私も早く出ようとしたが、銃声が激しく危ないと感じた。とっさに床の下に米を持ったままもぐり込んだ。しばらくそこにしゃがんで様子を伺った。夜がだんだん明けてくるし、犬はますます吠えたてる。このまま時間を経過すると逃げ出せなくなる。
危ない!と判断するや否や床下より這い出て、一目散に川に向かって走り、重い米を背負い川へ飛び込みザブ ザブと水の中を走った。走ったといっても水の中は歩く程しか進めない。その部落から私を目掛けて弾が飛んで来る。前後左右にその水面に弾着を示すように飛沫(ひまつ)があがり、もう駄目かと思った。だが彼等は現地人だから射撃は上手でないだろう、などと考えてもみた。もし、背中に背負うた米に当たれば、一斗の米は貫かないだろうと思いながら一生懸命に水の中を走った。
走った、といっても、腰の上まで来る水の中では容易に進めない。折角取った米を捨ててはならぬ。濡らしてはならないし転んでは何にもならない。ああ息が苦しい、ああ苦しい。敵からの照準を惑わすように、ジグザグに進んでみたり走ってみたりした。きつくてたまらないがもう少しだ。よろけては駄目だとザブザブと水を分けて走り、やっとのことで岸にたどり着いた。一気に土手を這い上がり土手の頂上から転げ落ちるように反対側の斜面を降りた。
しばらく動けなかったが助かったのだ。引き返してきた中で私が一番最後のようであった。殆どの兵士は状況不利と感じ、部落の中に入らず、米も取らずに引き上げたのだった。結局三人が米を取って来ただけで成果は上がらなかった。それよりもここでまた三人の戦友が帰らぬ人となった。
一昨日斥候に一緒に行った中村伍長は気合いの入った鋭敏な下士官で、今日も真っ先に民家に入りかけ階段を四段程上がった時、家の中から小銃で顔面をまともに撃たれ「う、う、う」と言って倒れ、階段をゴロゴロと転げ落ちた。見ると払暁(ふっぎょう)の薄明りの中で、べっとりと赤い血で顔が覆われ、衣服も真っ赤に染まっている。
だが彼は「わしは、もうおしまいだ」「これを頼む、これは、瀬澤中尉の遺品の拳銃だ、持って帰ってくれ、頼むぞ」と言い終わらないうちに、ぐったりとなってしまったということである。上官瀬澤小隊長の遺品をこれ程までに大切に思い、内地の御家族に届けなければならないと責任を感じていたのである。
私は通信班で中隊本部に一時所属していた縁で、中村伍長には特に親しく可愛がってもらっており、また一昨日の斥候に出た時も彼が敵の自動車の音を感知し敏速な対応をしたお陰で、命拾いをしたばかりなのに。その彼が今日はもう帰らぬ人となってしまった。彼を思い心の中を大粒の涙が流れ、運命の変化の大きさにおののいた。
中村国男伍長は中隊本部で、川添曹長の下で、人事のことなど中隊の重要な仕事を手伝っており、将来が大いに嘱望(しょくぼう)されていただけに一層哀れで悲しかった。
この時縄田(なわた)兵長と、もう一人の兵士も、やられたのか逃げられなくなったのか分からないが、帰って来なかった。結局三名が戦死し糧秣はほんの僅かしか徴発(ちょうはつ)できず、大失敗に終わり中隊はすごすごと山へ引き揚げた。糧秣の確保掠奪(りゃくだつ)も死に物狂いで容易ではなかった。
◆女性哀れ
このペグー山系で米が無くなり糧秣収集もうまくいかない頃、看護婦であったか誰であったか知らないが、婦人三名ばかりが、それも兵隊の汚れた服を着て、山道をあえぐように、いや這うようにしていた。泥に汚れ血の気の無い顔をし本当に痛ましい姿である。
「兵隊さんお米がないの、助けて下さい」と哀願したが、我々自身が自分の体を運んで行くことさえできかねていた時でもあり、やっとお粥で飢えを凌いでいた状況で、可哀相(かわいそう)にと思ったが、どうすることもできず別れた。御国のために御奉公をと誓いながらここまで来て、このような哀れな姿になり気の毒で可哀相でならなかった。
その後再び彼女達の姿を見ることはなかった。当時の状況、場所等から、おそらく助かっていないだろう・・・・心が痛む。泥にまみれ垢に汚れ、痩せ衰え、よろめきながら歩いていた女性達の姿を私は一生忘れることができない。戦争、負け戦は苦しく悲惨で悲しいものである。

次の章に進む

TOPへ戻る