私は気持ちが悪くなり、顔をそむけた。志水衛生軍曹が応急の手当をしたがガーゼはすぐに真っ赤に染まってしまった。頭を高くし仰向けに寝かせたが、彼は興奮のため震え、顔は苦痛のため歪(ゆが)んでいた。
「休んでおれ、治るさ」「元気を出すんだ」と志水衛生下士官は大きな声で言い、もう駄目だろうと思っても、駄目だとは決して言わなかった。
中村上等兵は私の隣の班で、古年兵であったが、私の郷里と同じ赤磐郡(あかいわぐん)で旧西山村(現在は山陽町)(記憶が間違っているかも知れないが)の出身だと聞いていただけに、格別親しさを感じていた。血塗られたこの姿に苦しいだろうなあと、気の毒でならなかった。
今でも山陽町のあたりを通ると、一瞬彼のことが脳裏をかすめる。
また、三木兵長と山岡上等兵は先日分捕(ぶんど)ってきた牛を殺して、肉の料理を始めたところを迫撃砲の直撃を受け即死したのである。三木兵長は炊事班の班長として中隊全体の賄(まかな)いを長い間手がけてきたが、中々上手に料理を作り、皆から三木さん三木さんと慕われていた。激戦中は銘々飯盒で炊くのだが、戦況が落ちついている時は三木兵長がまとめて炊事をしてくれたのである。この日も牛をさばくまでは彼の仕事と考え、山岡上等兵の協力を得てやっていたのだが、そこを襲われたのである。
長い間マラリヤに罹(かか)ることもなく元気で、炊事の料理長役で中隊を支えてくれていたのに、砲弾の破片が帽子を貫き右の頭に入っており、あっという間もなく散っていかれたのである。
山岡上等兵も三木兵長と同時に即死したのだが、殺した牛の傍らで、今まで元気だった二人がこのようになってしまい、我々にはどうすることもできない。
三木さん、貴方はその日も、中隊全員に肉の料理を食わせてやろう、衰弱した兵士に少しでも栄養のある牛肉でスタミナをつけてやろうと、一生懸命に炊事班長としての本分を尽くしておられた。その最中の出来事ゆえ、せめても本望であったのではないかと、敢えて慰めの言葉を探して捧げたい。
日焼けした丸顔、前歯の金がよく似合い、大鍋の汁の味見をされていた姿が今も目に浮かんでくる。
野宿の場所も敵に見つかってしまったし、これ以上糧秣収集することはできず、ここにおればおる程、攻撃を受けるだけである。
我が中隊は一刻も早くここを引き払い、師団司令部本隊に合流しなければならない。師団司令部はこの頃ペグー山系の中程に宿営し、他の地点に集結しその方面からシッタン平野に出る予定にしていた。我らの中隊は糧秣を集めるために今の地点に来ていたのだが、山系中程の司令部の所まで引き返し、更に師団司令部が転進した後を追い他の集結地点に行かねばならないのである。そして、その集結地点からシッタン平野に出ることになるのである。
結局我が中隊は山の中を、行ったり来たりで、十日も十五日も余分に歩かなければならないのだが、総て師団からの命令であり仕方のないことである。