない。それも憐れであった。
その夕方から肉を食べた者の半数が急に下痢を始めた。我々の胃腸は美味しいものを長い間食べておらず、いつもひもじい状態にあったので、急にカロリーの高いものを沢山食べると、こうした異常な現象を起こすことになるのだが、誰もそんなことは考えず空腹を満たしていた。体力をつけるために食べたのがいけなかった。私も沢山食べたためか腹が痛み下痢が始まった。米と塩またはガピーしか食べていない私の胃腸に肉は強すぎたのだろう。一日三回の下痢が始まった。
なかなか治らない。今まで以上に体が弱ってくる。あの時牛肉を食べなかったら、こんな下痢にならなくてすんだのに、と悔んでみても後の祭りだ。夜ごとの行軍は下痢の体には厳しく辛かった。
痔の手術をしている私は、括約筋(かつやくきん)が弱く下痢が漏れそうになり堪え切れなくなる。といって自分だけ立ち止まりお尻をはぐり用をたすと五、六百メートル遅れ、取りはぐれてしまうことになる。汚い話だが、少々漏らしながら歩くこともあった。下半身便に汚れて臭く気持ちが悪いこと、この上もない。

次の章に進む

TOPへ戻る