後日聞いた話によると、この迫撃砲で小林軍曹が片手の上腕部を引き裂かれ石川軍医が直ちに止血し手術した。麻酔薬も無く、手術が進むにつれ、激痛に耐えかね、「殺してくれ」と叫んだ。森脇衛生下士官が手助けをして、どうにか、励まし励まし手術は終わった。
しかし片腕を切断する大手術を受けた小林分隊長は負傷の重さに耐えきれず、今後の転進ペグー山系の厳しい行軍について行くことは困難だと前途を悲観し「死にたい」「殺してくれ」と叫んでおられた。本当に悲痛な最期が・・・・その様子は語るに忍びないと、終戦後に森脇衛生下士官から聞いた。
その他、迫撃砲弾で軽傷を受けた人も何人かあったようであり、マラリヤで動けなくなったり、砂擦(ず)れで足を痛めてしまったりした人も多かった。そんな中でついてゆけないと判断した人の手榴弾の炸裂(さくれつ)する音が、谷間に何度こだましたことか。
結局、糧秣収集の一週間だけで、一中隊七十人中十三、四人がこの山麓で命を落としたことになり、さしもの気丈夫な手島中隊長も「優秀な下士官、兵士を次々と失った」と慟哭(どうこく)されていた。
シッタン平野をそこにしながら、また山の中に引き返し東から西に向かい坂道を登ったが、だんだん疲労は募るばかりである。敵機に発見されにくい山中なので昼間の行軍だった。二日ばかり歩いた日の小休止の時、私は下痢のため皆の出発に間に合わずほんの五分ぐらい遅れた。追いつこうと一生懸命に歩いたがもう追いつけない。とうとう日が暮れた。落伍してしまったのだ。中隊がまとまって歩くのは早いが、一人で歩くのはどうしても気ままになり遅くなり追いつけない。この山道は細くても一本道だから間違えるはずはないのだが、完全に落伍してしまった。
夕方から激しい雨が降ってきた。一人で木の枝に携帯テントを括(くく)り着け雨を凌いだが、飛沫(しぶき)や漏れる雨でぬれる。火を作ることもできなくて飯をたくことをあきらめ、死んだように眠り一夜を明かした後、朝からまた歩き始めた。一休みしていると、そこへ玉古班長代理と他の小隊の顔見知りの光畑上等兵と中島上等兵が後から追いついてきた。「どうしているのか」と尋ねる。私は「少しのことで落伍して困っている」と答えた。「では、一緒に行こう」と励ましてくれた。この三人は中隊長から「少し遅れて最後尾を守れ」と命令を受け、三時間程出発を遅らせてきたのだ。
後衞尖兵(こうえいせんぺい)を勤めるぐらいだから元気な三人であった。結局私はこの三人に救われたのであった。
このことがなかったならば、私は追及(ついきゅう)できず、必ず死んだであろう。よい人に合流でき勇気を出し歩いて行った。有難いことであり何という幸運な出会いだっただろうか。
しばらく行くと道端に一人の兵隊が休んでいる。我々中隊の神田上等兵である。「どうしたのか」と尋ねると、「いよいよ、動けなくなってしまった」と答えた。小さな焚火(たきび)をしており、そこに飯盒をかけていた。
「元気を出して、一緒に行こうではないか」と勧めたがすぐに返事は返ってこなかった。「一緒に歩くのも苦しいので、しばらく休んでから」と答え、我々と一緒に行動しようとはしなかった。無理に引っ張って行くわけにもいかずそのまま別れた。その後彼はどうなったか?
山道をあえぎあえぎ登り、時々小川を渡るので、下半身はいつも濡れながら転進した。でも、四人だから心強い、この十日余りの行程を落伍して、一人では生きて行けるはずがない。自決か餓死で九十九・九パーセント死んでいたであろう。これこそ私に運があったのだと、しみじみ思う。
道端で小休止すると堪え難い臭いが鼻をつく。近くで人が死んでおり、その屍の腐乱(ふらん)した臭気である。自分も死んだらあんなに腐るのかと思うとやりきれない。玉古班長代理が私に向かって「小田よ、あんな姿にならないように頑張って行こう」と励ましてくれたが、自分に言い聞かせているようでもあった。私も一層、何が何でも頑張らねばならないと心に期した。そう言った彼もまた、半月後には帰らぬ人となる運命だったのだが・・・・
小休止で一度そこへ腰をおろせば、我々は臭(くさ)いにおいがしようとも、動く元気がなくそこで休むのである。少しでも体力を消耗しないように、余分な動作はしなかった。実際は何をしようにも、できない程弱ってしまっているのである。
毎日雨の中の行軍で携帯テントを頭から被っているが、古びた一枚の薄いテント布だけでは役に立たず濡れ鼠(ねずみ)である。凄い雨が叩きつけてくる。痩せこけた体に容赦なく降り注ぐ。雨が頬を濡らすが、時には自分の涙も一緒に流れていたようだ。体温を奪われて寒い。だが熱帯地方だからこれぐらいですんだのだ。もし、寒い地方であったならば、もっと厳しい苦しさだっただろう。
米は濡らしてはいけない。米は靴下に二重に入れ、塩は小さい缶に入れるか飯盒の中盒に入れていたので、どうにか雨に濡らさずに助かった。
殆どの兵士が裸足で脛(すね)から下はいつも濡れており、冷えと下痢の原因となっていた。私は相変わらず耳鳴りがしており、血の小便をしていた。多くの兵士がマラリヤにやられアメイバー赤痢に侵され、疲労困憊(ろうこんぱい)の極みに達し落伍し取り残されていった。

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