◆迫撃(はくげき)砲弾(ほうだん)炸裂(さくれつ)
次の日の昼のことである。突如、迫撃砲弾が山の中で樹木に覆われ絶対見えないだろうと遮蔽している我が中隊を目掛けて飛んできた。
正確に弾が落ちてきた。こちらからはどこから撃ってきているのか見当もつかない。迫撃砲弾は放物線(ほうぶつせん)を描いて来るから、見えない向こうの谷から発射し、弾は途中の山を弧を描いてこちらの谷に、斜め上の方から落ちてくることになるのだ。
敵はどうしてこんなに正確に我々が隠れている所が分かるのだろうか。最近飛行機が私達の隠れ場所の上に飛んできたり、偵察飛行に来た様子はないのに、どうしてこんなに正確に撃って来るのか分らない。
まともに砲弾はヒュル〜 ヒュル〜 ヒユル〜と音がして落下しパン パン パンと癇高(かんだか)い音がして炸裂(さくれつ)するのだ。思いがけない攻撃を受け、私はどこへ避難しようかとあわてたが、少し先に五メートル四角ぐらいの大きな岩があり、それが半分に割れており、ちょうど人間が入れる程度の裂目が自然に出来ていたのをあらかじめ見ていたので、とっさに思い出し、その割れ目に滑り込んだ。願ってもない程よい場所で、よほどのことが無い限りこの裂目に弾が落ちて来ることはないと思った。
息つく暇もなく、ヒュル〜 ヒュル〜 ヒュル〜 パン パン パンとひっきりなしの集中攻撃である。ピン ピン ピンと炸裂音が耳の鼓膜(こまく)を襲う。激しい勢いである。土煙と硝煙(しょうえん)の臭いが岩の割れ目に流れてくる。皆はどうしているのだろうか。誰の声もしない、じっと耐えているのだろうか。そのうちの一発がすぐ近くで炸烈した。生きた心地はなく、思わずお守りを持っているかと確かめた。
かすかに「やられた」とか「ううん」と叫ぶ声が聞こえた。約二十分間続いただろうか、迫撃砲の攻撃は終わった。
しかし、私はしばらく岩の間から出ていく気になれなかった。次第に兵士達の声が多く聞かれるようになってから外へ出てみた。その辺りの木の枝は折れ、葉は飛び散り幹も裂かれ、様子が一変していた。
皆のいる所に行ってみると、隣の十一班の班長である山本嘉兵衛兵長が首をやられ一筋の血が流れ出ている。破片が首に入り、「痛い、痛い」と首を押さえている。
私は三角布を出しガーゼで血を拭き、リバノールをガーゼに湿(しめ)しその上を押さえた。大体流れる血は止まったがガーゼに血が滲んで出て来る。私は首だから助からないのではないかと思うし、山本班長自身も首から出る血を見て、助からないと思ったようである。しかし首の中でも致命的な部分から三、四ミリ外れていたのであろう、命を落とさずにすんだのだが、山本班長はこの傷のために以後の転進や行軍で非常に苦労をされたのである。
その傷をかばうため装具や兵器を背負うにも非常に気を使い、傷が化膿(かのう)しないように手当てをしなくてはならない。しかも薬は無く天候は悪いし、疲労して体力は弱っており毎日の行軍で傷は治らない。傷口に蛆(うじ)がわかないようにしなければならず大変だが、彼は終戦の日までよくぞ頑張ってこられた。戦後収容所生活中、いつも首を傾けていたが、そのまま固まったのであろう。
戦後、俘虜(ふりょ)生活中にも、また復員後も、この破片を取り出す手術をしたものかどうかと考えられたようだが、危険な場所なので、不自由ながらそのまま今日まで生活されてきた。
---最近の戦友会の会合の時にも「わしはよう助かったのだ。首をやられ駄目だと思った。転進中蛆虫がわいて多くの人が苦しんだが、俺は幸運だった。皆に助けてもらい感謝する」と言っておられた。
また、この迫撃砲の攻撃で左肺上部を撃ち抜かれた中村上等兵が、ふら〜っ ふら〜っと私達の所へ歩いて来た。顔は蒼白で襦袢(じゅばん)は胸の所に血がべっとりとつきギラギラと光っている。襦袢は次第に大きく血で彩(いろど)られてゆき、我々の所にたどり着くと同時にばったりとうつぶせに倒れた。背中の側にも血が出て、血塗られた襦袢が体にベットリと着いていた。伏せたままで「苦しい、苦しい」と言っている。
我々は、あまりにも大きい負傷のためどうしてよいか分からず唖然とするばかりであった。そこへ志水衛生下士官がきて「皆の携帯する包帯と三角布で傷の所を縛(しば)ってやれ」と怒鳴った。皆で中村上等兵を抱き起こし襦袢をようやく脱がせたが、深い傷が前から背中まで通っているようで、どす黒いどろどろとした血が固まりかけ体中血だらけで呼吸の度に血が滲み出てくる。

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