◆盗まれた米
携行している米が少なくなり、みんな困り始めたある日、道の縁にごろ寝した時のことである。疲労困憊(ひろうこんぱい)した体はいつしかぐっすり眠った。朝、目が覚めてみると背嚢の中の米が無い。『靴下の中に入れていた米がごっそりない!』一粒もないのだ。体の中の血が逆流しそうだ。確かに、昨夜は枕元に背嚢を置いて寝ていたが、眠っている間に一升五合(二・二キログラム)の米が、ごっそり抜き取られてしまったのだ。米がなければ死ななければならず、そうでなくても、ここ数日、米を節約し食い延ばし、ひもじい目をしているのに。だが、誰が盗んだのか証拠がない。聞いて歩く訳にもゆかず、盗まれた盗まれたと騒ぎ立てない方がよいだろう。我慢、我慢、今日一日は食わなくても死なないだろうと思うことにした。
だが、残念でならない。悪い奴がいるものだ、儂を殺す気か。一日中食べずにふらふらと皆について歩いた。腹が立ち、腹が減る。畜生め!
この日は昼歩き、夕方山の凹地で大休止となった。皆は銘々炊飯をして食べているが、私には炊飯すべき米がなく食べるものがない。ああひもじい。何か食べたいけれども何もない、体が弱るが仕方がない。心やすい戦友にねだれば少しぐらいは、くれたかも知れないが、これから何日ももらうばかりはできない。あえて誰にも言わず我慢した。水筒に湯を沸かして飲んだが腹の足しにはならなかった。『今夜盗み返すのだ、それより他に方法がない。飢え死にしてたまるものか。』
乾坤一擲(けんこんいってき)やるのだ、と決心した。この凹地には我が中隊の一部と他の部隊や落伍者達が入り乱れて休んでいた。腹が減って眠れない。それに今晩こそ何とかしなければ自分が死ぬのだと思えば、じっとして夜が更(ふ)けるのを待つより仕方がない。眠ってはいけない、時間を待つのだ、興奮して眠れない。
木の繁った山の谷で、真っ暗い夜だった。自分の休んでいるところを這いだして少し離れた所で四、五人が並んで寝ている場所に行き一つの背嚢の口を開き、靴下に入った米五合を静かに失敬した。更に離れた場所の兵士の背負い袋の中から、靴下に詰めた三合ばかりの米をも失敬した。
一つ取るのも二つ取るのも同じだ。闇の中で半ば手探りで事は成功した。
参考までに軍隊では、内務班にいる時から員数合わせすることが重要なことで、そのためには常に人の持ち物を盗むことが行われており、世間一般での盗みの感覚とは異質なものがあった。
そのような軍隊生活の中でもあり、この場合はまさに生死の明暗を分ける時である。取られた物は取り返さなければ、生きられない絶対の場面で、静かに反省している余裕のない時である。
腹が減って仕方がなかったので、夜中であるが残り火をおこし、早速炊飯して食べた。暖かいご飯が喉を越した時は久し振りで美味しかった。
この米でこれからしばらく命を繋ぐことができるとほっとした。その時一人の兵隊が闇の中からこちらへ歩いてきた。私は飯盒の飯を食べている最中であった。彼は夜中であるが自分の米が盗まれたのを何かで感じて起きてきたのだろう。こんな真夜中に飯を食うている私を闇を通して見ておかしいと思ったのだろう。
「お前飯を食うているが、わしのを取ったのだな?」「わしのを返せ」ときた。私は「自分の物を食うているのが何が悪いか、腹がへったから、自分の米を炊いて食うているのが何故悪いか、人を疑うのも程々にせい」と切り返せばよかったのだが、そう嘘が言えなかった。
黙っていると彼は私が取ったと感じとってしまった。私はとっさに、嘘をついてしまえなかった。「米を返せ」「わしのを返せ」と迫ってきた。「返してやるわい」と言って米の入った靴下をポイと放り出した。かの兵隊はそれを拾ったが、闇の中で私を睨(にら)みつけ三発ゲンコツで殴った。
私は抵抗しなかった。既に腹に入れただけは儲(もう)けである。少々殴られても腹の中では消化されているのだから。それにもう一つの袋の米は私の背嚢の中に納まっているのだから、歩留まり五十パーセントだと思い、殴られるにまかせた。その兵隊は暗闇の中に消えて行った。暗闇の中の出来事で、お互いに顔は分らないままであった。このようにして私は幾らかの米を入手でき生命を繋ぐことができた。
夜が明け山中の行軍が始まった。この頃は飢えのため顔も痩せているはずなのに、殴られて顔が腫(は)れていたので、溝口曹長が直感で「小田、お前顔が腫れているがどうしたのか?」と尋ねられた。私は「蜂に刺されて、腫れたんです」と体裁を整えて答えた。でも久し振りに腹が満ちて元気よく歩けた。