◆ピュー河を渡る
山坂を歩くうちに、シッタン河の支流でペグー山系の中を流れる、幅三十メートルぐらいのピュー河に出た。この十日程前に渡った時は一番深い所で腹の上あたりであったが今日はもっと水嵩(かさ)が増しているようである。今度は引き返すのだから、下流に向かって左岸から右岸へ渡るのだ。降り続く雨で水は濁り、中程は私の背丈ぐらいありそうだ。
渡れないかも知れない、流されるかも知れないと不安だ。水嵩が少なくなるのを待つ訳にはゆかない。一時も早く中隊の本隊に追いつかねばならないし、水はこれから増してくるかも知れない。今、河を渡る決心をするより他に方法がない。
米の入った背嚢や脱いだ衣服等を頭の上に乗せ河に入っていった。だんだん深くなって背の低い私の首までくる。しかも、かなりの強い流れで、体が流されそうになる。流れては大変と、足を強く踏張り前へ進む。足の下は岩だらけでゴツゴツした所があるかと思えば砂の所もあり、足を踏張れば踏張る程、足元の砂が掘れるので、首から顎まで水がきて流されそうになった。頑張った。更に進むと口まできた。体が浮きそうだ、もう駄目だ、浮き上がり流されそうだ。一瞬不安な気持ちがよぎったが、いよいよ駄目なら荷物を捨てて泳げば、弱っていても五メートルや十メートルは泳げると腹を括(くく)った。若い時から多少の泳ぎはできるので最悪の場合の心構えはできていた。だが、そこが一番深い所だった。次第に浅くなり対岸に上がった。やれやれ一難を凌(しの)いだ。
しかし、若干の兵器等はもとの岸に残したままなので、もう一度取りに帰らなければならない。引き返して、ようやく残りの銃などを運び渡り終わることができた。
もしここで、あと三センチ水位が高かったなら、命は助かっても装具一式は流され、間接的にそれが命取りになっていたかも知れない。このピュー河はそれより一時間後には奥地の降雨によって増水したと推測されるが、まさに、間一髪で命拾いをしたのである。ここでも生死の境を越え本当に幸運であった。
余談になるが、私は均整のとれた丈夫な体だが、背丈が高くない。一般的にはそのことが健康とか生命に直接関係することはない。だが、この渡河こそは身長が命を左右することになろうとした数少ない体験である。幸い三センチのことでギリギリ助かったのだ。また一時間そこに到着するのが遅かったならば事態は変わっていただろう。思うだけでも恐ろしい。
ピュー河を渡った所で大休止することにした。そこに竹を四本突き立てて、木の葉で屋根を作ったお粗末な雨しのぎの小屋が二つあった。夜中に雨が降ってもよいし、露天よりは有難い。新しく作る元気もないし、元気であっても作業は一時間はかかるだろうし大変なので、早速四人は喜んでその一つに入った。
しかし、そこにはお客さんの屍が二体あった。いずれも死んでから日数がたっていないのか、形もはっきりしていた。
まだ臭いもかすかであった。
外に運び出した。いくらお粗末でも小屋は小屋、有難く泊まることとして、濡れた衣服を焚火で乾かし、少しの米を炊いて食べた。
このように死人の近くに並んで寝ることも、次第に麻痺したのだろうか、あまり怖くなくなり当たり前のことになりだした。それよりもなるべくエネルギーを使わないように心掛けるのが生き延びる手段である。不要な労力を費やさないようにし、体をいたわらねばならない。
河の岸辺に馬が死んでいた。内地から運ばれてきた馬だ、可哀相に。誰の乗馬であったか、どこの部隊の輓馬であったか知らないが、もう腐って、河岸の砂の上に屍をさらしている。異様な臭いがする。馬は大きいだけに臭いも激しく、範囲も広くなる。もうこの頃は兵隊が死んでも馬が死んでも、穴を掘って埋めるにも道具一つなく、兵士にそれをする元気も体力も無くなり、残念だが、もう行き当たりばったり死体はそのまま放置される有様であった。
この馬もここまで来るには随分苦労をしたことだろう。人間が食べる物がないぐらいだから馬が食べる物は無く、酷暑の中で作業に従事し、我が軍のために尽くし犠牲になったのだ。このぬかるみの道を人を乗せ、荷物を乗せて歩いて来たのだ。どんなに苦しかったか、どんなに悲しかったか。馬は涙を出さないし言葉は言えないが、心はあるのだ。人間と同じような心を持っているのだ。
馬といえども、平和な内地の自然と愛情に満ちた飼い主のことを、懐かしく思い出し、郷里に帰り楽しい生活、馬として平穏な生き方をしたいと思ったのではなかろうか。馬は賢い動物であるだけに、悲しみながら苦しみながら、死んでいったことだろう。ビルマに渡った何千何万という馬は殆ど全部が、このような状況で死んでいったのだ。可哀相に異境の果てで戦争の犠牲になった馬達を心を込めて弔らってやらなければすまないと思う。

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