◆ペグー山系を引き返す転進命令
手島中隊長から出発の命令が出された。引き返しとは、ペグー山系を東から西に逆に登って行くのだ。夕方からの出発予定を更に早め、ただちに出発となり銘々米を分けて運べるようにしたり、兵器や装具をまとめた。これからもと来た道を山系の真ん中辺りまで引き返し、そこから分かれ、山の中を迂回して他の地点に集結し以後、別ルートをシッタン平野に向けて出るそうだが、十日間もの行軍がまた始まるとのことである。全く、うんざりだ。ああ、またあのぬかるみの道の行軍か、裸足(はだし)の行軍が続くのかと思うと悲壮な気持ちになった。あの死の行軍が続くのかと思っただけでもたまらない。
しかし、今の地点から糧秣収集したシッタン平野に出て、ここを東に通り抜けるには敵の警備が厳重で敵弾にやられることは明々白々だとの上層部の見解と判断だから仕方のないことである。
出発準備ができた。その時、中村上等兵は動けず、歩いてついて行けない。今誰一人として、元気な者はおらず、担架に乗せて運ぶことなど到底考えられぬ。皆自分の体が運べなくて次々に死んでいる状況である。
手島中隊長は、師団そして聯隊長の命令により中隊を指揮していかねばならない。中隊長は「行軍について行けない者は仕方がない」「片岡軍曹はその旨を、中村上等兵に伝えよ」と命令した。片岡邦夫軍曹は中隊長の命令であり、中隊としてもそうしなければならないのだとは分かっていたが、悪い役を仰せつかったものである。
躊躇(ちゅうちょ)する暇はない。中村上等兵が横たわっている所に行って静かに言った。「中隊は再び、山の中に逆戻りし、行軍することになった。これから出発するが、どうするか?」「ついて行けるか?」
しばらく黙っていた中村上等兵は、「ついて行けません」と答え、またしばらく沈黙が続いた。「自分はもう動けない、どうすればよいか教えて下さい」と言った。彼の体は重傷を負い、自分の装具や兵器、自決用の手榴弾を置いている場所まで、取りに行くことさえもできないのだ。
「自分は、決して恨みません。殺して下さい」「その小銃で」と苦しい呼吸の間でやっとこれだけ言った。息詰まる沈黙の時間が続いた。
軍曹は、この小銃で撃ってしまおうか、本人の願いでもあり、中隊長の命令でもありと思ったが、しかし、共に戦ってきた戦友を自分の手で殺すことはできない。いくら助からない命でも、そんなことはできない。できるはずがない。だが、出発の時間を遅らせることはできない。それに敵がいつまた攻撃してくるか分からない。
早くしないと中隊長に叱られる。考えることはない。断あるのみで軍曹は小銃に弾を込めた。しかし、彼の生命を断つことは忍びなかった。
幾ら戦いに明け暮れたために荒(すさ)んだ気持ちになっていても、また、多くの死体を見ていささか人間の温かい感情が麻痺していても、自分の友を手にかけることはできない。
「これに弾を込めたから、自分の足で引き金を引け」といって銃を渡した。中村上等兵は、死ぬ覚悟を十分していたのだろう、もう静かに考える程の余裕も感情も無かったのだろうか。与えられた銃の銃口を顎の下にあてがい、助けを借りて引き金に足の親指を乗せたと思った瞬間、引き金は落ちてしまった。
顎からも口からも血が流れ落ちた。軍曹は銃を取り上げ、そして手を合わせ心から成仏(じょうぶつ)を祈った。それから、右手の親指を切り取りポケットに入れて別れた。中村上等兵の悲壮な気持ち、片岡軍曹の立場、その心境は図り知れないものがある。
中隊長と兵隊との間に立つ下士官の苦労と心痛は大変なものであった。人の情けと勇気と正しい理性を備えた片岡邦夫軍曹も、それから二十日余り後、シッタン河を渡河した地点で戦死されたのだと後日聞いたが、哀れというか残酷というか、戦場はこのように次々と尊い生命を奪い取ってゆくのである。何ということか。
更に出発に当たり、またあの山を登り歩くのかと前途を悲観して三、四名の者が相次いで自決したと聞いた。