◇屍が道標(みちしるべ)
◆白骨街道を行く
本隊に追いつこうと毎日歩くがなかなか追いつけない。この山道を早い部隊は一ヵ月も前に転進し、十日前に通った部隊もあり様々である。我が手島中隊は半日ほど前に通ったはずである。
そのことを示すようにいろいろの屍が残されている。一ヵ月以前のものは白骨となっており、もう臭気も薄らいでいる。蝿は食べる部分を食い尽くしたのだろうか、もう一匹もいない。虚しさを感じる。「夏草や兵どもが夢の跡」の句を思いだす。
一週間程前の屍は非常に臭く何とも形容できない臭さである。どす黒い汁が流れ出ており見られたものではない。屍によっては黒い大型のピカピカ光った蝿(はえ)が群がっており、黒い大きな固まりがそこにあるように見える。蛆(うじ)がわき、ぞろぞろと、腐った肉を食べているのだろうか這(は)い回っている。気持ちが悪く視線をそらす。
自然で一応清潔な山の中なのにどうしてこんなに沢山の蝿がいるのだろうか?最初は不思議に感じたが、蝿の好む腐れかけの肉があれば旺盛な繁殖力で一気に増えるようだ。
屍、それは尊い命であり、日本軍の兵士の姿なのである。歓呼の声に送られて出征し頼もしかったその人なのである。あまりにも酷い姿であり、あまりにも悲惨な姿である。
半日前とか一時間程前に息を引き取ったのは、道端に腰掛けて休んでいる姿で小銃を肩にもたせかけている屍もある。また、手榴弾を抱いたまま爆破し、腹わたが飛び散り真っ赤な鮮血が流れ出たばかりのものもある。そのかたわらに飯盒と水筒は大抵(たいてい)置いている。また、ガスが屍に充満し牛の腹のように膨れているのも見た。地獄とは、まさにこんなところか。その屍にも雨が降り注ぎ、私の心は冷たく震える。
そのような姿で屍は道標となり、後続の我々を案内してくれる。それをたどって行けば細い道でも、迷わず先行部隊の行った方向が分かり行けるのだ。皆これを白骨街道と呼んだ。
この道標(みちしるべ)を頼りに歩いた。ここらあたりは、ぬかるみはなく普通の山道で緩い登り下りである。
雨があがり晴れれば、さすがに熱帯、強い太陽が照りつける。暑い、衰弱しきった体には暑さは格別厳しく感じられる。
米はどうにか食い繋いでいるが塩がない。ここ何日か全然塩分をとっていない。塩分不足のためか、体がだら〜っとした感じでピリッとしたところがない。今までに経験したことのない気怠(けだる)さである。食物不足と疲労だけでない何か別の、ぼんやりして体がなまけたような感覚の苦しさである。自分自身塩分不足と感じた。しかし、塩はどこにも無い。暑いので汗が出た。その出た汗を舐(な)めた。少しでも塩分不足を補うために。体を守るためにいろいろ考えやってみる、これが戦地であり窮地に活路を見出す方法であろう。だがそんなことでは、塩分不足はどうにもならず気怠さが続く。
ところで、相変わらず裸足のままで歩いているが、数日前、糧抹収集に行った時、砂の小川を気持ちよく歩いたが、砂でふやけた足の皮が剥(は)がれ赤裸(あかはだか)になり、ザラザラという表現がよいのかも知れないが、痛いこと痛いこと大変な痛さである。粘くても軟らかい土はよいが砂が悪かった。足の甲あたりの皮膚がむけて痛く、砂・む・け・である。ザラザラで赤裸の足の皮膚である。これは、なった人でないとその苦痛は分からないが、なかなか治らない。そんな時、誰かが豚か鶏の油を塗ればよいと言い出した。何とか油身をもらってきて暇がある度に塗った。これは、痛さを和らげよい治療になった。有難いことであった。兵士達はいろんな知恵を出すものである。
◆私の体調
前にも書いたが私の耳鳴りは続いており、立って歩いている間はいつも脈拍と共にドッキン ドッキン ドツキン と響いており、休憩して横に寝るとその間だけドッキン ドッキン が止まるが、何とも言えない気持ちの悪い苦しさであり、聴力も次第に衰えたようだ。
それに大きな声も出せず、ぼそぼそと弱い声しか出ない。声帯が疲労してしまっているせいか、肺から出る空気の圧力が乏しいためなのか、瀕死(ひんし)の患者が細く弱い声しか出せないのと同じである。力んでみても、ハキ ハキ とした声にならない。
いつの頃からか分からないが両眼とも視力が次第に衰え、真正面が薄暗くしか見えない。上下左右は明るく普通に見えるが、足元が見にくく歩きにくい。恐らく栄養失調と体力減退によるのだろうが次第にその程度が進んでくる。
この頃から小便の終りに、血が赤い雫(しずく)となりポタリ、ポタリと落ちジーンと沁みる。小便中も血が交(ま)ざっているのだろうが見えないだけであろう。弱り果てた体からさらに血が外に出ているので心配だ。おそらく、毎日水に浸かり下半身が冷えているせいか。膀胱炎(ぼうこうえん)だろう。
下痢のことは度々述べたが、絞るような粘液の下痢が続いた。食べていなくても排泄があるということは、体内に蓄えられている成分が体外へ放出されていることになる。下痢は止まったり始まったりの繰り返しである。これによる体力の消耗は激しく、相変わらず一日数回の下痢。お尻をふく紙など無くなって久しい。木の葉を選んでそれで間にあわせる。気持ちが悪いが他に方法がない。この頃は便といっても便らしい便でなくズルズルした物であった。

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