もうポウカン平野の真ん中より大分ぺグー山系に近い所に来ており、やがて山系にたどり着けそうである。北へ向かったり、南へ向かったり、時には西に向かって細い道をたどりながらも、総体的には東へ向かって転進している。千人もの部隊が細い道を行くのだから、前の方で、何が起きているか分からずに、進み方が早くなったり、遅くなったり、止まったり、駆け足になったりし、苦難な行軍である。とにかく前の人に遅れないように、前の人を見失わないように歩くだけである。
いよいよ、雨期に入ったようで、厚い雲に覆われた夜道は一層暗く足元も見えない。大粒の雨が降って来てだんだん激しくなる。携帯テントを頭から被り雨を凌(しの)ぐ。しかし、行軍は続く。テントを通して雨が体を濡らし下半身はいつもずぶ濡れで冷たい。南国といっても、こんな時は寒い。凸凹の激しい道を探るようにして一歩一歩と歩く。冷たい雨が頬を流れる。涙は流していないが歯を食い縛り頑張った。足に豆ができようが、傷つこうが、歩くこと以外に生きる道はないのだ。
一人取り残されればすべてはおしまいである。餓死するか、自決するか、現地人に見つかり殺されるか助けられるか、また、敵英印軍に見つかり殺されるか、助けられて捕虜(ほりょ)になるかのどれかである。いろいろの場面が予想されるが、まず殆どは死神に取りつかれるだろう。何にしても当時の軍人ならば、生きて捕虜の辱(はづか)しめを受けたくない、絶対に捕虜になってはいけないと教育をされてきていた。
捕虜には絶対ならない覚悟であっても、自決する時を失い意識不明の状態の時、敵に見つかれば仕方がない。弾に当たり取り残され、動けないまま昏睡状態の時、敵軍に見つかり、気が付いたら英印軍の病院のベッドの上で生きていた場合もあり、それぞれ特殊な事情のもとにあったことを容認しなければならない。
闇夜の行軍でも、豪雨の中でも、時に十分間ぐらいの小休止があるが、ザーザーと降りしきる雨の中では腰を降ろして休むわけには行かず、立ったままである。しかし疲労が激しい時には、地面が濡れていても、へたへたとしゃがみ込んでしまうのである。どうせ濡れており同じことである。しかし休むとお尻から濡れてきて寒くなる。尻や下腹部が濡れるのが一番こたえる。
私の下痢はだんだんと回数が増え、小休止の度に行かねばならないようになった。近くの草原に駆け込みピイピイやるのだ。ろくに食べていないのに出るのは、どうなっているのか、体内に貯えられた養分が引き出されるのだろう。そのうちに便が粘液性になり、絞るような便通に悩まされる。この絞るような便意はアメーバー赤痢の前兆だとか。栄養不足の体はだんだん痩せ衰え一層弱ってくる。
下痢止めの薬等、どこにも無く自力で直すより方法がない。下半身を暖めればよいのだろうが、雨に濡れ川を渡ることがしばしばで、いつも濡れていたのでは治りようがない。
以前からの耳鳴りがゴー ゴー ゴーと相変わらず続いている。耳の鼓膜もおかしい。人が話しかけてきても、声が鼓膜に跳ね返り、おかしい響きがする。自分で話す声が耳に響きガン
ガンして耳もおかしくなってしまった。どうすればよいのだ。
もう、この頃は負傷者を担架で運ぶことを止めた。運ぶ人が次々に死んだり落伍してしまい犠牲が大きいので止めたのだ。そうなると足をやられ歩けなければ自分で処置をしなければならなくなり、自決者が増加してきた。