◆歌に託す 林伍長
平素から優しく温和な人柄の林伍長は、聯隊本部付きで大阪外大の出身、本部でよく仕事ができる人だと漏れ聞いていた。その林伍長が草叢(くさむら)の中に転んでいた。色白童顔の面影は消え去り、昨日から激しい下痢で動くことが出来ない。しかもこの下痢はコレラであった。水を飲んではジャーッと下げ、嘔吐(おうと)もするのである。もう、誰も彼の近くに行こうとしない。「水が欲しい。水が欲しい」と言っている。しかし、その声にも力がなかった。
不治の病で伝染性の強い病気であること、余命一日ぐらいしかないことは彼もよく知っている。
体は弱っていても正確な頭と判断力は薄らいでおらず、決して治ることのないコレラに自分が侵されていると感じた時の彼の気持ちやいかに。数十時間しかない命と知り、悲嘆に暮れない人があるだろうか。荒野の果て薬品一つなく、灼熱の中で苦しんでいるのだ。幾ら冷静に心を保っても喉の渇きはどうすることもできず水筒の水を飲み干し「水が飲みたい。水をくれ」「誰か水を呉れないか」と言っている。水を飲んでは下げ、飲んでは下げして刻々痩せ、萎(しな)びてしまうのがコレラなのだ。
聯隊本部の山本上等兵が自分の水筒に水を汲んできて、竹竿(たけざお)の先に括(くく)りつけ林伍長に差し出した。彼はそれをゴクリと飲み「有難う、俺は助からない、死ぬ・・・・」「山本、わしはここで死ぬがお前が内地に帰ったら、故郷の父母にこの歌を伝えてくれ」と言った。『身はたとえ ビルマの果てに朽ちるとも とどめおかまし大和魂』という辞世の歌を。そして、「みんな、あっちへ行ってくれ」と言い、手榴弾を自分で叩き轟音(ごうおん)と共に散っていった。実に見上げた最期であった。
このことがあってから二、三日後、大西主計中尉もコレラに罹(かか)り自決された。主計は聯隊全部の女房役で財政全般を司る大役をされていた。不治の病気コレラと知り、自分のくるべき運命を悟り、部隊員が休憩している場所から少し離れた所まで這(は)うようにして行き、自分の拳銃でこめかみを撃ち抜いて逝かれた。昨日まで元気な人もコレラにかかれば、当時の戦場では薬も注射もなくもう助かるめどはない。愛国の気持ちに燃えながらも、多くの兵士がコレラやペストで死への道を選ばなければならないのである。私達はこの伝染力の凄(すさ)まじさに恐れおののいた。
◆戦車の攻撃
昨夜は夜間行軍をして昼間は細い道から入り込んだ灌木の間で大休止することになり、飯盒炊事をして飯を食べている最中、後の方向からドロ ドロ ドロという音がかすかに聞こえてきた。
「敵の戦車が攻撃してくる!」と誰かが絶叫した。すぐに兵器や装具を持ってその場を去らなくてはならない。瞬間ポン ポン ポンと戦車からこちらを目掛けて射撃してきた。みんなあわてて雑草や雑木の間に身を伏せた。戦車のキャタビラの音とエンジンの音が近づく中で、緊張し固くなり手を握りしめた。逃げ出せば余計に敵に見られやすいだけである。
とにかく、体を草叢(くさむら)の中に隠しているよりほかに方法がない。いよいよ近づけばその時のことで、見つかってしまえばそれまでだ。私達は戦車に対抗できる何物も持っておらず悲壮な覚悟を決めていたが、戦車は我々の方には目をやらず、どうしたことか通りやすい大きい道の方へ出て行ってしまった。
危機一髪、危うく戦車の攻撃を受けるところだった。山のような戦車を目の当たりにして、彼我戦力の相違を思い知らされた。昼はこのようにして、飛行機と戦車に攻撃され追われるので、できるだけ山の中や樹木の繁った所を選んで逃げ、遮蔽物の無い平坦地を行く時は夜行軍をせざるをえない状況であった。言うならば我が軍には、山の中の木の陰と闇夜だけが味方である。明るい昼と重火器と物量が敵の力であった。この頃、交通の主要点、幹線道路、鉄道、主な町、便利のよい平坦地は完全に敵軍の支配下となり、日本軍は山中に追い詰められ、ペグー山系を東へ横断しシッタン河を渡り、ビルマの東南マルタバン方面を目指して落ち延びて行くのみである。転進作戦と称していたが実際は退却であり、敵中横断一千キロの道程は容易なことではなかった。

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